ヨガの練習に活きる、ヨガスートラの言葉6選

ヨガの練習に活きる、ヨガスートラの言葉6選

世界中で行われているヨガの、いまもっとも有名な教典といえば『ヨガスートラ』ですが、いざ読もうと思うと難しくてなかなか読み進められない。あるいは、その教えを腑に落とせず実践に活かせていない人が、多いのではないでしょうか?

どれだけ一生懸命に学んだとしても、それを日常で活用できなければ意味がありません。そこで今回は『ヨガスートラ』の中より、日々の練習に活かしやすい名言を解説。ぜひ、頭での理解だけではなく、実践的にスートラの教えを体感いただけたら幸いです。

信じて続ける常修の大切さ

『ヨガスートラ』では、常修と離欲によって心の作用の制止が達成されると説いています。信念をもって継続することをアビヤーサと呼び、ヨガの達成には絶対に必要なものです。

常修(アビヤーサ)は、長期にわたり中断なく、厳格に実行されたのなら、不動な基盤になる(『ヨガスートラ』1章14節)

このアビヤーサには3つの条件があります。

  • 完全な信念をもって行うこと
  • 中断なく継続されること
  • 非常に長い期間行われること

多くの探究者は、最初は熱心であっても、徐々に情熱が弱まってしまうものです。そうして信念が失われた実践者には、正しい成果が訪れなくなってしまいます。自分の道をどれだけ信じ続けられるのかがとても大切になるのです。

常修は初めのうちは難しく感じますが、実行することで、それが実践者の性質となります。

例えばヨガのアーサナを毎日行うという常修を行っている人にとっては、その他のあらゆる行動の常修がたやすいものとなります。
まずは一つ、自分の決めたことを継続して行いましょう。その行いが、生き方の癖になり、自分の人生を大きく変えてくれます。

強い熱意をもった人ほど、成功は早く訪れる

強い熱意で精力的に修業に取り組む人には実現が早い。(『ヨガスートラ』1章21節)

この一文は、サマディへ到達する速度について書かれた教えであり、強い熱意こそが大切だと説く言葉です。

進歩の速度を左右するのは熱意の大きさ。強く求めて、その道に真っすぐと向かう探究心の強さが、実践者を目標へと導きます。ヨガでは「求める対象」も、「対象への道」もすべて実践者の内側(心)に存在しています。

答えはすべて自分の中に備わっているのです。だからこそ、自身が献身的な姿勢で精力的に求めれば、必ず成功は訪れるのです。強く求めるものは実現するという、とても心強い教えです。

煩悩が表れても瞑想によって静めることができる

煩悩が表れても瞑想によって静めることができる
煩悩が表れても瞑想によって静めることができる

私たちの苦は、煩悩によって生まれてしまいます。自分自身の心をコントロールすることは難しいので、煩悩を消し去ることはとても難しいように感じるでしょう。しかし、煩悩は瞑想によって静めることができます。

心の働きとして表れた煩悩はディアーナ(瞑想)によって静めることができる。(『ヨガスートラ』2章11節)

すべての煩悩の根源は間違った認識(無知)です。心は、誤った認識からあらゆる迷想を生み、自分自身で苦しみの根源を生み出してしまいます。

私たちを苦しめる5つのクレーシャ(煩悩)の弱め方

そのため、無知から生まれた煩悩は、正しい知識で薄めなければいけません。瞑想とは、心の働きを止めるだけでなく、客観的に観察することも含みます。

心を観察するときには、良い想念も、悪い想念も対等に観察します。ヨガで体験することのできるプルシャとは「見るもの」と呼ばれる通り、すべてを客観的に観察している状態です。それにより、主観的な思い込みが薄まっていき、苦しみを生む煩悩が静まっていきます。

ヨガによって未来の苦が回避される

スートラでは、ヨガによって、これから起こる苦は回避されると説いています。

「ヨガの修業によって未来の苦は回避されるべきである。(『ヨガスートラ』2章16節)」

過去に起きた苦はすでに経験を経ているから、回避することはできません。同様に、現在、抱えている苦も放棄することはできません。つまり私たちは、すでに起こってしまったことに対して意識を向けるべきではないということです。

