みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。今回は、日本の代表的児童文学作家である斉藤洋さんのデビュー作『ルドルフとイッパイアッテナ』を見ていきたいと思います。
『ルドルフとイッパイアッテナ』は、講談社児童文学新人賞や、路傍の石幼少年文学賞など、数々の賞を受賞している作品で、それもそのはずとうなずける、大人も思わず夢中で読みふけってしまう作品です。
このルドルフという黒ネコとイッパイアッテナというトラネコの友情物語のどの部分にヨガを感じることができるのか、早速、見てみることにいたしましょう!
子どもにも親にも喜ばれる人気名作『ルドルフとイッパイアッテナ』
『ルドルフとイッパイアッテナ』は、1987年に出版された斉藤洋さんのデビュー作です。1991年にNHK教育テレビ「母と子のテレビ絵本」で放映されたほか、2016年には、劇場アニメ作品が制作されており、何度もテレビ放映されているところから見ても、その人気ぶりがうかがえます。
30年以上前に出版された本にもかかわらず、その人気は未だに衰えることを知らず、ルドルフシリーズ全四作は、子どもだけでなく、その親たちにも喜んで読まれています。大人の方にも、楽しんでいただける名作です。
教養のあるネコを目指して
主人公であり、物語の語り手は、黒ネコのルドルフです。リエちゃんという女の子に飼われていた子どものネコなのですが、ひょんな拍子で乗ってしまったトラックに半日も揺られ、見知らぬ町に来てしまいました。
そこで出会った大きなトラネコのイッパイアッテナから、ここは東京の江戸川区という所だと聞かされます。
ルドルフは、自分がリエちゃんと住んでいた町の名前が、全くわかりませんでした。けれども、イッパイアッテナは、半日もトラックに乗ってきてしまったのだから、ルドルフの住んでいた町は、相当遠くなんだろうと言います。つまり、ルドルフは、リエちゃんの家に帰りたくても、帰れなくなってしまったのです。
困り切って泣き出してしまったルドルフに、イッパイアッテナは言います。
まあ、いいや。こうなったのもなにかの縁だ。しばらく、おれさまがめんどうをみてやらあ。そのうち、いい考えもうかぶだろうよ(『ルドルフとイッパイアッテナ』第5章」
こうして、ルドルフは、のらネコのイッパイアッテナと、東京でのらネコ暮らしをすることになります。
イッパイアッテナは、ルドルフにのらネコとして生きていくために必要なことを何でも教えてくれます。それだけではありません。
イッパイアッテナは、昔、飼いネコで、飼い主から文字を習ったことがあり、読み書きができる「教養のあるネコ」なのです。ですから、ルドルフにせがまれて、イッパイアッテナは、公園や学校の砂場を使って、読み書きを教えてくれるようになります。
そうして、ルドルフがイッパイアッテナに読み書きを習い、「教養のあるネコ」になるために勉強にはげんでいるうちに、夏休みがやってきます。夏休みには、子ども達が学校に来ないため、二匹は学校に行って、誰もいない教室にそっとしのびこみ、学級文庫の本で勉強をしたりします。
また、イッパイアッテナは、クマ先生というクマそっくりの先生と友達なので、クマ先生が学校にいる時には、職員室に入れてもらえることもありました。そんな時、二匹は、職員室で、クマ先生のお弁当を分けてもらったりするのでした。
さて、そうやって、二匹がクマ先生と職員室にいたある日、たまたまテレビで流れていたニュースの映像に、ルドルフが飼い主のリエちゃんと住んでいた町が映ります。そして、ルドルフが住んでいたのは、岐阜という町だとわかります。
ルドルフは岐阜に帰ればいいんだということがわかりました。ところが、イッパイアッテナは、ネコが、東京から岐阜まで帰るのは簡単なことじゃないと言います。ネコは切符が買えないから新幹線に乗れませんし、新幹線や電車にはこっそりもぐりこむのも難しい。おまけに、トラックで行こうにも、どのトラックが岐阜に行くのか判断するのは難しいし、途中で運転手に見つかって放り出される可能性もあるからキケンだというのです。
