みなさん、こんにちは!今回は、アストリッド・リンドグレーンの名作『山賊のむすめローニャ』を取り上げてみたいと思います。
日本では、宮崎吾朗監督によりテレビアニメ化されましたので、ご存知の方も多いのではないかと思います。「山賊版のロミオとジュリエット」と呼ばれるこの作品の、どこにヨガを見ることができるのでしょう。早速、ローニャの山賊の世界に飛びこんで考えていきたいと思います。
『山賊のむすめローニャ』とは
『山賊のむすめローニャ』は、スウェーデンの代表的作家アストリッド・リンドグレーンが1981年に発表した作品です。
『長くつ下のピッピ』をはじめ数多くの優れた名作を書いたリンドグレーンですが、『山賊のむすめローニャ』は、そんなリンドグレーンが70歳すぎて書いた最後の作品です。「山賊版ロミオとジュリエット」は、70歳過ぎても衰えないリンドグレーンの創作力を感じさせる名作中の名作といえるでしょう。
敵の息子ときょうだいに
主人公のローニャは、マッティス山賊のかしらの一人娘です。ローニャは、お父さんのマッティスとお母さんのロヴィス、それからたくさんの山賊と共に、マッティス森のマッティス城で、にぎやかに暮らしています。
ところで、マッティス山賊には、長年の天敵がいます。それが、ボルカ山賊です。ある日、天敵のボルカ山賊が、マッティス城の一部に移り住んできます。ボルカ山賊達は、兵隊の取り締まりで住処を追われ、マッティス城にやってきたらしいのです。
マッティスは、天敵のボルカが自分の城に移り住んできたことに、怒り狂います。そして、何とかして、ボルカ達を追いだそうと、あれこれ知恵をしぼります。
一方、ローニャは、一人の男の子に頻繁に出会うようになります。ボルカ山賊のかしらの一人息子であるビルクです。ローニャとビルクは、天敵同士のため、初めはつんけんした態度を取り合います。
けれども、崖から落ちそうになった所を助け合ったり、雪のふきだまりから抜け出せなくなった所を助け合ったりしているうちに、だんだん仲良くなってきます。そして、ついには「きょうだい」になろうという約束を交わすまで仲良くなるのです。
おれには子どもがいない
ローニャとビルクは、お互いの両親に内緒でこっそり仲良くし続けていました。ところが、ある日、悲劇が起こります。ローニャのお父さんのマッティスが、ビルクを人質にとったのです。
仲良しのビルクが、自分の父親の手によって縛られ、傷つけられた様子を見て、ローニャの目に怒りの涙が浮かび、父親に向かってこうどなります。
人間をとっちゃ、いけないわ。そんなことしたらもう、わたし、あんたのむすめでいたくなくなるから!
ー 『山賊のむすめローニャ』〜はてしない争い〜より[1]
そして、ローニャは、ビルクを助けるために驚きの行動に出るのです。何と、自ら、ボルカのもとにおもむいて、ボルカ山賊の人質となるのです。
ローニャの驚きの行動により、ローニャとビルクがこっそり仲良くなり、「きょうだい」になっていたことが明らかになってしまいます。ローニャの父親マッティスは、「おれには、子どもはいない」と言いはなち、ローニャなんていないかのようにふるまうようになってしまいます。
ビルクの方も両親にさんざんひどいことを言われました。そこで、ローニャとビルクは家を飛び出し、森の奥の洞穴で、たった二人だけで暮らすようになるのです。
春から夏にかけて、二人は力を合わせて、森の中で生き抜きます。そして、仲たがいや、生命の危険など様々な試練を乗り越えて、ますます固い絆で結ばれるようになります。
冬になり、洞窟での暮らしが厳しくなってきた頃、マッティスが、ローニャとビルクのもとにやってきます。マッティスは泣きながら、ローニャをだきしめて、うちに帰ってきてくれるように心からたのみます。そして、ビルクにもこう言います。
ほんとうは、おまえをぶんなぐりたいところだ。だが、おれはそうしない。
かわりに、おれは心からおまえにたのむ。いっしょに今、マッティス城にかえってくれよってな!
