宮沢賢治の心情が読み取れる、黒手帳の手記
「雨ニモマケズ」を知っていますか。
2011年に起きた東日本大震災のあと、香港での被災者支援チャリティーコンサートのテーマソングとして使われたり、日本を代表する俳優・渡辺謙が朗読したりと、被災地の方々の被害状況や復興への数々の困難に負けない実直な姿と重ねられ、耳にした方も多かったのではないでしょうか。
小さな黒い手帳に書かれていた、この美しく憂いを帯びた一文は、『銀河鉄道の夜』で有名な宮沢賢治の遺作です。
宮沢賢治の生前には、この手帳があることは誰にも知られず、没後、弟さんによってトランクの中から発見されました。賢治が残したいくつかの手帳は、作品として書いたものではなく、その時の心情や考えを書きとめたものが多く、その当時の彼自身の反省や願望が書かれていたようです。
「雨ニモマケズ」もやはり最後は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と、彼の希望で締めくくられています。
一時期、菜食主義でもあったと言われている賢治ですが、この文中にも「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と食事についての記載があります。時は移り現代でもダイエットやマクロビ菜食などで、にわかに注目を浴びている玄米と味噌の生活。さて、賢治も憧れたこの食生活、「雨ニモマケズ」バージョンで考えてみましょう。
栄養バランスは大丈夫?
「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」という記載で、まず目を引くのが、1日にひとり玄米4合という量です。
この文の書かれた第二次世界大戦前の日本の食生活は、主食が麦飯や玄米でした。副食が味噌汁で、昼食夕食に肉や魚など少量のおかずが一品つく以外は、漬物などで大量の米を食べる状態だったようです。
この場合、一般に1日ひとり6合以上は食べないと、いわゆる肉体労働に必要なカロリーを摂取できず、1日玄米4合は、粗食の比喩であると考えるべきだそう。
次に味噌。これは副食である味噌汁を指しているものでしょう。味噌自体は発酵食品としてとても優秀な食材ですね。栄養豊富でバランスもよく、玄米と一緒に摂ると、効率良くビタミンやミネラルなどをお互い補い合う形になります。
賢治が岩手生まれであることを考えれば、おそらく味噌の中でも栄養豊富な赤味噌だったかもしれませんね。
玄米と味噌のふたつから考えると、エネルギー源としての炭水化物は十分ですが、ミネラルやビタミン、脂質やタンパク質に関しては不十分。これらをこのふたつから摂るとしたら、かなりの量の味噌汁になります。
もしも一日中肉体労働をしているなら、不足しがちな塩分も補え、同時に栄養バランスも良くなるかもしれませんが、そうでない場合、かなりの塩分過多の危険があります。
最後の「少シノ野菜」はどうでしょう。玄米や味噌に含まれるとはいえ、もっとも不足するものがタンパク質。タンパク質の多い緑黄色野菜や枝豆、空豆などの豆類を食べることを考えたら、バランスがとれてくるかもしれません。しかし、それ以外にもビタミンやミネラル、必須アミノ酸など、必要不可欠な栄養素のことを考えたら…。どうやら「少シノ野菜」ではバランスを補うのは難しそうですね。
どんな食生活でもバランス良く
宮沢賢治は仏教信仰をきっかけに菜食生活を始め、ストイックに5年間ほど続けた後、再びもとの食生活に戻りました。しかし気持ちの中では肉食をネガティブにとらえており、現・岩手大学農学部を卒業し、農学校の教師を退職した後の独居自炊時代は、菜食主義を研究し、粗食をしていたそうです。
実は宮沢賢治の研究者の中には、賢治の早世の原因のひとつに彼の食生活をあげている人もいます。当時の平均寿命は50歳ほど。賢治は37歳で亡くなっています。
医療体制や衛生面が整っていなかったことも要因のひとつでしたが、日本のかつての食事は栄養バランスが悪く、決して健康的ではありませんでした。
賢治が憧れた「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」という食生活。かなりヘルシーで、それなりにバランスのいい食事といえるかもしれません。しかし今現在うたわれている理想的な日本の食生活とは、単にかつての食事ではなく、日本食のベースをふまえた上でバランスの取れた食事のこと。
どうやらこのワンフレーズは、「質素倹約に努めて」という意味合いで受け取った方がよさそうですね。やはり食事は、無理せず、楽しく美味しくが一番です。自分と家族にベストな栄養バランスを考えてみてくださいね。