ルドルフは泣きそうになりながら言います。
それじゃあ、どうしたらいいんだよ。せっかく町の名まえと場所までわかったのにさあ。
こんなことなら、なにもわからなかったほうが、へんな期待も持たないから、幸せだったんじゃないだろうか(『ルドルフとイッパイアッテナ』第18章)
でも、そんなルドルフにイッパイアッテナは言います。
ばかやろう。なんてこというんだ。そういうのを「知識にたいするぼうとく」っていうんだ。それにな、「絶望は、おろか者の答え」ともいうぞ(『ルドルフとイッパイアッテナ』第18章)
いつか必ず名案がうかぶからあわてるなよ、と言ったイッパイアッテナの言葉通り、ついに、ルドルフに、岐阜に帰るチャンスが訪れます。近所の商店街にバスツアーのポスターが貼りだされたのですが、その行き先が岐阜だったのです。
貸しきりバスなのでいったん、バスにもぐりこんでしまえば、あとは一直線に岐阜までいけるとイッパイアッテナは、自分のことのように大はしゃぎして喜びます。
かたき討ち
あと二日で、ルドルフが岐阜に帰るという夜、イッパイアッテナが、ブチネコのブッチーと共に何やら秘密の相談をして出かけます。と思ったら、ブッチーが血相を変えて、ルドルフの所に走ってきました。
イッパイアッテナが、ブルドッグのデビルにやられて倒れてしまい、血を流して、虫の息だというのです。
ルドルフは大急ぎで、イッパイアッテナの友達のクマ先生の家へ走り、狂ったように鳴きさけんで、助けを求めます。クマ先生はすぐさま、イッパイアッテナを動物病院に連れていってくれました。懸命の治療のおかげで、イッパイアッテナは一命をとりとめます。
それにしても、どうしてこんなことになったのか、ルドルフは、ブッチーにたずねます。ブッチーによると、イッパイアッテナは、岐阜に帰るルドルフのためにごちそうをしてやろうと思ったのでした。それで、ブルドックのデビルに頭をさげて、牛肉をわけてもらおうとしたのです。
ルドルフ達は、ほうぼうで食べ物を分けてもらえるのですが、どこへ行っても分けてもらえるのは魚ばかりで、肉はなかなか分けてもらえません。学校の給食のおばさんからは肉をもらうこともあるのですが、このごろは肉をもらっていませんでした。
そこで、イッパイアッテナは、上等の牛肉をエサにもらっているデビルの家へ出かけたというわけなのです。
ところが、ブルドックのデビルといえば、ネコをいじめて池でおぼれさせることで有名ないじわる犬で、イッパイアッテナに昔、ひどいことを言った悪い犬でもありました。
「あのやろうだけは、ぜったい許せねえ」とイッパイアッテナ自身が言っていた天敵だったのです。けれども、イッパイアッテナは、ルドルフに牛肉を食べさせてやりたいばっかりに、天敵に頭をさげにいき、そして、やられてしまったというわけでした。
そして、いよいよ、ルドルフがバスに乗って岐阜に帰る日がやってきました。けれども、ルドルフは、バス乗り場には行かず、イッパイアッテナには内緒で、ブルドックのデビルの家へ向かいます。
ルドルフは死ぬことを覚悟で、デビルにかたき討ちをしようというのです。ルドルフは、ブッチーに手伝ってもらい、懸命に計略をめぐらせて、デビルの家の深い池に、デビルを落としておぼれさせます。
その時、ルドルフは、デビルをおぼれ死なすこともできました。けれども、デビルの頭が池にしずんで見えなくなった時、ルドルフの頭にふとよぎったものがありました。
そのとき、なぜかぼくは、イッパイアッテナがノラいぬと戦った話を思い出した
(『ルドルフとイッパイアッテナ』第26章)
イッパイアッテナは、昔、ネコを追いかけまわして悪いことばかりするノラいぬとケンカをしたことがありました。ふつうのネコなら、相手の犬の目にツメを立ててひっかいてやるのが得策だと考えますが、イッパイアッテナは違いました。
そんなことをしたら、相手の犬は失明してしまいますし、そうなったら、その後、その犬が生きていくのにどれだけ困るだろうと考え、目をさけて耳にかみつき、相手の犬をやっつけたのです。
そんなことを思い出したルドルフは、いろいろ考えてから、デビルをおぼれ死なせることをやめ、デビルの命を助けます。
