先日インドから一時帰国されていた永井由香先生の「ヨガ哲学講座(ヨガ・スートラ編)」に参加してきました。
『ヨガ・スートラ』が成立したと言われる当時の時代背景や、インドの6派哲学との関係に始まり、教典の内容をわかりやすくお話いただき、改めて『ヨガ・スートラ』の素晴らしい叡智にふれることができました。
あくなき探究と体験から、ヨガの叡智が生まれた
編纂時期は4〜5世紀頃といわれますが、それまでは、ヨガはそもそも体験することで理解を深められる哲学でした。グル(師)から弟子へと脈々と、口頭で受け継がれてきたのです。
『ヨガ・スートラ』の成立背景に重要な役割を果たしたサーンキャ哲学の宇宙観は、修行者が瞑想の中で知ることができた世界の仕組みを元にしています。つまり机上の理論では無く実体験から生まれた宇宙観であるわけです。
我々日本人がもつ宇宙観とはそもそも成立が違うわけで、講義の中でも幾度となく、「原典からの解釈は幾通りもあり、日本語に訳すと意味合いが変わってしまう」と指摘されていました。
「体験」や「実践」が今回の先生の講義のキーワードだったと思いました。つまり、ヨガの実践を通じてこそ『ヨガ・スートラ』の理解が進む、ということです。
講座を通じて、永井先生ご自身がヨガや瞑想を日々深めているからこそ、このような的確な解釈が可能となり、穏やかで、静謐な雰囲気に、つつまれているのだろうなと感じました。
哲学の本質
哲学や信念を体現すること。ヨガを実践されている方は既に意識しておられる方がほとんどだとは思います。だからこそ哲学を実践することの難しさを痛感されている方が多いのではないでしょうか?
忙しい毎日を送っていると日常に流されてしまい、本来の自分の理想とは異なった生き方を反省することもあるかもしれません。
以前本連載でもご紹介した、世界一幸せな人として知られるマチウ・リカールはその問題を我々に直面化させます。
生物学者としてパスツール研究所で順調なキャリアを積み重ねていたマチウ。しかしながら高名な父を始めとして周囲の大人たちが全く幸せそうに見えないことに疑問をいだき、幸せとはなにかを探求するうちに、チベット仏教に出会います。
紆余曲折を経て、とうとうマチウはチベット仏教徒となり出家するのです。マチウの父はフランスでも有名な哲学者であるジャン=フランソワ ルヴェルであり、息子の出家を知り、大変なショックを受けます。数年を経て父と息子が対談します。その対談をまとめたのが『僧侶と哲学者』です。
哲学者である父は、哲学者とは本来、ソクラテスのように知恵の体現者であり実践者であったはずなのに、現代の哲学も科学も生きる知恵には無関心であることを率直に認めます。
そして、仏教が西欧で強い関心の的になる背景には、この空白を埋めたいという願望があるのではないかと指摘します。
西洋の哲学者も以前は知恵の体現者であったのに、机上の学問でしかなくなっている。実践がかけていることを哲学者自身も肯定します。しかしそれは、いかに実践し続けることが困難かを示す証左となるのではないでしょうか。
世界一幸せな人は、知恵の実践者であり体現者
その後マチウは瞑想の実践を続けます。あるときマチウは脳と感情の関係を研究する脳神経科学者リチャード・デビッドソン博士の実験に被験者として参加します。
博士は、幸福感、喜び、気力の充実など、肯定的な感情を持ちやすい者は、大脳皮質の前頭葉の一部、左側の前頭前野が活発であるという事実を突き止めていました。
マチウは何種類かある瞑想法の中から、「精神集中」、「心の全開」、仏像などを克明に思い浮かべようとする「ビジュアル化」、他者の利益に自分を心から差し出す「利他の愛と思いやり」などを実践します。
脳波を測定すると、「利他の愛と思いやり」の瞑想中、前頭前野の活動が左側に大きく偏り、それまでの被験者150人では見たことのないレベルで、脳波の変化が記録されました。
この結果をきっかけに、マチウは世界一幸福な人物と呼ばれるようになりました。
この実験を受けてマチウはこう答えます。
重要なのは、この実験ではサーカスのような特殊なことができる人々を見せようとするのではなく精神鍛錬の重要性を物語っていることです。
それは贅沢や心のビタミン剤でもありません。我々の人生のすべての瞬間の質を決めるものなのです。
私たちは教育には約15年を費やし、ジョギングやフィットネスに通い、美を維持するためにあらゆることを行います。
しかし驚くことに、心の在り方という重要なことには無関心でほとんど時間をかけません。
知恵の体現者、実践者と聞くといつもマチウのこの言葉が思いだされます。机上の空論ではなく実践すること。その重要さを改めて感じます。
マズローの5段階仮説で分析!実践者の境地
では知恵の実践者は、どのような影響を人に与えるのでしょうか。また、あの静謐な雰囲気はどこから来るのだろうと常々不思議に感じていました。そのことを丁寧に分析し、説明しているのが「自己超越」という概念です。
マズローの5段階仮説には、実はもう1段上に「自己超越」という段階があることをマズローは晩年発表しています。
「マズローの5段階仮説」とはアメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したもので、一度はご覧になった方が多いと思います。
1番最初は生理的欲求、2番目は安全の欲求、3番目は社会的欲求、4番目は承認欲求、5番目が自己実現の欲求の流れで人は成長するという理論です。
そしてマズローは、5段階の欲求階層の上に、自己超越の段階があると発表しています。
自己超越とは自己や他者の存在を超えた存在に向けて奉仕することともいわれています。面白いことにマズローは自己超越者の特徴として以下の項目をあげています。
- 「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
- 「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
- 統合された意識を持つ
- 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
- 深い洞察を得た経験が、今までにある
- 他者の不幸に罪悪感を抱く
- 創造的である
- 謙虚である
- 聡明である
- 多視点的な思考ができる
- 外見は普通である
この概念を初めて知ったときに、筆者のヨガの師匠である友永淳子先生が脳裏に浮かびました。なんとも謙虚で聡明、ヨガ・スートラ的にいうといわゆるサットヴァです。しかし見た目はもちろん美しいが突飛ではなく普通なのです。
またこれらの体験は『ヨガ・スートラ』でいうところのヨガ八支則のうち「ダーラナ」「ディアーナ」「サマーディ」に、近似している、と驚いています。
永井先生も、我々が日々実践していくことが、周囲の方へ良い影響を与えることを強調されていました。日々のヨガの実践こそがインド哲学のより深い理解へつながるものと改めて気付かされました。