良い経験にせよ、悪い経験にせよ、過去への執着は未来へ進む妨げとなってしまいます。よって、今この瞬間から未来の自分自身を描いていくべきです。

私たちの未来は、今の自分の行動・カルマによって左右されます。現在を生きることによって、その先の未来を生みだすカルマをいかようにも修正できるのです。

本当の幸せは、外側ではなく内側になる

幸せとは物質的な富ではありません。自身に満足することが最高の幸福となります。

サントーシャ(知足)を通じ、無常の幸福を得ることができる。(『ヨガスートラ』2章42節)

八支則の2つ目、ニヤマにあるサントーシャは日常で常に意識したい教えです。

物質的な所有物によって私たちが得られる満足は、どれも一時的なものです。物質的な対象から得られる快楽は、常に新しいものを求め続けないと継続することができません。

しかし、常に求め続ける枯渇した状態は本当の幸せとは呼ぶことはできません。

幸福とは、自分の内側から湧き出てくるものです。どれだけ外の世界に求めても見つけることは叶いません。サントーシャ(知足)とは、自分である幸福を楽しめることです。

自分自身の内側から現れる幸せに気が付くことができた人は、外の世界に対しても常に幸せを感じることができます。自分の周りにいる人や、与えられた仕事、環境、その一つひとつに意識が向き、無いものへ渇望する心が消えます。

幸せを手に入れるためには、まずは自分自身の内側に意識を向けることがとても大切です。

最高の幸せへと導く、サントーシャ

ヨガの結果にさえ執着しない大切さ

ヨガの実践が進み、サンヤマと呼ばれる瞑想状態が訪れると、あらゆる霊的感覚が働くようになります。しかし、そこに大きな落とし穴があります。

高位の霊性からの招待を受けても、愛着や自惚れを起こすべきではない。さもなくば、再び望ましくない結果となる。(『ヨガスートラ』3章51節)

献身な常修によって自己のヨガを高めることができても、必ず落とし穴がやってきます。それがヨガの成功への執着です。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダによると、多くの神々はヨガ実践者が完全に解脱することを望まないそうです。彼らは嫉妬深く、実践者が成功しないように誘惑をしてきます。

実際に瞑想を深めていくと、とても神秘的な感覚を経験することがあります。しかし、その神秘体験に執着をしてはいけません。魅力的な快楽に捕らわれてしまうことで、ヨガの本来の目的を失ってしまいます。

もっと身近なところでは、アーサナの成功です。高度なアーサナができるようになると、嬉しくなって、表面的なアーサナの完成に意識が捕らわれてしまいます。しかし、意識が外的な成功に向いたことによって、自身の内側の感覚を忘れてしまいます。

ヨガの練習の結果は魅力が大きいものであるからこそ、それに対する執着に捕らわれないように気を付けなければいけません。

ヨガの落とし穴:ヨガへの執着がないか見つめ直す

ヨガスートラは、いつも私たちの道を照らしてくれる

ヨガスートラは、いつも私たちの道を照らしてくれる
ヨガスートラは、いつも私たちの道を照らしてくれる

ヨガで大切なことは実践ですが、正しい知識をもって実践することがなによりも重要です。ヨガの練習を行っている中で迷いが生まれたら、それは意識の向け方が間違ってしまっているのかもしれません。

『ヨガスートラ』は、ヨガを志す、すべての人にとっての道しるべ。ヨガの「目的・方法・ゴール」をとてもコンパクトにまとめてくれています。最初は難しいと思うかもしれませんが、このようにひとつずつ自身の練習に活かせる言葉を探していくことで、徐々に身近な存在になっていきます。

ヨガの実践は生涯続きます。つまり、『ヨガスートラ』に書かれた教えは、私たちが最後の時を迎えるまで共に過ごしていくものです。古代のグル(先生)たちから伝えられた知恵が、もっとたくさんのヨガ練習生に届くことを願っています。

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