こんにちは!丘紫真璃です。今回は、キップリングの名作『ジャングル・ブック』をとりあげたいと思います。
オオカミに育てられた少年モーグリとジャングルの物語は、ディズニー映画にもなったので、よく知っているという方も多いかもしれません。インドのジャングルの密林の中で躍動するモーグリの物語は、同じインドつながりということもあり、ヨガと通じる部分が多くあるようです。
それでは、モーグリと仲間達の待つジャングルをのぞいてみましょう。
ジャングル・ブックとは
『ジャングル・ブック』は、イギリス人作家、ラドヤード・キップリングによる名作です。キップリングは、1894年に『ジャングル・ブック』という短編小説を。1895年に『続ジャングル・ブック』という短編小説をそれぞれ発表していますが、日本では、これら二つの本を合わせ、モーグリの活躍する短編だけを抜き出して一冊の本にしたものを『ジャングル・ブック』と呼ぶのが一般的です。
今から私が紹介させていだたくのも、モーグリの物語だけが抜き出された、モーグリが主人公の『ジャングル・ブック』になります。
ヤマに通じるジャングルの掟
『ジャングル・ブック』の舞台は、インドのジャングルです。ある夜、狩りをしようと出かけたオオカミ夫婦が、茶色のはだかの人間の赤んぼうをジャングルのしげみの中で見つけます。それは、トラにさらわれて逃げ出してきた赤んぼうでした。
赤んぼうが、オオカミ夫婦をちっとも怖がらずににっこり笑ったので、オオカミ夫婦はこの赤んぼうがかわいくなり、追いかけてきたトラから赤んぼうを守ってやります。そして、自分達の乳飲み子と共に、人間の子を育てようと決めるのです。
人間の子をオオカミの仲間として受け入れられるかどうか、オオカミ会議が開かれますが、どうやらモーグリは、オオカミ仲間に受け入れられることになります。そして、オオカミを兄弟とし、くまのバルーや、黒ひょうのバギーラに見守られ、教えられながら、すくすくと育っていくのです。
ところで、モーグリの住むジャングルには、「ジャングルの掟」というものがあります。それは……
世界でも、とびぬけていちばん古くからあるものだが…ジャングルにいるものたちの出くわしそうな、ほとんど、どんな場合だってあてはまるようにこしらえてあるから、いまではそのきまりは、時間と習慣とでもって、だんだん完全なものにされて、もうどこにもまちがったところがなくなっているくらいだ。
ー 『ジャングル・ブック』恐れのあらわれかたより[1]
というくらい完全なもので、この掟をモーグリは、くまのバルーから徹底的に叩き込まれます。
ところで、このジャングルの掟が、ヨガのヤマと似通ったところが多く、なかなか興味深いのです。ヨガと通じるジャングルの掟を、ここでいくつかご紹介してみましょう。
おまえは じぶんと つれあいと 子どものために 必要なだけ また おまえにできるだけ殺してもいいぞ。だが、殺すのがおもしろいというんで、殺しちゃいけない。
ー 『ジャングル・ブック』ジャングルの掟の歌より[1]
これは、アヒンサーに通じる教えだと思いませんか。アヒンサーとは「非暴力」とか「不殺生」と訳されます。生きるために必要なもの以外は決して殺してはいけないし、なぐさみのために暴力をしてはいけないというジャングルの教えは、まさしくアヒンサーそのものですよね。
一匹でとったえものは そのおおかみの食べもの。なにをしたってかまわんのだが、そいつが いいっていうまでは なかまがそのえものを すこしだって 食べてはいかんのだ。
ー 『ジャングル・ブック』ジャングルの掟の歌より[1]
これは、アスティーヤ(不盗)ですよね。
またアスティーヤには、人の邪魔をして、その人の時間を盗んだらいけないという意味もふくまれますが、ジャングルの掟でもまた、だれかのじゃまをしてはいけないという教えがあります。
ひるま木の枝にねているこうもりマングにぶつかっておこしたとき、どういうか。水たまりの水へびのなかへ飛びこむまえに、どういって知らせたらいいか…このようなことを、モーグリは、くまのバルーから教わります。
この他にも、だれかと出会った時には必ず礼儀正しく「いい狩りがありますように」と必ずあいさつをしあわないといけないとか、いつでも正々堂々と正直でいなくてはいけないとか、ジャングルでは、どんなことがあっても怒りをおさえて冷静でいなくては命がないことなど、ヨガのヤマを思い起こさせる教えを受けて、モーグリは育ちます。
オオカミか人間か
ところがある時、モーグリをオオカミ仲間として受け入れてくれたオオカミのかしら、アケーラが、弱ってしまい、かしらの座を追われます。そのとたん、今まで、アケーラに従ってきたオオカミたちが、アケーラにそむきます。そして、モーグリのことも、
人間だ。人間だ。人間と、おれたちと、なんのかかわりがあるんだ?
