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『バガヴァッド・ギーター』の中での最も大きなテーマはバクティ(神への信愛)です。一般的にバクティはクリシュナ神への信愛を意味しています。このバクティの形は一つではありません。
愛には様々な形があると考えられているので、それぞれの形で神への信愛を表現することが許されています。
今回は、9つのバクティについて説いてみます。
心を豊かにするための9つのバクティ
バクティ(神への信愛)というと、宗教的な要素が強いと思われています。事実、インドではヒンドゥー教の大切な教えです。
ただ、信愛の気持ちや、祈る心は、たとえ特定の神を信じていなかったとしても、またヒンドゥー教徒ではなくとも、自身の心を磨くうえで必要なことではないでしょうか。
また、例えば自然の美しさに感動した時でも、生まれたばかりの赤ちゃんを愛しく想うときでも、その時の感情の動きはバクティ・ヨガに繋がっています。
今回取り上げる9つのバクティは、人が対象を思うときの、あらゆる感情を形にしたもので、宗教という枠を超え、普遍的な真理を説くものなのです。
バクティの種類
- スルヴァナ(Sravana) – 神についてのストーリーを聞くこと
- キルタナ(Kirtana) – チャンティング、神の讃歌を歌うこと
- スマラナ(Smarana) – 神のことを常に想起していること
- パッドサセーヴァナ(Padsasevana) – 神の足元で奉公すること
- アールチャナ(Archana) – 神への崇拝(プージャ)、捧げもの
- ヴァンダナ(Vandana) – 神に伏し拝むこと
- ダッシャ(Dasya) – 神に完全に仕えること
- サークャ(Sakhya) – 神と友人のようにふるまうこと
- アートマナヴェーダナ(Atmanivedana) – 神と一体になること
これら9つのバクティを全て実践する必要はありません。自分自身が最もしっくりとくるものを1つだけでも深めることで恩恵を受けることができます。バクティは他のヨガと同様に、長時間継続して行うことで、自分の心の習慣が変わり、自身を高めることができます。
1) スルヴァナ:神についての話を聞く
インドでは本当に沢山のサット・サンガ(純粋な集まり)と呼ばれる集会があります。そこでは、先生からこの世の真理について・神について・よりよく生きる実践方法についての話を聞きます。
言葉は発した人の性格を反映するため、正しい知恵を与えてくれる先生から話を聞くことが大切だとされます。もちろん、ギーターなどの教典を読むことも大切ですが、人の言葉を通して聞くと、さらに心に深く入ってきます。
2) キルタナ:神の讃歌を唱えること
神の名前のマントラを繰り返し唱えるキルタンは、バクティ・ヨガの実践として最も有名なものですよね。マントラとは、音の力をつかって、感情や心の奥深くに働きかけます。
たとえマントラの意味が分からなかったとしても、多くの人はキルタンで感動して涙を流します。神聖な音には、人の心の不純性を洗い流す効果があります。
マントラは、意味が分からなくても効果がありますが、意味を知ることで何倍もの恩恵を受けることができます。自分の好きなマントラがあったら、その意味を調べてみるといいですね。
3) スマラナ:常に心と神を繋げていること
継続して神を心の中にとどめておくことをスマラナといいます。これは、1日24時間、一時も忘れないことを意味します。
人間のほとんどの感情は、時間とともに消えていきます。例えば、失恋の悲しさなどは、その瞬間には、生きているのが苦しいくらい大きなものですが、数日、数週間、数か月、年と月日が経つと自然に風化していきます。それに対して、神への信愛は一生涯続くものであるべきだと考えられています。
とても難しいことですが、例えばキルタンなどはスマラナの実践として、とても重要です。歌を繰り返し歌っていると、ご飯を食べている時や仕事中にも自然に頭の中に流れていたり、朝、目が覚めた瞬間にもまだ同じ歌が流れていることがありますよね。
スマラナは様々なヨガの実践と関係しています。
- カルマヨガ(行動のヨガ):自分自身のあらゆる行動に常に意識を向けている状態。
- ギャーナヨガ(知識のヨガ):自分の本質(アートマン)やブラフマン(宇宙の本質)に常に心を繋いでおくこと。
