病気が見つからなければ「健康」と安心できる?
自然災害に続き、日本だけではなく世界を震撼させている新型ウィルスの感染拡大など、いま地球上にはさまざまな問題が立て続けに起きています。これは、ある種の揺り動かしともいえ、まさにいま、人々が本質に立ち返る局面を迎えているとはいえないでしょうか。
おそらく、多くの人がこのことに気づいているのではないかと思います。昨今の健康意識への高まりも、そのひとつかもしれません。健康というものが、ただ単に数値上の良し悪しで判断されるべきものではなく、あるいは肉体的な側面だけで測れるものではないことに、多くの人たちが気づいています。
かつて健康とは、単に「病気でない状態」を指し、このことを「ヘルス」と呼んでいました。つまり病院で検査に異常のなかった人はすべて「ヘルス=健康」だったのです。
しかし、いくら数値に異常が出なくても、大きな病気の予備軍ともいえる人々が多くいることが問題視されるようになりました。こうした未病の状態であっても、医学的な数値に異常がなければ健康なのか。時代の変化、また人々の意識の進化とともに、そこが健康の本質を問う論点となったわけです。
目指したいのは、調和と平和の先にあるウェルネス
こうした背景によって、見直されるようになった言葉が「ウェルネス/Wellness」。先に記した「健康」の定義に踏み込み、かつより高く広い視点から見た健康観を意味します。1961年、アメリカの医学者、ハルバート・ダンによって提唱され、作られた言葉です。
ウェルネスが目指すのは、単に病気ではない状態ではありません。精神面はもちろん、食生活から人間関係など、日々の生活すべてが調和的であることです。そして、ここに到達するには、食生活やストレス管理など、生活習慣を変えることが重要であるという研究が進み、かつ多くのエビデンスが世の中に広がることになります。
結果、QOL(Quority Of Life)という言葉にも注目が集まり、生活の質を向上させることが、真のウェルネスにつながっていることに多くの人々が気づきはじめ、生活から健康を見直す流れが起こるようになりました。
一人ひとりが、本質に立ち返るとき
全米ウェルネス協会によると、「肉体的/精神的/社会的/情緒的/知的/職業的」に健康で最適な状態をウェルネスというそうです。
一見すると、いまは健康の本質の根幹をなす「安全・安心」が大きく揺らぎ、世界中がウェルネスとは真逆の環境に陥っているように感じられます。各国でロックダウンが実施され、外出の自粛が余儀なくされる先の見えない日々に、不安や恐怖、あるいは怒りにも似た感情が込み上げてくることもあるでしょう。
けれど、一度動きを止める静なる時間も、ときには必要なのかもしれません。こんなときだからこそ、たっぷり自分の声に耳を傾け、これまでの生活を振り返るチャンス、ととらえることもできるように感じます。
ヨガのアーサナや瞑想にじっくり取り組みながら、深い呼吸を繰り返してみる。時間をかけて食事を作り、ゆっくり味わう。部屋の中をていねいに掃除したり、あるいはデジタルデトックスをしてみるのもいいかもしれません。
そうして、外側で起こる出来事から、一瞬でもいいから自分を切り離してみる。それだけでも、心に安らぎをもたらすことができるはずです。その積み重ねは、やがて、より強くてしなやかな軸になり、どんなことが起きようとも、いつでも心はやすらいでいられる状態を生み出すことでしょう。
いまこそ、一人ひとりの心の平和・調和が問われているともいえます。そうして初めて私たちは誰も何も傷つけることのない食、生活習慣、人間関係、社会活動、経済活動とは何かと、真剣に向き合うことができます。
そこには、人間主体の視点だけではとうてい至ることはできません。だからこそ、静かに自分と向き合う時間を経て、調和的に物事をとられえられる視点を構築することが必要になると思うのです。
そうして自然や動物を含め、地球全体の多様な生命が調和のなかで共存するためにできることをホリスティックに見つめ直し、それを実践し、生きることが、いまも、これからも、私たちに求められているのではないでしょうか。
1日も早く、いつもの日常が戻ること。そして、いまこの時間がより多くの人にとって豊かさになることを祈りつつ……。