やつを、人間の中に、追い返せ。
ー 『ジャングル・ブック』赤い花より[1]
と言って、オオカミ仲間から追放します。
そこで、モーグリは、人間の村へゆき、メシュアという女の人と共に暮らすことになるのですが、そこでは今度は「オオカミの子」と呼ばれ、いじめられるようになります。村の人々が、メシュアとモーグリにひどいことをするようになったため、モーグリは、ジャングルに戻り、一人きりで狩りをしようと決めるのです。
こうして、モーグリは一人で狩りをするようになりますが、モーグリを愛する兄弟オオカミたちや、年老いたオオカミのアケーラ、くまのバルーや黒ひょうのバギーラ、へびのカーなどに助けられ、教えられ、ジャングルの中で、どんどんたくましく育っていきます。
こうして、愛するけものたちと、ジャングルの恵みをたっぷり受けて満足して暮らしていたはずのモーグリなのですが、17歳の春、胸苦しいようなおかしな感じに襲われます。
ぼくの力は、ぬけてしまった。それも、毒のせいじゃない。夜も、昼も、ぼくの跡を、足音がふたつ、追いかけてくるような気がするんだ。
ふりかえってみると、そのとたん、ぱっと姿をかくすみたいなんだ。木のかげを探してみても、いやしない。呼びかけてみても、だれも答えてこない。
しかし、どうもだれか聞いていて、答えだけ、してくれないといった感じだ。横になっても休まらんのだ。春の駆けっこをするが、心がおちつかない。水浴びをしても、すずしくならん。(略)
赤い花が、ぼくの体のなかに燃えてるが、ぼくの骨は、水だ…それで…ぼくには、もう何が何だかわかりゃしない。
ー 『ジャングル・ブック』春に駆けるより[1]
こんな妙な感じに襲われ、胸が重苦しいモーグリに、くまのバルーが言います。
モーグリが、モーグリじしんを、人間仲間へ追い返すのだ。
ー 『ジャングル・ブック』春に駆けるより[1]
そして、
モーグリよ、お前の道をいくがよい。お前の血をわけた身内、仲間、同類たちと、巣をつくるがよい。
ー 『ジャングル・ブック』春に駆けるより[1]
と伝えます。
ぼくはここを出て行きたくない…そう泣きつつ、それでもやはり、最後にはモーグリは、愛するジャングルと別れ、人間の村へと去っていきます。
新しい道を歩むために、モーグリがジャングルを去ったところで、『ジャングル・ブック』は終わります。
ジャングルの掟に守られて
オオカミ仲間からも追い出され、人間からも追い出され、そして今もう一度、ジャングルを離れて、人間の中で暮らしていこうとするモーグリにはこれから先、さまざまな苦労があることでしょう。けれども、モーグリはどんなことがあっても自分を見失わずに、まっすぐに生きていけるのではないかと、私は思います。なぜなら、モーグリには、ジャングルの教えがあるからです。
ヨガのヤマにも通じる教え…アヒンサーや、アスティーヤ、サティヤ、アパリグラハは、モーグリにしっかりと根付いています。
「ぼくは食べもののためでなきゃ、二度ともう殺さないんだ」と言いきるモーグリは、アヒンサーをいつでも守るでしょうし、ほかの人のえものには決して手を出さず、アスティーヤを守るでしょうし、正々堂々と正直に、サティヤを守って生きるでしょう。
ヤマを守りきることは、なかなかできそうでできないことです。私達は生きるのに必要なもの以上のものを食べて贅沢することが身についてしまっていますし、いつも、自分の気持ちに正直に、正々堂々といるほど強くなることはなかなかできません。
でも、モーグリには、それができます。オオカミから追いだされたり、人間から追いだされたり、人食いトラと戦ったり、赤犬の殺し屋と大胆な戦いを繰り広げたりと、様々な経験を経て、ジャングルの教えをしっかり身につけたからです。
これから先、どんな困難がまちかまえていても、ジャングルの教えに忠実でいる限り、モーグリは、道をまようことはないでしょう。なぜって、ジャングルの教えにはまちがったところなどないくらいなのですから。
ジャングルのグルたちは、モーグリがジャングルを去り、人間仲間の所へ去っていく時、別れの歌を贈ります。
殺しのナイフが ひっこぬかれても
掟を守って 道ふみはずすな
ー 『ジャングル・ブック』別れの歌「バルー」より[1]
モーグリは大好きなジャングルの仲間たちのためにも、きっと、ジャングルの掟を守りつづけるでしょう。それが、これからのモーグリを守り続けるでしょう。
そして、モーグリと共にジャングルの掟を教わった読者もまた、困難な人生を生きるヒントを、ジャングルからもらうことができるのかもしれません。
参考資料
- ラドヤード・キップリングー著、木島始訳『ジャングル・ブック』福音館書店、1979年