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世の中が大きく変わろうとしているのを感じます。
変化の中ではラジャス(激しさ・動き)の性質がとても高くなります。ラジャス性が優勢になると、渇望や執着、怒りや競争心が高くなってしまいます。そのような状態だと、常に比較をしがちで、人と人との関係がギスギスしてしまう場合があります。だからこそ、ヨガ哲学の基本であるアヒムサがとても大切になります。
アヒムサは日常生活に最も活かしやすい教えであり、ヨガ哲学の中でも特にポピュラーなものなので、以前の記事でもご紹介していますが、改めて今、心に育てたいアヒムサの教えについて説いてみます。
変化の時代に人がギスギスしやすい理由
たった一つのウイルスの流行によって、世界中の人々の生活スタイルが急激に変化しました。多くの人が自宅で長い時間を過ごすことになり、自宅の環境を快適にと見直したり、仕事も自宅でできるようにと、四苦八苦しながらも模索して、新しいアイディアが沢山生まれたと思います。
このように、今できることを精一杯行う人が増えた中、マスメディアやSNSでは、他人を否定するような言葉が目につきがちです。言葉の暴力がどうして生まれやすくなってしまうのでしょうか。
ラジャス性が上がると恨みや妬みが増してしまう
世の中を作り出す3つの性質の中で、ラジャスは最も激しい性質です。
ラジャスの性質には激しい動き・行為・激情・渇愛・渇望・執着・妬み・躁状態・貪欲・怒り・妬みなどがあります。
ラジャス性が上がっている状態をうまくコントロールすることができれば、溢れるエネルギーをモチベーションと自分の目標への活力へと昇華させることができるでしょう。
しかし、感情に流されてしまうと、激しいエネルギーによって攻撃性が生まれてしまいます。とはいえ、この優勢になっているラジャスを無理やり押さえつけようとしなくても大丈夫です。
エネルギーの向け方を変えていくことによって、暴力性を弱めることができます。
平等というヨガの教えによって叶うアヒムサ
どうして他人を批判するのか?
それはアハンカーラ(自我意識・エゴイズム)という自分と他者を区別する概念によって起こります。自我意識のことをヨガ・スートラではアスミターと呼び、5つの煩悩の一つとして数えられます。
私たちは、「自分と他人」と区別をすることで多くの苦しみを生みだします。
- 自分と他者のどちらが優れているかを比較する。
- 友達の方が恵まれた環境にいると嫉妬する。
- 自分よりも劣っている相手を下に見る。
- 自分と違う考えをしていると否定する。
しかし、ヨガの考え方では、優れている・劣っているという比較はクレーシャ(煩悩)の生み出す間違った認識です。
賢者は、学術と修養をそなえたバラモンに対しても、牛、象、犬、犬喰に対しても、平等(同一)のものと見る。(『バガヴァッド・ギーター』5章18節)
自分に対しても、他者に対しても、つねに執着なく客観的に見ることができれば、「良い・悪い」という2極的な評価をしなくなります。
自分自身と同じように、他者にも平等に与えられた生命・アートマンが宿っています。それは、外面の姿に関わらず純粋であり、宿った身体の現世でのダルマ(職務)を全うしようとします。
自分自身の内に宿るアートマン(個の本質)に祈りを捧げて、同じように他者のアートマンにも平等の祈りを捧げましょう。クリシュナはヨガを平等の境地だと説きましたが、それを理解することによって他者へのアヒムサを叶えることができます。
アヒムサを育てるためには、自分を大切にすること
他者に対する攻撃性(ヒムサ)が良くないと分かっていても、自分の心をコントロールすることはとても難しく、無意識に否定的な思考が生まれてしまうことがあります。または、アヒムサに反するような思考の働きが生まれてくると、自分自身を否定してしまうかもしまいません。
アヒムサ(非暴力)の実践にとって大切なことは、自分自身を大切にすることです。心の中に否定的な思考が生まれてくるのは、自分自身が満足できていないからではないでしょうか?
アヒムサを含めた5つのヤマ(非暴力・嘘をつかないこと・盗まないこと・禁欲・無所有)は、社会生活を行う上での道徳のように考えられがちですが、ヨガの実践は全て自分自身の心と向き合うためにあります。
外側に向いた意識を内側の方向に向けることで、ヨガの実践は成功に近づきます。少し遠回りに見えますが、まずは自分の心の中から変えることで、自然と他者に対しての行いも変わってきます。
自分自身と向き合うには……
どのように心の不純性であるヒムサ(苦痛を生みだすこと)を弱めることができるのでしょうか?
不純性が消えていく、ステップは下記のとおりです。
- 外の世界に影響を受けないヨガの実践の時間を設ける
- 今の自分の状態を観察する(身体・呼吸・心)
- 自分自身を知ったら、それを受け入れる
- 執着を手放す
- 心が自由になる
「ヨガは、心の働きを制止させること」定義されますが、それは、今ある思考に無理やりフタをして隠す行為ではありません。まずは自分自身を観察するところから始めます。
もし自分自身に気持ちを向けることが難しければ、自分の身の回りのものに意識を向けるところから始めましょう。
日常で行う、自分を大切にするアヒムサの実践
ラジャス性が上がっている時には、過去・未来・外の世界などに心が翻弄されています。今、目の前にある現実をないがしろにするラジャス的な心は「足りない」という不安な気持ちを生みだします。
ヨガは、マットの上だけで行うものではありません。生活の中で、どれだけヨガ的な心の状態を保つことができるかを挑戦してみましょう。
食事をしている時
食事の時間は、「今」に意識を向けることのできる大切な時間です。テレビを見ながら、もしくは、スマートフォンを触りながらでは、今頂いている食べ物の味をしっかりと感じることができませんね。
アシュラム(ヨガの修業道場)では、食事の時間にはおしゃべりをすることは許されません。私たちが口にするものは、エネルギーとなり、自分自身の一部となります。それは、身体的な健康だけではなく、心の豊かさにも繋がります。
食事の時間をしっかりと楽しむことは、自分自身を豊かにすること、自分自身へのアヒムサにも繋がります。自分自身を大切に思うことができれば、他者に対しても同じように接することができるようになります。
短くても自分を癒す時間を作る
自分のためだけに、なにかをする時間を作りましょう。または、家族と一緒にいるのであれば、今、目の前にいる大切な人と、自分の両方に対してでもいいでしょう。
特別なことをする必要はありません。丁寧にこだわって一杯のコーヒーを淹れる。キャンドルを焚いてリラックスしながら湯船につかる、寝る前にくつろいで音楽を聴く時間を作る。
1日の中で、15分でも良いので、自分のための時間をじっくり味わう習慣をもつことが大切です。
しっかりと心を「自分」に向けておく習慣を作ることで、不必要な比較を行わなくなります。自分を大切にできるようになると他者のことも大切にできるようになります。
暴力を手放すと感じられる自由
私たちが行ってしまう暴力のほとんどは無自覚なものであり、「未来のために」「社会のために」「誰かのために」と思っていることがほとんどです。しかし、過去や未来、他者や世界のことに集中していると、自分自身の土台となる部分がブレてしまいます。
まずは、自分自身へのアヒムサをじっくりと育てましょう。自分の食べるもの、いる空間、身に着けるものに意識を向けて、何が自分にとってのアヒムサかを見直します。心の中のヒムサ(暴力性)という不純物を弱めることで、心が軽くなり、自由を感じることができます。
ヨガでは、いつも自分を変えることから始めます。外側に向いてしまった意識を、内側に戻すことを忘れなければ、アヒムサは難しいことではありません。