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今の自分の人生にどれだけ満足できていますか?
自分と同年代の友達と比べて焦ってしまったり、自分の理想との違いに悲しんだりしてしまう時もあるかもしれません。しかし、人生には、その時々で行うべきこと(ダルマ)があり、この今やるべきことに一生懸命向き合うことで次のステージに進むことができます。
今回は、インドで考えられている4つの住期についてご説明します。住期とは、簡単にいうと、ヒンドゥー教につたわる理想的な人生の過ごし方のことです。
インドでは人生を4つの時期に分ける
私たちは、生まれてから必ず成長して大人になり、老いて、寿命を向かえます。
デーヒン(主体)はこの身体において、少年期、青年期、老年期を経る。そしてまた、他の身体を得る。賢者はここにおいて迷うことはない。(『バガヴァット・ギーター』2章13節)
インドでは、人生を幸せに生きるためには生涯を4つの時期に区切り、その時期ごとに行うべきことが考えられています。
まず、4つの住期についてご説明します。
4つの住期(アーシュラマ)
ヒンドゥー教徒は、8歳から12歳の時に紐をかけられる儀式を行い、カーストの一員として認められます。それによって、ヴェーダを学ぶことが許され、学生期が始まります。
1:学生期(ブラフマチャリヤ)
この時期は、グル(師)に絶対的に服従して、学ぶことに専念します。『ヨガ・スートラ』の八支則にもブラフマチャリヤという教えがありますが、学生期には禁欲を守らないといけないとされます。伝統的には、この時期にヴェーダを学びます。
2:家住期(ガールハスティヤ)
結婚して、職業について生計をたてます。子どもを育てて、一家の繁栄に対する責任があります。インドでは今でも親の選んだ相手と結婚することが多く、占星術やカーストのルールで結婚相手が決められます。
3:林住期(ヴァーナプラスタ)
今まで得た財産や家族を捨てて、社会的な責任からも解放され、人里はなれた場所で生活します。自分の息子が結婚して子どもをもうけたあと、全てを子どもに任せて家の奥で隠居生活をする場合も多いです。
4:遊行期(サンニヤーサ)
乞食となって巡礼を行い、この世のあらゆるものに対する執着を手放します。
この4つの住期は各25年で区切られます。学生期は24歳まで、家住期は49歳まで、林住期は74歳まで、遊行期は100歳までです。
必ずこの通りに行わなければいけないとは決まっていませんが、人生の理想的な生き方として考えられています。
自分自身の実現には、今が大切
日本とインドでは社会の仕組みが違うのでピンとこない方もいるかもしれません。しかし、ものごとの大きな流れとして住期(アーシュラマ)を理解していると役に立ちます。
満足する仕事がしたいと思うのならば、土台となる学び(学生期)をおろそかにしてはいけません。ゆっくりとリラックスした生活を求めるのであれば、そこまでに忙しく働く時間も必要なのでしょう。
人生のすべての瞬間において、今の自分が未来の土台となっています。「今」をないがしろにしてはいけません。たとえ、まだ求める自分自身に到達していなくても、今、自分に与えられた職務を全うすることによって、はじめて次のステージに到達できます。
例えば、今の仕事が大変で、もっと余裕をもって仕事をしたいと願っているとします。もしも、「楽したい」だけの逃げの姿勢でで離職してしまうと、現職ではなにも学ぶことができなかったため、次の就職で自分が快適だと思える仕事を見つけるのことは大変かもしれません。
しかし、いったん現職に精一杯向き合った人は、自分にできること、苦手なことを学び、その上で自分にとって良い選択をできるので、離職しても新しい環境で自分の道を見つけやすいです。
たとえ与えられた職務が自分の求めるものでなくても、最善を尽くす。これはカルマヨガです。
自分のダルマ(義務)に躊躇してはいけない。あなたがクシャトリア(王族・武族)としてあるゆえ、戦うこそが最上のダルマであるのだから。(『バガヴァット・ギーター』2章31節)