かたき討ちをしていたため、ルドルフは岐阜旅行のバスに乗りそこねてしまいました。でも、後悔はしていませんでした。
ぼくは、イッパイアッテナがけがをしたときから、バスで帰ろうなんて、考えちゃいなかったのさ。
帰る気なら、いつだって、歩いてだって、帰れるし、そのうち、またバス旅行があるかもしれない。あわてて、帰ることはないんだ。
それに、こっちで、まだ勉強もしたいしな(『ルドルフとイッパイアッテナ』第26章)
ルドルフは、ブッチーにそう言って、朝日の中、イッパイアッテナのもとへと走っていくのでした。
ヨギーな関係
イッパイアッテナは、のらネコの先輩としてだけではなく、教養のあるネコとして、様々なことを教えました。読み書きができないブッチーをからかって、ルドルフがふざけた時には、こう言って叱ります。
おまえ、このあいだの夜、字が読めないブッチーをからかっていただろう。ああいうことをしてはいけない。おれは、ああいうことをさせるために、おまえに字を教えたんじゃないからな。
ちょっとできるようになると、それをつかって、できないやつをばかにするなんて、最低のねこのすることだ。教養のあるねこのやるこっちゃねえ(『ルドルフとイッパイアッテナ』16章)
ルドルフがいくら字をまちがっても、イッパイアッテナは、絶対におこったりしません。そのうち、まちがえなくなるからよ、と、かえってなぐさめてくれたりするのです。
イッパイアッテナが優しくて賢いからこそ、ルドルフは慕い、イッパイアッテナの教えを忠実に守っていたのです。そんなイッパイアッテナは、ルドルフにとってまさしく、ヨガでいうところのグルだといえるでしょう。
けれども、イッパイアッテナの方もまた、ルドルフと一緒に暮らすうちに、変わってきたのです。
イッパイアッテナは、のらネコになりたての時に、他の飼いネコからさんざんひどいことを言われたことがあり、その経験から、飼いネコというものが大嫌いで、飼いネコという飼いネコを目の敵にしていました。どのネコも、イッパイアッテナのことを、激しく恐れていたのです。
けれども、ルドルフと暮らすことで、イッパイアッテナは、だんだん乱暴なところがなくなっていきます。
イッパイアッテナ自身、ルドルフにこう言っています。
そりゃあ、おまえがまよいねこで、なんとなくおれと立場が似ていたから、最初はがらにもなく同情して、めんどうを見てたんだけどな。そのうち、おまえってやつが好きになってな。
それで、いっしょにくらしているってわけだ。おまえは、いつでも明るくって、ほかのやつをおしのけて、自分だけいい思いをしようってところがぜんぜんない。
おまえといっしょにいると、心があらわれるような気持ちがするぜ(『ルドルフとイッパイアッテナ』第21章」
明るくて無邪気でサットヴァに近いルドルフと一緒にいることで、イッパイアッテナの心はどんどんあらわれてキレイになっていき、優しく、賢い一面を発揮するようになっていきます。
そしてついには、イッパイアッテナは飼いネコのブッチーとも和解し、友達になるのです。
ルドルフとイッパイアッテナは、お互いにいい影響を与え合い、それぞれに変わっていきました。そんな二人の関係は、ネコながら、ヨギーな関係といえないでしょうか。
パタンジャリは、相手の幸せを自分のことのように悦び、不幸な人を助けることが、ヨギーとして大事なことだと『ヨガ・スートラ』に書いていますが、自分のこと以上に、相手の幸せを思って行動をする二人は、最高の親友であると同時に、最高にヨギーな関係だといえるでしょう。
クマ先生は、ルドルフとイッパイアッテナを見て、感心したように言っています。
しかし、ねこの友情ってのも、人間顔負けだなあ(『ルドルフとイッパイアッテナ』第24章)
人間顔負けの友情で、ヨギーな関係を築き、変わっていくルドルフとイッパイアッテナの物語は、現在、全部で四冊あります。ヨギーな関係をどんどん広げていくルドルフの活躍ぶりをごらんになりたい方は、ぜひ、本を手に取ってみて下さい!
参考資料
- 斉藤洋著 『ルドルフとイッパイアッテナ』講談社(1987年)