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前回の記事に続き『ハタヨガ・プラディーピカ』に書かれたヤマとニヤマについてご説明します。今回は、10個のニヤマです。ヨガの実践をさらに引き立てるための大切な心得なので、ぜひ参考にしてください。
心のバランスを保つための実践法
今回も、『ハタヨガ・プラディーピカ』1章を基に説明していきます。
非暴力、誠実、不盗、禁欲、忍耐、堅固、思いやり、素直さ、節食、浄潔は10のヤマである。苦行、知足、神霊信仰、布施、自在神への祭祀、教典の聴聞、賢明、慚愧、マントラの念誦、祭祀は10のニヤマである。(『ハタヨガ・プラディーピカ』1章16節補説)
ニヤマは心のバランスを保つためにとても大切な実践です。
ヤマに比べて自身の内側に焦点を向けた戒律が書かれていて、自己の魂(ジヴァートマ)や至高の魂(パラァートマ)と一体になるための支えとなります。
苦行・熱業(タパス)
インド発祥の地インドではタパスの実践者のことをタパスィンと呼びます。伝統的に、インドではとても苦しい修業をするタパスが行われてきました。中には、命にかかわるくらい厳しい断食や、水の中で極限まで息を止めるようなものもあります。
しかし、『ハタヨガ・プラディーピカ』1章15節目では過労はヨガの障害になることが書かれ、61節では断食やその他の身体を苦しめる実践は避けるようにと書かれています。
ヨガ実践者にとって適切なタパスとは、自分の心を強くするためのチャレンジです。毎朝、決めた時間に起きて瞑想をすること、欠かさずにアーサナを実践すること、甘いものなど好物を断つ断食などでも良いでしょう。自分にとってのタパスを決めて、長期間続けることができれば、意志の強さが身に付きます。
知足(サントーシャ)
サントーシャとは、いつでも現状に満足することです。
私たちの心は、今足りないものに意識が向きがちです。しかし、人間の欲には終わりがありません。一つを手に入れても、さらに欲しくなってしまい、いつまでたっても満たされず、小さなことで文句を言ってしまうことも。
その結果、人間関係が悪化することもあるでしょう。そしていよいよ、お別れという時になって、ようやく相手の存在の大切さに気が付き、関係修復を望むも、すでに手遅れだった…というのは、よく聞く話です。
人は、何か新しいものを手に入れるよりも、今すでに与えられているものに目を向けることによって幸せになれます。
サントーシャは無理やり心をコントロールしようとしても難しいのですが、他のヤマやニヤマの実践を行うことで自然に身に付きます。
神霊信仰(アースティキャ)
クリシュナマチャリア師は、アースティキャを至高の魂(パラァートマ)への深い信仰だと表現していて、それは『ヨガ・スートラ』におけるイシュワラ・プラニダーナととてもよく似ています。パタンジャリは、イシュワラをシヴァやヴィシュヌなどの特定の神ではなく、全てのグル(師)にとってのグルだと表現しました。
信仰とヨガを同等のものだと考えるかについては賛否があると思いますが、自然の中で感じる「大いなる力」に祈りを捧げることは、自分自身の本来の潜在的な可能性を信じることにも繋がります。
布施・喜捨(ダーナ)
お布施と聞くと、宗教色を強く感じるかもしれませんが、ダーナは自分に与えられたものを他者に分配する慈悲の心を意味します。
もしも自分にお金がないのならば、与えるものは金品や物質である必要はありません。自分の時間や、知識を他者に分け与えることもダーナに入ります。
ダーナは、喜んで自分の富を与えることを意味するので、みかえりや評価を求めて行ってはいけません。与える喜びを人々がお互いに感じるようになれば、争いなんて起こらないのではないでしょうか。
自在神への祭祀(イシュワラ・プージャナ)
イシュワラは『ヨガ・スートラ』にも出てくる、「神」という意味の言葉で、「プージャー」とは神への祭祀や崇拝することです。
崇高な存在に対して祈る行為は、自我意識(エゴ)を弱めるためにとても有効です。