どのような現状にも落胆せず、ひたむきに生きることで、大きな成功を得ることができます。
それぞれの時期に行えるギーターのヨガ
バガヴァット・ギーターで多くの種類のヨガを紹介しているのは、それぞれの住期にいる誰もが実践できる方法を説いているからでもあります。
今自分に与えられたダルマ(役割)を理解して、その時々の最善を尽くしましょう。
学生期(ブラフマチャリヤ)には学ぶことに専念
ギーターでは、学ぶことをギャーナ・ヨガと呼びます。
ギーターで説かれる知識は、暗記するだけでは意味がありません。自分自身の行動を変えて、人生を変えるための勉強です。
大人になってからでも、資格試験や、新しい仕事などで学ぶ期間が訪れます。学ぶことは、自分自身の生き方を変えるためにとても大切なことです。早く実践を…と焦らずに、その瞬間は自分自身の知識を高める学びに専念することが大切です。
家住期(ガールハスティヤ)は社会への感謝と奉仕の時間
家族の世話や、仕事が忙しくて、自分のやりたいことができない時期、それはカルマヨガを行う時期だと考えましょう。
本当はもっと勉強したいことがある、自分磨きに時間を使いたいと思っているかもしれません。しかし、社会のために行うカルマヨガも、自分を高めるために最も効果的なことで、効果は自分自身に帰ってきます。自分に与えられた職務に対して、見返りを求めずにひたむきに取り組むことで、自身の輝きに気が付くことができます。
林住期(ヴァーナプラスタ)に自分と向き合う
先ほど、林住期には隠居をする人も多いと書きましたが、日本では隠居というと、ご高齢の方をイメージするかもしれません。インドでは通常、自分の子どもが子どもを設けて、一家を養うようになると林住期に入りますが、今の日本社会では職業の定年年齢も高齢化しているのでピンとこないでしょう。
しかし、プチ林住期の状態は人生で何度もあるかもしれません。
ヨーギーは隠れた場所に一人で住み、心を制し、欲がなく、所有することない状態で瞑想すべきである。(『バガヴァット・ギーター』6章10節)
例えば、大きな仕事が片付いた時、子供が学校へ行くようになって時間ができた時、少しでも自分自身のための時間が確保できるようになると、初めて自分がやりたかったことに向き合えます。
遊行期(サンニヤーサ)は死への準備期間
遊行期には、完全に家族との連絡も断って巡礼を行います。現在のインドでも、聖地を訪れると小さな斜めかけカバン一つで放浪する恒例の実践者を多く見かけます。
憎しみと欲をともに持たないモノは放棄した人(サンニャーシン)として知られる。相対性から自由であるそれらの人は、安易に束縛から解放される。(『バガヴァット・ギーター』5章3節)
死への恐怖を始めとしたあらゆる束縛心は、執着から生まれます。ヨガでは、執着を弱めることによって苦悩の原因を断ち切ります。
家族さえ捨てて旅をすることは、非常に寂しいことのように感じるかもしれませんが、ヒンドゥー教徒にとってはブラフマン(宇宙)と一体になるための修業を行うもっとも贅沢な時間です。
人と比べずに自分の職務を全うすることが大切
インドの伝統と違い、多くの日本人には自分の人生を選択する自由があります。自由は与えられた権利であるのと同時に、自分で選択する大きな義務でもあり、心の負担となってしまうことがあります。
その結果、いい仕事に就きたいという希望が大きくなりすぎて、思った職を手に入れられない自分の価値が低いと思ってしまったり、現状の仕事にやりがいを感じれなくなってしまうかもしれません。
自分のダルマ(義務)を全うすることは、不完全であっても、他の人の成功に勝る。自分のダルマを全うして死ぬことは幸福である。他者のダルマを行うことは危険である。(『バガヴァット・ギーター』3章35節)
もし、他の人がキラキラと輝いているように見えても、嫉妬したり、真似する必要はありません。誰にでも、それぞれに輝ける場所があります。
自分自身の人生を幸せに生きるためには、自分に与えられた職務を全うすることが大切。無いものねだりではなくて、今の現実に満足すること。
それが、クリシュナの説いた人生の生き方です。