今回のインタビューで、先生に聞いてみたいことがありました。
私自身もですが、インドで共にヨガの練習をしていたクラスメイト達の多くが、その後の人生がガラリと変化していきました。それはなぜなのか。
ヨガが生き方に与える影響について、先生はどのように考えられているのか早速伺ってみたいと思います。
ヨガが人生に与える影響
ご自身の経験、あるいは生徒の経験をとおして実感されていることを教えて頂けますか?
なかでも驚いた経験と言えば、あまりヨガに興味がなく、ヨガの効果を信じていない人でさえ、ヨガを始めて数か月たつと変化が始まるということ。
例えば、私が中国でヨガの指導をしていた時のこと。ある生徒が私のところにやってきて、「先生、私には問題があるんです」と相談しに来たんだ。
私が、「何が問題なんだい?」と聞くと「肉を食べたくないんです」という。
「それは問題じゃないよ。肉を食べたくないなら、食べなければいいじゃないか。」と答えたら
「いや、私が肉を食べないことで、家族が私に問題にあるのだと思い、病院に行けと言ったり、治療をさせられたり、困っているんです」と。
面白いのは、この生徒は一度も哲学を勉強したことがないし、ベジタリアンについて何も知らなかったこと。フィットネス目的でアーサナの練習をしていただけだったんだ。
しかも1日、たったの1時間。週に5日間だけの練習。週末はヨガスタジオに行かず、ヨガのことは忘れていたね。
それでも、数か月たつと、自分の習慣が変わっていると気が付く。特に食習慣。
さて、じゃあ、どうしてそんなことが起こるのだろう?
エクササイズに来て、身体を動かして、結果、食習慣が変わった。しかたなく肉も食べるのだけど、すごく不快だと感じる。
ヨガでは、身体を引き締めているのではなくて、実は、習慣を引き締めているんだよ。それは、とても神秘的な形で体現される。
ヨガの実践は「身体と心」を引き離さないから、そのような変化が起こる。アーサナを行えば、それによって心や思考の習慣が変わる。考え方を変えることができると、ふるまいや習慣が変わる。私は沢山の人が変わるのを見てきた。
もしも毎日1時間ヨガに時間を費やしたなら、ヨガ教典に書かれていること全てをカバーできているよ。ヨガの本に書かれていることは、すべて経験から来ていることだから。
本が私たちに教えてくれたわけじゃないよ。実践によって教典ができあがったんだ。
ヨガ哲学を学ぶコツ
ヨガの教典に書いてあることは全て経験できること。パタンジャリが『ヨガ・スートラ』に何を書いたのか、編集したのか、いつ書いたのかを突き詰めるのは、それほど大事なことじゃないんだよ。
『ヨガ・スートラ』に書かれていることは、人の心について、人のふるまいについてであり、それは全ての人にとって平等な教え。時代が3000年前だろうと、現代だろうと、ヨガによって経験できることは変わらない。
なぜならば、それは自然の法則だから。世界中どこでも、全ての人類にとって平等。自然の法則と自分自身を繋ぐとき、私たちは自由になれる。それがヨガの哲学が教えることで、人の人生とは切り離すことはできないものなんだね。
生きているということは、すでにヨガを学んでいるということ。コツなんてものはない。必要なのは、外側に覆いかぶさったものを取り除くための時間を作ること。
心に染みるギーターの言葉
あなたは、あなたの友である。あなたは、あなたの敵である。あなたは自分を向上することができる。あなたは自分を堕とすことができる(『バガヴァッド・ギーター』6章5-6節)
この言葉について考えることによって、とても大きな影響を受けたんだ。自分の過去の行動の結果に対しての責任を認めれば、それは人生の希望となる。自分が自己の未来の主となれる。
なぜなら、今起こっているこいることは、自分の過去の行動(カルマ)の結果だから。そう考えると、今起こっていることを理解できるようになるよね。
今起きていることは全て、自分の過去の結果だと知ること。そして、自分自身の行為に対して責任をおうこと。全ては自分の責任なので、逃げることはできない。
私たちは、向き合わなくてはいけない。そして、自分の行いの結果に責任をもって生きることが、成功への道なんだ。
向き合って、責任を認めることは厳しい言葉のように感じますが、同時に、自分で未来を変える自由を手にすることなのですね。
インタビューを終えて
今回のインタビューは、哲学に関して聞いてみたいなと思っていたのですが、結果的に先生が終始おっしゃっていたことは「ヨガは経験が全て」ということでした。ちゃんと実践を行えば、数千年前の古代の聖者が感じたのと全く経験ができるというのは驚きですね。
哲学を学んでいる時でも、知識に偏らず、必ず自身の体験を大事に積み上げようと思いました。