「わかってもらえない」と思いがちなあなたへ 

私達はコミュニケーションを学んでいない

相手が誰であっても、コミュニケーションはとても難しいスキルではないだろうか? 言葉で伝えるにしても、文章で伝えるにしても。ノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)ならなおさらか!?

同じ言語を操る人同士、同じ年代、同じ趣味を持つ同志…であっても、通じない時はさっぱり通じない。それなのに、私達は意外にも、コミュニケーションを学ぶ機会がほとんどない。学生時代、国語の授業でコミュニケーションについて学んだだろうか?否!外国語の授業でコミュニケーションについて学んだだろうか?否!!社会人になってから研修などでコミュニケーションについて学んだだろうか?否…!!!思い返しても、どこでもコミュニケーションを学んでいないのだ!

そもそも「コミュニケーション」とは?

コミュニケーションとは何だろうか?例えば英会話教室へ行くと、会話形式の授業になっていることが多い。あれはコミュニケーションのクラスだろうか?私の考えでは、否だ。コミュニケーションとは「意思のキャッチボール」。単に言葉をやりとりしているのでは、コミュニケーションとは言えないのではないだろうか。

もっと言うと、「意思のエネルギーのキャッチボール」。言葉だろうが、態度だろうが、文字だろうが、そこにあるエネルギーが相手に伝わる。だから、メールなどで文字には書いていない感情が読み手に伝わり、書物では行間に込められた思いまで受け止めることになる。

キャッチボールでは、どこにどんなボールを投げるのかを考えて投げる。野球のキャッチボールの基本は、相手の胸をめがけて投げること。外野からバックホームへ送球する時は、三塁ランナーが走ってきた時、キャッチャーがランナーにタッチしやすい位置、すなわちホームベースの三塁側寄りの場所へ投げることが理想になる。このどちらにも言えるのは、次のプレイがしやすい位置を目指して投げるということだろう。コミュニケーションもこれと同じではないだろうか。

男性と女性では会話の仕方が違う

理解しやすい適切な言葉などのエネルギーを投げる。それが、コミュニケーションキャッチボールの第一投。ただ、こちらが相手の胸めがけてど真ん中に投げたとしても、この後の受け手の反応が予測できないことが、コミュニケーションの難しさかもしれない。相手が上の空だったり、感情的だったり、斜に構えていたり、すでに色眼鏡をかけていたり、話題に興味がなかったり。そうなると、ボールを真ん中に投げたとしても、戻ってくるボールはあさっての方向へ飛んでいったり、そもそもボールが相手にぶつかってしまったり、ふいに動いた相手の横をむなしくそれて落ちていったりすることも考えられる。

また、男性と女性では、脳の構造の違いから、求めるコミュニケーションの仕方が異なるという。人工知能研究者であり、脳科学コメンテーターである黒川伊保子氏は著書の『女の機嫌の直し方』(集英社インターナショナル)で、こう書いている。

「女性の話は、とかく本題からそれる。(中略)本題に入る前に、別件に心をゆだねるのには、実は理由があるのだ。女性は、右脳と左脳の連携がよく、直感が働きやすい。このため、ものごとを決するときにも自然と直感を使う。(中略)本題に入る前に寄り道をして、神経繊維に電気信号を流す練習をしているのである」

「複雑系認知傾向にある女性脳が花模様やフリルを愛するのと対照的に、合理系認知傾向にある男性脳はいわば、“省エネ脳”、簡潔な事象への好感度が高い」

女性は遠回りをしてやっと結論にたどり着く話し方をするが、これは遠回りをしている間にさまざまな直感が働き、パズルのピースを集めているから。一方で男性は、シンプルに、主語+術語があって、その後に修飾語がついてくるほうが理解しやすい。なぜなら、『話を聞かない男、地図が読めない女』(アラン・ピーズ/バーバラ・ピーズ著、藤井留美翻訳/主婦の友社)によれば、「男性は話す時、左脳しか使っていない。(中略)男性が話している時の脳をスキャンすると(中略)、男性には言葉を話す時に活発になる領域がほんの少ししかない(ロンドンの精神医学研究所で認知精神薬理学を研究するトンモイ・シャーマ博士による)」からだ。

キャッチボールは相手に期待しない

心理カウンセリングの現場などで言われているのは、「投げたボールは相手のもの」ということ。こちらは投げることしかできない。受け取り方や投げ返し方は、こちらが期待するべきものではないのだ。だから前述のように、戻ってきたボールがあさっての方向へ飛んでいこうが、それを取りに行って戻り、また自分として適切な場所へボールを投げるしかない。…というか、投げればいい。

ここで大切なのは、コミュニケーションを楽しむことができるかどうかは、自分次第だということ。自分の意思のエネルギーを投げた時、相手がどんな風に受け止めるのか、どんな風に投げ返すのかは、思い通りにはいかないのだから、「そんなものか」と思って、ワクワクしながら次の展開を待てばいいわけだ。…というか、それしかできない(笑)。

「意思のエネルギー」って何だ?

ところで、コミュニケーションのボールである「意思のエネルギー」とは何だろうか? これはヨガをする私達はよく知る、八支則の中のヤマにある「サテャ」だ。「ウソをつかない、真実を言う」などの意味だが、その本質は「本気の意思のエネルギーを伝える」ことだと思う

拡大解釈かもしれないが、態度や表情や雰囲気、書いた文字、タイプした単語など含め、すべての中に宿っている「送り手のエネルギー」を心の底からきちんと伝えるのが、コミュニケーションの基本であり、すべてだと思う。これは『Yogini』を作り続けて、それ以上に30年マスコミで仕事をしてきたことで身に染みている。ここにエゴが入った時には間違ったり、後々恥ずかしい思いをしたり、残念な結果になることが多い。ごまかしが利かないのだ。

言い訳でもないが、仕事にミスはつきものだ。ただ、そこにどれだけエネルギーを込めていたかで、後の結果は異なる。まさに「今ここ」にいて「サテャ」で届けたエネルギーはウソをつかない。転んでも、必ずいい結果をもたらしてくれる。

「わかってもらえない」と感じる時に

たった今そうでなくても、時にコミュニケーションにおいて「どうして理解してもらえないんだろう」と思うことは、わりとあるだろう。それがちょっとしたことであっても、重大な局面でも。流せる話もあれば、決裂に至るケースもある「わかってもらえない」。これは、身もフタもない言い方だが、仕方がないことなのだ。

なぜなら、相手はあなたではないから。自分のこともわからない私達は、他人のことなど到底わからないし、それでいい。それは嘆くことではなくて、楽しむこと。そしてだからこそ、「意思のエネルギー」を大事にしたい。自分はどんなエネルギーを送るのか。相手にきちんと響くエネルギーを送れるか。一緒に振動してくれるエネルギーを届けられるか。コミュニケーションで大事なのは、その一点なのだ。本気のエネルギーを送り出せば、相応のエネルギーが返ってくる。それがカルマ。いいコミュニケーションを作るのは自分なのだ(これは聴く時も同じだ。「聴く」ことはまたいつか話したい)。

だから、コミュニケーションにスキルはいらない。言葉だっていらない。言葉はあったほうが便利だが、言葉が通じない動物とだって意思は通じるのが、その証拠。これを読んだあなたは、たった今から、コミュニケーションの仕方を変えてほしい。「意思のエネルギー」を送るのだ、というように。そうすれば、この先のコミュニケーションは、今までと違う質になっていくに違いない。

 

Text=Yogini編集部
イラスト=macco