『ヨガ・スートラ』の中では、イシュワラとはプラクリティ(物質原理)に汚されていない純粋なプルシャ(真我)だと説明されています。私自身の中にもプルシャは存在しますが、通常は物質的な身体や心の働きによって覆い隠されてしまっています。
イシュワラという純粋さに心をゆだねることは、自分自身のプルシャ(真我)に近づくためにとても大切です。
教典の聴聞(シッダーンタヴァーキャラヴァナ)
伝統的なヨガの教義について勉強することを意味します。例えば、『ヨガ・スートラ』や『バガヴァッド・ギーター』などのテキストを読んだり、談話を聞くことは、ヨガの実践の一部として考えられています。
なお、ヨガの教えを学ぶときには、実践を積んだ先生から学ぶことが重要とされます。経験を積んだ先生から学ぶことで、教典に書かれた言葉の意義を、より深く心に響き、腑に落とすことができるからです。
インドでは、ヨガを学ぶもの、伝える人が集まって、一緒に教典を朗読したり、説法を聞くサット・サンガ(純粋な集い)をとても大切にしています。
慚愧・謙虚さ(フリー)
フリーは「慎み深さ・羞恥心・臆病さ」などの意味があります。ニヤマとして読み解くときには、謙虚さという言葉がしっくりとくるかもしれません。
「私は知っている」という態度は、ヨガを学ぶ上で大きな障害となります。一方、謙虚さは、学ぶものにとって自由と解放感を与えてくれます。ヨガは、子どものような心で、いつでも新鮮さを感じることによって、スポンジのように吸収することができます。自分の成長のためには、謙虚さが大きなカギとなります。
賢明(マティ)
マティは現実を見るための明快な洞察力です。
ヨガでは、自己の本質であるプルシャ(真我)と物質世界を作るプラクリティを区別することをヴィヴェーカ(真の知識)と呼びます。ヴィヴェーカを養うためには、ものごとを表面的に捉えるのではなく、常に本質について知ろうとすることが大切です。
マティの実践はヨガの練習中だけでなく、日常のあらゆる対象に対して深く観察し、熟考することによって深まっていきます。
マントラの念誦(ジャパ)
ジャパとは、マントラを繰り返し唱えることを意味します。
その中でも最も有名なマントラはOm(オーム)です。パタンジャリは『ヨガ・スートラ』の中で、イシュワラを表したものがオームの聖音であり、オームを唱えながらその音の意味するイシュワラを念想することによって、内観力が高まり、ヨガの障害が消え去ると説いています。
インドでヨガの実践を行うときに、マントラを唱えずに練習を始めることはありません。オーム・シャンティのような短いものであっても、その音に集中してマントラを唱えることによって、自身の意識を内側に向けることができます。
また、マーラー(数珠)を使ったジャパも一般的です。マーラーは108つの珠で作られているため、マーラーで数を数えながらオームやガヤトリーなどのマントラを唱えます。
祭祀(フタ)
フタは、ヴェーダで定められているような伝統的な儀式を実行することを意味しています。主に、神に対する献供・供物を奉げることを意味します。
奉げるものは食べ物などの物質だけではありません。『バガヴァッド・ギーター』においては、自身の行動を捧げものとして行うように説かれています。
祭祀のための行為を除いて、この世の人々は行為に束縛されている。アルジュナよ、執着を離れて、その(祭祀の)ための行為をなせ。(『バガヴァッド・ギーター』3章9節)
自身の行動を捧げものとして行うことによって、結果への執着やエゴが自然と弱まっていきます。執着心を弱め、欲望を放棄するためにフタは効果的な実践です。
10個のニヤマによってヨガに適した心の状態を整える
10個あるニヤマの意味を理解して覚えることは難しいと感じるかもしれません。しかし、どのニヤマもヨガを学ぶ人にとってとても大切な心得です。
聞きなれないサンスクリット語で暗記する必要はありません。例えば、「謙虚でいること」「祈りの心を抱くこと」「深く考えること」といったように、自分にとって分かりやすい言葉で手帳などに書いて、定期的に見直すのも良いでしょう。
ニヤマを意識しているだけで、ヨガの効果をとても受け取りやすい心の土台が作られます。