こんにちは。丘紫真璃です。今回は、日本の子どもたちにおなじみのドリトル先生を取り上げたいと思います。
井伏鱒二の訳で有名なドリトル先生が、動物語をしゃべるお医者さんだということは、多くの方が知っていらっしゃることでしょう。ドリトル先生と動物たちが繰り広げる、ドキドキワクワクの物語は、大人でも一度読みだしたら止まらない面白さでいっぱいです。
そんなドリトル先生も、ヨガの心と深く通じ合うところがあるのです。それでは、ドリトル先生のところに、私達も、遊びに出かけてみるとしましょう。
ドリトル先生とは
『ドリトル先生シリーズ』はイギリス生まれで、アメリカ合衆国で活躍したヒュー・ロフティングによる児童文学作品です。ドリトル先生のお話の芽が、ロフティングの中に生まれたのは第一次世界大戦中、彼が戦地で戦っていた時のことでした。
ロフティングは、戦場から子どもたちに手紙を送っていたのですが、戦場には子どもに書いてやるのに適当な出来事がありません。そこで、ロフティングは戦地で強く感じていたことを、物語にして、子どもたちに送ってやることにしました。
ロフティングが感じていたのは、戦争で戦っている馬たちが、あまりにも理不尽に扱われているということでした。馬も、人間と同じように勇敢に戦っているのに、馬がケガをした時には、銃殺されてしまいます。
これはおかしいと思ったロフティングは、馬の言葉がよくわかり、馬を優しく手当できる、心あたたかいドリトル先生の物語を考え、子どもたちに手紙で送ったのです。
戦争が終わった後、ロフティングはドリトル先生の物語を原稿にして、出版社に送りました。そして1920年、『ドリトル先生アフリカゆき』が出版され、たちまち、ドリトル先生は、世界中の子どもたちの心をとらえることとなりました。
動物の名医ジョン・ドリトル
ドリトル先生は、もともと人間のお医者さんでした。みんなに尊敬される、腕のいい立派なお医者さんだったようです。
けれども動物が大好きで、先生のお宅には動物がたくさんいました。アヒルのダブダブや、子ブタのガブガブ、犬のジップや、オウムのポリネシア、フクロウのトートー。白ねずみに、歳をとった馬。さらにハリネズミ、牛、リス、ニワトリ、ハト……まで。
やがて、先生のお宅に診察しに来た患者さんのなかには、動物が我が物顔にうろついているから困る、という人が増え始めました。そして、とうとう最後には、患者さんはたった一人、どんな動物もいやがらない肉屋のマシューマグという男だけになってしまいました。
患者さんがいなくなり、すっかり貧乏になってしまっていた先生を見かねて、マシュ-マグが言います。
なぜ先生は、人間の医者なんかよして、動物の医者にならないのかね?
ー 『ドリトル先生アフリカゆき』第2章より[1]
人間の言葉をしゃべる賢いオウムのポリネシアも言います。
先生は、世界一のお医者です。人間はみんな、それがわからない大ばかです。
先生、動物のめんどうをみてください。動物なら、たちまち先生のえらさがわかります。獣医になってください。
ー 『ドリトル先生アフリカゆき』第2章より[1]
そして、ポリネシアは先生に、動物にも言葉があるということを伝え、先生に動物語を教えます。動物語を学んだ先生は、動物の言葉がわかる世界で初めてのお医者さんになりました。
動物たちは、先生が自分達の言葉を話せるのだと知ると、どこが痛いとか、どんな気持ちだとか、先生に話しました。先生は動物たちの話をよく聞いて、動物たちが望むような治療を施してやりました。
こうして、先生のウワサは、動物たちの間にたちまち広がっていきました。森や野原に住んでいる生き物たちも病気になるとみんな、町はずれにある先生のお宅にぞくぞくと押しかけていきました。
「動物の言葉がわかって、動物を助けてくれる、えらいお医者さん」のウワサは、全世界の動物の間に広がっていき、たちまち、動物たちの間でジョン・ドリトル先生は、有名になったのです。
ヴァイラーギャの心で動物を助ける
ドリトル先生のもとには、はじめのうちこそ、近所の人達も自分の飼い猫や、飼い犬を連れて、診察してもらいにやってきました。
けれども、動物のお医者さんになってから、先生が、ますます動物たちに慕われるようになり、サーカスから逃げ出してきたワニまでもが、先生のお宅に住みつくようになったのです。
ワニを怖いと思った近所の人達は、先生の所に飼い猫や飼い犬を連れていかないようになりました。
いっぽう、森や野原に住んでいる野生の動物たちは相変わらず、先生のもとに通いつめましたし、先生は、そんな動物たちのために骨身を惜しまず、治療をしてやりましたが、野生の動物たちは、先生にお金を払うことができません。
