こんにちは。アーユルヴェーダとヨガの講師をしている福田真理です。
今回から、“修行体験”をベースにした“気づき”を綴る、連載コラムをスタートすることになりました。
身体のこと、心のこと、また自分に本当に適した食のことって、わかっているようで、なかなかわからないものです。長年アーユルヴェーダやヨガをしていても、自分自身のことはまだまだ探求中。
身体も心も、刻一刻と変化をするなか、その不確かなものを、とらえ切ることはできないかもしれませんが、いつだって自分が快適で心地よくいたいから、自分への気づきが深まりそうだな、と直感が働いたものは、これからも、どんどん挑戦していきたいっ!
このコラムでは、そんな私が挑戦したもの、そしてそこから得た気づきを記録していく予定です。
第1回目は、2年前、インドのジャイプールで体験した10日間の「ヴィパッサナー瞑想」について。
「ヴィパッサナー瞑想」とは?
ご存知のかたも多いと思いますが、マインドフルネスの源流といわれ、サンスクリット語で「物事をありのままに見る」という意味の「ヴィパッサナー」。ブッダが2500年前に再発見した瞑想法で、生涯継続していたとも伝えられています。
この瞑想法は、沈黙の行としても知られ、事実、コースを受けている間、外部との連絡手段はいっさい断たれ、他の参加者との会話も、アイコンタクトさえ許されない環境に身を置きます。
1日12.5時間。睡眠時間を含めると19.5時間も目を閉じ、朝から晩まで自分と向き合い続ける日々。これまでパターン化された思考や行動、あらゆる欲望を見つめ浄化していきました。
意識の使い方で痛みも食欲もコントロール
コースを受けている間は、ヴィパッサナー瞑想以外のすべての瞑想、エネルギーワーク、ヨガも禁止。許されるのは、散歩だけ。
体を思いっきり動かしたり、マッサージなんかもできませんから、なれるまでは身体のどこかに、常にこりや痛みがある状態でした。そのことを、ティーチャーに相談すると、原因は意識が外に向いているから、ときっぱり。
「大切なのは、なぜそこに痛みがあるのか、この根本的な原因を内側に見つけなさい」と。
ヴィパッサナーの目的は、現象にとらわれることなく、常に意識を内側に向けること。ですから、たとえ体に痛みがあろうと、すべて自己を知るきっかけ、ととらえ、表面的な対処をすることは、原則ありません。
また、食べるという行為も、外向きの意識を使うとされているので、瞑想期間中は昼食以降の食事もできませんでした。
食べたいときに食べたいものを食べられる日常とのギャップ。最初は、この食への制限に恐怖心が湧いてきて、食べられるときに、お腹を満たしておこうという意識が、無意識のうちに働いてしまい……。
ビュッフェスタイルだったのをいいことに、お腹がいっぱいになるまで食べたりして。自らの欲の強さを目の当たりにしました(笑)。
それが、3、4日過ぎてくると、必要以上の量を欲さなくなったのです。自分の身体が、いま食べたいぶんを、冷静に判断できるようになり、少しの量でも満たされていくようになりました。
瞑想が進んで感覚や精神が研ぎ澄まされていくと、食べたものを消化するのに、どれだけのエネルギーを使っているのかも、わかってきて。日常生活では味わったことのない、この感覚も、食欲をコントロールできた理由のひとつです。
満腹状態だと、集中しようとしても、消化のほうにエネルギーが奪われてしまい、どうしても気が散ってしまうのです。
浄化の後、深い静寂が訪れた
さて、参加者のほとんどが、普段は忙しく働いている人が多く、山奥にある簡素な瞑想センターでは、まさに非日常を体験していくことになります。
そうすると何が起こるのかというと、身体が自然にゆるんでいき、勝手に浄化が始まるんですね。
ひたすら目を閉じ内観していくので、まず、これまで過剰に働いていた五感が落ち着きを取り戻し、それに伴い、身体の力みがどんどん外れていきます。すると、身体のあらゆる器官がゆるみ出し、咳や鼻水、げっぷなんかも出てくるように。
なかには、気候の違いから風邪を引いて熱を出す人もいて。ですから、最初の数日間は、周囲で絶えずくしゃみや咳、鼻をすする音がしているんです。それに、イラっとしてしまったり気をとられることが度々あって、先生に個室で瞑想をさせて欲しいと、相談したこともありました。
そうしたら、体の痛みを訴えた時と同様、「周りの音に気がとられるというのは、意識が外に向いているからですよ」と諭され……(笑)。とにかく、徹底して自分と向き合うことに集中していきました。
ちなみに痛みと向き合うときは、その痛みの根源(もっとも痛みを強く感じる部分)を探していきます。そうすると、ある一点に的が絞られてきて、そこに意識を向け続けていくと、す〜っと痛みが消えていくから不思議です。
そんな風に、内観が深まってくると、周囲の音にも気をとられることがなくなっていきます。
そして、4日目あたりでしょうか。参加者一人ひとりが、しっかり自分に集中できるようになったことを知らせるかのように、くしゃみや咳、身体を動かすときに発する衣服が擦れる音、それらがピタッと止み、かつてないほどの静寂に包まれていったのです。
ヴィパッサナー瞑想の本格的な内なる旅は、そこから始まります。
(後編へ続く)