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ヨガの哲学とは幸せになるための方法
ヨガを山に例えるなら、目指す山頂はいたってシンプルだ。それは、スッカ(幸福)になること!
苦悩やツラさから解放され、毎日を自分らしく幸せに生きていくことこそが、ヨガの最大の目的なのだ。
その頂上に至るために、先人達は試行錯誤を繰り返しながら、さまざまな道を切りひらいてきた。その道が記されているのがヨガの根本教典であり、教本と呼ばれているもの。
教典や教本よって登り方は異なるので、ここでは『ヨーガ・スートラ』と『バカヴァッド・ギーター』的なゴールの目指し方を見て行こう。
『ヨーガ・スートラ』的にゴールを目指す
私達が苦悩を感じるのはそれが本当の自分ではないから。本来の自分とは、幸せの意味そのもの(アーナンダ)。
八支足の段階を踏み、本来の自分を隠している苦悩や無知を切り離して苦しみから解放され、欲を手放すことで本来の自分を目指そうというのが『ヨーガ・スートラ』だ。
たどり着いた先には、教典の冒頭に記されている心(チッタ)の動き(ヴルッティ)を自己に収め(ニローダ)、リラックスして人生を楽しんでいる本来の自分が待っている。
『バガヴァッド・ギーター』的にゴールを目指す
行動の結果を求めず、結果に執着もせず、ただその時に自分が果たすべき役割を果たしていこう。それが『バガヴァッド・ギーター』的な山の登り方。
途中の道で迷ったり、険しい登り坂が延々と続くように見えても、歩き続けることが大切だ。つまり、目の前の「今ここ」だけに意識を集中して生きることで、悲しみや苦しみ、不安や恐れから自由になる。
最終的にはアートマン(真我)と結びつき、すべての存在はブラフマン(普遍的な存在)の表れだという悟りに達する。
『バガヴァッド・ギーター』の三つのヨガ
八支足で有名なヨガの根本教典である『ヨーガ・スートラ』。対して、『バガヴァッド・ギーター』は、大叙事詩『マハーバーラタ』の一部でヒンドゥー教を代表する聖典であり、カルマヨガ、バクティヨガ、ギャーナヨガについて書かれている。
カルマヨガ=行為のヨガ
「日々の社会生活の中でヨガを行ずることができる」とした行動的、意思的なヨガ。与えられた仕事をまっとうしようとする心が解脱へと導くとされる。現世への執着を断ち切るヨガでもある。
バクティヨガ=献身のヨガ
神を信じ、自分の感情や思考、行動などすべての要素を捧げ、結果を神(天)に預けること。自分の内側に持つ本質に従うことが、自分を幸せにするという教え。愛情のヨガ、信仰のヨガとも言われる。
ギャーナヨガ=知識のヨガ
探究と洞察を重視。正しい知識を得ることが歩みを深めることになるとし、哲学的な観点から見つめる。哲学的思索により、感覚を制御して自我を克服し、真理に到達する方法。
ヨガをして、生きる喜びを知る
今の日本では、生きづらさを感じている人は少なくないだろう。「ねばならない」、「こうあるべき」が多く、ストレスでがんじがらめ。毎日を乗り越えることで精一杯かもしれない。
そんな私達に「生きるって本当はもっと楽しいよ! 気持ちいいよ!」と教えてくれるのがヨガ。
どうやったら毎日を心地よく過ごせるのか、そのヒントが詰まった先人達の智恵を借りて、自分にあったルートから、山の頂を目指して行こう。
文=Yogini編集部