- バクティ・ヨガ(神への信愛のヨガ):神への信愛を常に心に抱いていること。
どのようなヨガの実践を行っていても、どれだけ長い時間、心に留めておけるかでヨガの効果は何倍も変わってきます。ヨガマットの外での実践の大切さが分かりますね。
4) パッドサセーヴァナ:神の足元にて奉公すること
パッドサセーヴァナはカルマヨガと関係が深いヨガです。
ギーターのカルマ・ヨガでは、自分の行動を神への捧げものとして行い、その成果に執着しないことの大切さについて説かれています。
祭祀の残り物を食べる善人は、全ての罪悪から解放される。(『バガヴァッド・ギーター』3章13節)
インドでは、尊敬する人に対して、その人の足を触って尊敬の意を表します。そして、アシュラム(ヨガの修業道場)では、師や神の足元で働かせて頂けることに感謝しながら、与えられたカルマ・ヨガ(掃除や炊事など)を行います。
5) アールチャナ:神への捧げもの
インドでお寺に参拝するときには、それぞれの神様が好きなミタイ(スイーツ)やココナッツ、果物、花などをお供え物として持参します。インドのお寺の前には、必ずスイーツやお供え物セットが売られている屋台があります。お寺で神へ捧げものをしたら、残りものをプラサーダとして受け取ります。
また、インドの一般家庭では、お母さんが料理をした後、自分たちで食べる前に必ず神に捧げてから頂きます。これも、私たちの食事は、神へのお供え物であり、その残り物を頂くという考え方によるものです。
お布施をすること、アールチャナは、自身のエゴを手放すためにとても有効な実践です。「自分のもの」という欲を弱め、執着心を手放せると考えられています。
6) ヴァンダナ:神の前でひれ伏すこと
心から神を尊敬することで、自分は神よりも低い存在であることを知り、心の中にあるエゴは弱まっていきます。
インドでは、あらゆるものの中に神が宿るとされます。例えばバヤンという木は神の木だとされ、人々は木の前でひれ伏して礼拝します。
ホーリー・バジルとして知られるトゥルシーは、各家庭で栽培されていますが、トゥルシーの木は神だと信じられているため、神の像に行うように布をかけ、自身を清めてからお祈りをして、そのあとで葉っぱを少しだけ摘んでお茶などにして頂きます。
ヴァンダナは、精神的なバクティ・ヨガの実践です。
7) ダッシャ:完全に神のしもべとなること
パッドサセーヴァナでは自身の行動を神への捧げものとしましたが、ダッシャでは、自分自身を完全に神に捧げて一生を捧げます。とても強いバクティ・ヨガの信仰です。
最も有名なのは、『ラーマーヤナ』の登場人物であるハヌマーン神です。ハヌマーン神は猿の王様ですが、自分自身をラーマ神のしもべとして生涯を捧げることを決めました。
また、B.K.Sアイアンガー先生など、ヨガに生涯を捧げた人を、ダッシャの実践者とよぶこともあります。さらに、ミーラーバーイという有名な中世の王女は、自分自身をクリシュナ神に捧げ、一生涯クリシュナ神への歌を歌うことに専念しました。
ダッシャで重要なのは、自ら望んで行うことです。まるで奴隷のように、自身を犠牲にしてでも仕えることがありますが、それは、信愛する神や対象のためであれば幸福だとされます。
8) サークャ:神と友のようにふるまうこと
対象的に、神と親友としてふるまうバクティもあります。
『バガヴァッド・ギーター』における、クリシュナとアルジュナの関係がこれです。アルジュナは友であったため、怖気づくことなく心に浮かんだ疑問を全てクリシュナに聞くことができました。
サークャにおいて大切なことは、たとえフレンドリーに接していたとしても、深い尊敬の想いを忘れないことです。
9) アートマナヴェーダナ:神と一体になること
あらゆるバクティ・ヨガの結果、自分自身と神が完全に一体になることができたら、その状態のことをアートマナヴェーダナと呼びます。
ギーターのヨガでは、自己意識(アートマン)と宇宙意識(ブラフマン)を一体にすることを目指します。これは至高の状態であり、あらゆる苦悩から自由になることができます。
自身の祈りとは何かを考えてみましょう
インドで実践されているバクティの種類について紹介しました。祈りの捧げ方は一つではありません。どのバクティであっても、自分自身のエゴを弱めて、心を浄化することができます。
祈りの心があれば、日常の食事や仕事も全てバクティ・ヨガの実践となります。自分にとってのバクティが何かを考えてみましょう。