ー 『山賊のむすめローニャ』〜命はむだにできない〜より[1]
こうして、ビルクを受け入れ、ローニャと和解したマッティスは、とうとうボルカ山賊とも和解するようになります。マッティス山賊とボルカ山賊は一つの大きな山賊の集団になり、父同士もまた「きょうだい」になろうと約束をかわすまでになるのでした。
世界は心で変わる
サンスクリットの格言に、
人は心なり。束縛あるいは解脱は汝自身の心中にあり
というものがあるそうです。
「ビルクは、ろくでなしのボルカの息子だ」と、ローニャの心が思っているうちは、ローニャにとって、ビルクはろくでなしの憎らしい男の子にすぎませんでした。
ところが、「ビルクは、わたしのきょうだい」と思うようになってからは、ローニャにとって、ビルクはなくてはならない人になります。そして、二人きりで森の中で協力して生き抜いていくうちに、ローニャにとって、ビルクはどんどん大事な人になり、
ビルク、わたしのきょうだい、生きようと死のうと、わたしたちを別れさせられるものはなんにもない。
ー 『山賊のむすめローニャ』〜命はむだにできない〜より[1]
とまで思うようになるのです。
マッティスにとっても、はじめビルクは、不倶戴天の敵の息子にすぎませんでした。ところが、ローニャがビルクときょうだいになったことで、マッティスの中でビルクは「おれのむすめがすきなやつ」に変わります。
そして、最後には、
おれのむすめがおまえをすきだってのは、おれにはわかってるし、それにおれも、そうなるように、じぶんをしつけられるかもしれん。
ー 『山賊のむすめローニャ』〜命はむだにできない〜より[1]
と、言うまでに変わるのです。
マッティスにとってのビルクはそこまで変わりました。そして、それが、マッティス山賊とボルカ山賊の長年の争いを終わらせたのです。そうして、敵同士だったマッティス山賊とボルカ山賊は一つになり、お互いに協力するようになるのです。
けれども、ガンコなマッティスにとっては、心を変えるのは並大抵のことではありませんでした。ボルカを憎むという長年の心を変えるために、マッティスは、半年も苦しみ続け、陰気にげっそりとやせ、一切笑わなくなり、危なく川に飛びこむところまで追いつめられたのです。
マッティスをここまで変えたのは、ロ-ニャがいつも自分の心に素直に正直に、ヨガの言葉で言うサティヤの精神で行動したからといえるでしょう。
ローニャはいつもまっすぐで、暴力をきらい、曲がったことをきらい、ウソは絶対につきません。ローニャは、自分の心に素直に、ビルクときょうだいでいたいという気持ちを通します。
ビルクを助けるためには進んでボルカ山賊の人質になるし、そのことが原因でお父さんと仲たがいした時には、すぐに家を飛び出して、たとえ森の洞穴でこごえ死にそうになっても、父が折れて、ビルクを受け入れるまで、決して家にはもどりませんでした。
マッティスは、そのローニャの気持ちを受け止めたのです。
パタンジャリが、
サティヤに徹した者には、行為とその結果がつき従う
ー 『ヨガスートラ』第2章36節より[2]
(『ヨーガ・スートラ』第2章36節)
と言っていますが、まさしく、サティヤに徹しようとしたローニャが、父を変えたといえるでしょう。
父同士がいがみあっていた時は、まわりにすばらしい春が広がっていても、ローニャは、その美しさに気がつくことができませんでした。けれども、物語のラスト、再び春がやってきた時、ローニャは、ビルクと共に心の底から春の森を楽しみます。
まるでこの大地のはじめての朝のように、じつにすてきです!(略)
ふたりはぶらぶらとじぶんたちの森をぬけていき、すると、まわりには、すばらしい春のすべてがひろがっています。
ー 『山賊のむすめローニャ』〜春の叫び〜より[1]
春に包まれて嬉しいローニャは、鳥のようにかんだかい声で、よろこびの叫びをあげ、森じゅうに響かせます。同じ春の森でも、ローニャの心一つで、悲しいものにも幸せなものにもなるのです。
世界は、それぞれの心が、それぞれに作っていくのです。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』と同じような舞台設定ではありますが、ラスト、読者の胸に来るものは全くちがいます。
『山賊のむすめローニャ』では、登場人物それぞれの心がお互いを思いやり、受け入れあうことで変わってゆき、それによって今までとはちがった新しい世界が広がっていく…その様子をまざまざと見ることができます。
ローニャと共に、息もつかせぬドラマチックな物語をくぐりぬけ、悲しい春も、幸せな春も味わった読者の皆さんはきっと、『山賊のむすめローニャ』を読み終わった時、ローニャと共に春の叫びをあげたくなることでしょう。
参考資料
- アストリッド・リンドグレーン著、大塚勇三訳『山賊のむすめローニャ』岩波書店、1994年
- スワミ・サッチダーナンダ著、伊藤久子訳『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガスートラ』めるくまーる 、1993年