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生活には最低限必要なものだけをもち、それ以外は所有しないことを「アパリグラハ」と呼びます。ヨガ的な生活を送るためには、できるだけ生き方をシンプルにしていくのが理想です。
今回は、人生をより良いものにしていくために、アパリグラハの教えがどのように役立つのかを考えてみたいと思います。
所有することが招く苦悩
沢山のモノが手に入る、それは良いことなのでしょうか?ヨガ哲学では、物を所有することが苦悩に繋がると考えています。そして、それを自覚することによって、むやみに不要なモノを所有しようとしなくなると説いています。
では、具体的にモノを所有することによって、どのような苦悩が生じるのか、見ていきましょう。
保持することへの心配
この不安感は、対象物を所有している間、ずっと続く苦悩です。ひとつのモノを手に入れると、それを管理し続けなくてはいけなくなるからです。例えば、車を持っていれば、その分メンテナンスの手間が必要となり、維持費と時間が必要となります。
失うことへの恐れ
自分の所有しているモノへの執着心は、失うことへの不安をも生みだします。沢山の遺産を持っている人ほど、それを失わないようにと必死になるでしょう。守りの思考が強くなるからです。そうした心理は、人間関係にまで影響を及ぼします。
例えば、「お金や名誉が目的で近づいてきたのでは?」という猜疑心がつねに付きまとい、人との間に壁を作ってしまう、など。「失いたくない」という不安な心は、心を不自由にしてしまいます。
失った悲しみ
プラクリティ(物質原理)の作り出した世の中のあらゆるものは無常です。所有することは、必ずいつか失う悲しみを迎えることになります。
憎しみ、怒り、不誠実、盗み
所有することは、次々にネガティブな感情を招きます。「自分のもの」「手放したくない」という感情は、やがて、それを脅かす相手に対しての憎しみや怒りを生むことでしょう。
さらに、ものを得るために、他人に対して不誠実な態度を取るかもしれません。所有欲が強くなり過ぎて思考をコントロールできなくなると、盗みを犯すことさえあります。
幸せへの近道は、思い込みをはずすこと
私たちは、何か特定のモノを得ることによって幸福になれると考えています。
しかし実際にはどうでしょうか?喜びを感じる対象を、自分の身近に置きたいという欲は、「これがなければ自分は喜びを感じられない」といった価値観を確固たるものにします。
それこそ、自分の幸せを制限してしまう思い込みです。
喜びの条件が多いほど、「あれも、これも、それも無いと快適に生きられない」という思い込みが強くなってしまいます。それらすべてを所有し続けるためには、大きなお金が必要かもしれません。
管理の時間も必要でしょう。それを守るためには、快適ではない仕事でも絶対にやめられません。必死に努力をし続けます。これでは、人生ががんじがらめになってしまうのは明らかです。このように、所有することは苦悩まで一緒に背負ってしまうことになります。
贈り物を受け取る弊害
ヨガの有名なグルであるスワミ・シヴァーナンダを始めとした多くの聖者は、贈り物を受け取ることもアパリグラハにとって良くないと説いています。
伝統的にインドでは弟子からグル(師)、または信者から聖人への高額な贈り物を良しとする文化がありますが、そのような贈り物も、ヨガ実践者は受け取るべきではないと考えられます。
物質の譲渡の危険性
人から人へと贈り物をするときに、渡されるものは物質だけではありません。利己的な人は、さまざまな理由から他者に贈り物をします。
それは、多くの場合、何らかの見返りを求めていたり、自己満足によって行われます。贈り物を受け取る人は、送り主の感情も同時に受け取ります。その感情が受け取る人の心を汚してしまうことも考えられるのです。
シンプルに生きたい人にとっては、物質的な贈り物は負担となってしまいます。たとえ、本人のためと思って贈られたものであっても、必要ないものであれば、負担が生まれます。
人から贈り物を欲しがらないことも大切ですが、人にモノを送る時にも冷静に考えた方が良いのかもしれません。
アパリグラハで取り除かれるもの
モノを所有したいという人間の要求はとても大きな感情ですので、それを手放したときには沢山の苦悩から解放されます。それが、下記の感情です。
- 恐れ・執着・失望・不安・興奮・動揺・憎しみ
- 嫉妬・怒り・貪欲・気苦労・心配・絶望・意気消沈
これらはモノに対する執着から生まれる要求なので、アパリグラハの実践によって手放すことができます。
これだけのネガティブさが消えると、心は一気に軽くなります。「これは必要」という思い込みを辞めただけで、失うことへの恐れが消え、四六時中執着心を抱く必要がなくなり、失った時の失望もなくなります。
「所有しなくて大丈夫」という心を手に入れるためには、自分自身への満足が必要です。自分に自信がないからこそ、人は物質で足りないものを満たそうとします。自分自身を見つめ直すことによって、アパリグラハは可能となり、心は自由という快適さを得ることができます。
アパリグラハで心が明瞭になり知恵が表れる
ヨガスートラでは、アパリグラハの実践によって英知が表れると説かれています。
アパリグラハが不動のものとなると、過去・現在・未来の生についてついて正しく知ることができる。(『ヨガスートラ』2章39節)
私たちが正しい知識を得ることができないのは、常に感覚が外に向いていてしまっているからです。あらゆる対象への関心がなくなった時に、初めて自分自身の真実に目を向けることができます。
日常の自分自身の思考が、どの方向に向いているのかを考えてみましょう。自然と生まれてくる思考のほとんどが、外の対象に向けられたものであるはずです。自分の周囲のモノ、周りの人間関係、環境のみならず自身の身体、感情に意識が向いている時も、思考は外の対象物に働いている状態といえます。
心をコントロールするためには、外へ向いた意識を内側に戻す必要がありますが、周りにモノが多いほど困難になります。まずは、物質的にモノを減らすことが大切です。
それだけで格段に心が軽くなります。「必要だ」と思い、一生懸命抱え込んでいたものでさえ、いったん手放してみると、思い込みであったと気が付くことが多いはずです。
アパリグラハを実践して、ものを所有しなくあることで軽くなった心は、あらゆる不純物が取り除かれて真実が見えるようになります。
真実とは本来の自己であるプルシャでです。プルシャは過去や未来といった時間に制限されない存在です。輪廻があるとすれば、過去世や来世といった時間を超えた真実を見ることができます。
アパリグラハを日常にして、快適さを体感
出家して放浪しているヨガ修行者であれば、1枚の衣類のみを持つという伝統的な修業のスタイルに専念できるかもしれません。インドでは現在でもそのような修行者を聖地で見かけることができますが、社会の中で生きている私たちにはそこまでできないでしょう。
では私たちが、自分の生活のなかでできるアパリグラハにはどのようなものがあるでしょうか。
まずは家の片づけです。モノを捨てるのは、買うことよりも大きなエネルギーが必要ですが、一度手放し、習慣づけると、余分なものを買いこまなくなります。
自分が多くの時間を過ごす家の中のものが減ることで、不思議と自分自身の思考もシンプルになることに気が付くでしょう。
物質を減らすことに慣れたら、事柄や人間関係、感情なども抱え込まない習慣を身に着けます。多くの感情は、「私は○○だと悲しい」という思い込みで起こります。「○○でないといけない」というルールを捨てることによって、多くの感情を手放すことができるようになります。
「自分の周りの空間」「自分の周りの人」「感情や思考」は、つねに影響し合っています。モノを減らすことができれば自然に気持ちは軽くなり、逆に自分の心が荒れていると部屋も汚れます。
できるだけ所有することをやめて、自由な心でいることで、快適な生き方をすることができます。