先生のもとには、夜といわず、昼といわず、野生の動物たちが世界じゅうから治療を頼んで押しかけてくるのですが、いくら先生が懸命に働いても、一向にもうかることはありません。それどころか、飼育する動物がどんどん増えていくので、先生は、ますます貧乏になっていくのです。
それでも、先生はちっとも気にせずに言うのです。
しあわせでありさえすれば、金なんてなんだというのだ。
ー 『ドリトル先生アフリカゆき』第3章より[1]
先生は自分のためには少しもお金を使いません。最後の2ペンスまでも、歯が生えてむず痒がるアナグマの子に、ガラガラを買ってやるのに使ってしまいます。
そんな先生はまさしく、ヨガでいう「ヴァイラーギャ」を実行している人だといえないでしょうか。
ヴァイラーギャとは離欲という言葉で訳されますが、あらゆる欲でさざ波立つ心を鎮めるためには、この離欲が欠かせないと『ヨガ・スートラ』でも繰り返し語られています。
欲がある限り、わたし達の心は、不安や恐れで波立ち、平穏に静まることはできません。
だからこそ、離欲……ヴァイラーギャが重要なのだ
とパタンジャリは語ります。
ドリトル先生は、いつも自分のことなどそっちのけです。服がボロボロであろうと、自分が食べるものがなかろうと、そんなことはまったく気にしないのです。貯金箱に、たったの2ペンスしか残っていなくても、アナグマの子にガラガラを買ってやるのにわけなく使ってしまいます。
動物だけではありません。困っている人が目の前にいたら、その人を全力で助け、その時、自分が持っているすべてのお金を、その人にあげてしまいます。
動物でも、人でも、だれかを助けるためなら、自分をかえりみずにいつも全力。 まさしく、ヴァイラーギャを実行している人だといえるでしょう。
動物たちが先生を助ける
野生の動物たちを助けても、助けても、お金はもうからない先生ですが、そのかわり、動物たちが先生のことを助けます。
まずは、ドリトル先生の家で暮らしている動物たちが、先生のために家事や、庭仕事、野菜畑の世話をやりはじめます。そして、庭木戸の外へ野菜店や花屋を出して、道ゆく人にダイコンだの、バラの花だのを売って、お金をもうけるようになるのです。
それだけではありません。ドリトル先生は、伝染病で苦しむサルたちのために、アフリカに渡ったりと、世界じゅうさまざまな場所へ、航海に出かけますが、そんな時も、野生の動物たちが、次々に先生を助けます。
イルカが、先生のためにタマネギを運んで来たり。海賊と渡り合う先生のために、サメが海賊をおどかす役を引き受けたり。
先生の助手トミー・スタビンズが、嵐でドリトル先生とバラバラになってしまい、板切れにつかまって海で漂流している時も、海ツバメがすぐにトミーを見つけ出し、イルカがトミーを先生のもとまで連れていってくれたりします。
先生のためならば、動物たちはいつでも、どんな時でも喜んで働いてくれるのです。
それだから先生は、恐ろしい海賊のベン・アリに向かって言います。
わしは、おまえほどうまく船をあやつれんかもしれぬ。
しかし、鳥や獣や魚という友だちのあるかぎり、海賊のかしらごときは恐るるにたらんのだ。
ー 『ドリトル先生アフリカゆき』第15章より[1]
こうして、動物の友達という大きな味方をつけた先生は、海賊にさらわれて行方不明になってしまった男の人を探したり、洞穴にとじこめられたアメリカインディアンの植物学者とその仲間達を救い出したり、闘牛で次々に殺されているかわいそうな牛たちを助けたりと、できる限りの人たちや、動物たちを幸せにしてやるのです。
もちろん、ドリトル先生も、すべての苦しむ動物たちを救い出すことはできません。ペットショップでひどい扱いをされている鳥たちや、飼育員の世話が行き届かず、悲しい思いをしている動物園の動物たちなど、助けたくても助けられない生き物のことを考え、悲しんでいることもあります。
それでも、先生に救ってもらったたくさんの動物たちが、先生を慕い、先生のために役に立ちたいと集まります。先生は、動物たちが体験する面白い冒険や、不思議な話をたくさん聞かせてもらいます。先生のまわりには、優しさと温かさと平和な幸せがいつも取り巻いているのです。
そして、ドリトル先生の物語を読む時、私達もヴァイラーギャの幸せに満ちた先生の優しさと温かさにふれることができるのです。
参考資料
- ヒュー・ロフティング著、井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカゆき』講談社、1978年