もう感情に左右されない!悩まない!ヨガ哲学で客観的になるメリット

もう感情に左右されない!悩まない!ヨガ哲学で客観的になるメリット

自分自身の感情を上手くコントロールできなかったり、悩みこんで解決方法をなかなか見つけられない人には、自分自身を客観的に見ることがとても有効です。

ヨガの教典でも、自分の心を客観的に見ることについて触れられています。『ヨガ・スートラ』の第2章に書かれた「見るものと見られるもの」の定義から、自分自身を客観視することについて考えてみましょう。

“見るもの”と“見られるもの”という見方を理解しよう

『ヨガ・スートラ』の中では、自分自身を「見るもの」と「見られるもの」の2つに分けて考えることで、自分自身を客観的に見ます。

見るものと見られるものとの結合こそが、除去すべき苦の原因である。(ヨガ・スートラ2章17節)

見るもの

プルシャ。自分の意識。自ら考えたり行動したりすることなく、純粋に傍観するだけの意識です。

見られるもの

物質的な身体をもった自分。プラクリティによって作られたもの。身体だけでなく、身体、心、感覚器官、知性も見られるものに含まれます。

ヨガでは、見るもの(プルシャ)こそが本当の自分自身であると考えます。なぜなら、この自分の本質的な側面だけは変わらない真実であり、それ以外の物質的な側面は、思考も含めて常に変化し続ける無常なものだからです。

見られるものである物質的な自分に意識が向きすぎていると、心が安定しにくくなります。不変的なプルシャを認識することで、物質的な自分の不安定さに惑わされにくくなります。

悩みは“主観的”になり過ぎると現れる

私たちの抱く悩みや苦しみの感情について探ってみましょう。

苦しみを感じているのは誰でしょうか?私たちは感情であったり思考が「苦しい」と感じた時、「私は苦しんでいる」と認識します。身体・心・感覚器官・知性を自分自身だと認識すると、感情や心に囚われてしまいます。そのような状態でも、「見るもの」である自分は、穏やかに傍観を続けています。

「見られるもの」に意識が向いて主観的になっている状態は、ドラマの主人公に感情移入をし過ぎている状態に似ています。意識が入り込みすぎてしまっていると、物ごとに激しく一喜一憂してしまいます。ドラマの主人公が絶望している時、まるで自分のことのように悲しみ、苦しく感じるように、主観的な自分が全てを支配してしまいます。

過剰なアイデンティティが自分を苦しめる

過剰なアイデンティティが自分を苦しめる
思い込みによって苦しみが生まれる

「私はこういう人だ!」という思い込みによっても、自分自身を制限したり苦しみを生んでしまいます。

例えばフェミニスト。「女性はこうあるべき」という価値観に囚われず、自分の好きなものを選択するのはとても良いことです。しかし、社会全体でフェミニズムが行き過ぎると「女性らしさ」を過剰に敵視してしまうことがあります。

その結果、「私はカッコよくあるべき」というアイデンティティで自分自身を制限してしまいます。本当は甘えたい時もあれば、ピンク色の洋服が着たい時もあるかもしれませんが、「自分らしさ」という自分の作り上げたルールに縛られてしまいます。

自分の生き方を選択することは素晴らしいことですが、“Have to(こうすべき)”ではなくて“Want to(こうしたい)”と、心が自由な状態であることも心がけましょう。

客観的になることのメリット

ヨガの実践で客観的な視野を育てることによって、沢山の効果があります。

全体の幸せを考える広い視野になる

主観的な視野とは、自分を中心として物ごとを見る、とても狭い視野です。その結果、常に誰の利益なのかで物事を判断しがちです。

自分の方が相手よりも得をするように行動すると、結果的に周りの人から良く思われなくて、損をしてしまうことがあります。逆に、「相手のために」と自己犠牲し過ぎている場合もよくありません。

客観的に見るとは、一方に対しての損得を考えることなく、全体の幸せを考えられる広い視野です。それによって人間関係の衝突も減ります。

本当の自分を知ることができる

先ほど書いた通り、自分のアイデンティティに執着してしまうことは、自分の心を制限してしまうことです。例えば、自ら望んでビーガンになることはとても良いことです。しかし、場合によっては、身体に合わないこともあります。

その時、「ビーガンは自分にも世界にも優しい」と思い込んでいると、体調を崩しやすくなったり、エネルギー不足を感じても、「これは好転反応だ」と思い込んでしまうかもしれませんね。

例えば著者の場合、豆類全般を消化するのが苦手です。以前ベジタリアンであった時には、常に胃腸のアーマ(毒素)に悩まされていました。今では、たんぱく質が必要な時に乳製品や卵を頂いています。
思い込みではなく、客観的に自分自身の心や身体を観察することによって、本当の自分にとって何が快適なのかを知ることができます。

感情に支配されにくくなる

今、生きることが息苦しいと感じている方は、感情に支配されてしまっている状態です。自分の感情を素直に受け入れることは大切ですが、それに支配されることはよくありません。感情は私たちが生きていくためのツールであって、私たちの支配者ではありません。

感情に支配されなくするためには、客観的に自分の感情を観察することがとても大切。今自分が何を感じているのか、どうしてそのように考えるのか、冷静に考察する中で、感情の本当の原因と対処法が分かってきます。

無理やり感情を押さえ込むこともよくありません。見ないふりをした感情は、溜まりに溜まって、いつか爆発してしまいます。現時点でコントロールが難しい感情であっても、冷静に向き合う実践を続けることで、必ず自分自身の感情の動きを理解できるようになってきます。

思い込みが少なくなる

私たちは、主観的になると思い込みや勘違いが多くなります。例えば会社の中で、開発担当の人は「自分の作っている素晴らしい製品が売れている」と考え、営業の人は「自分が直接お客様に売り込んだことで売れている」と思っているかもしれません。

クレームがあった時には、営業の人は「一般顧客にも簡単な製品を作れ」と開発の人に文句を言い、開発の人は「ちゃんと窓口の人から、最先端の技術について説明しろ」と思っているかもしれません。

本来会社は、誰か一人だけが素晴らしくても機能せず、それぞれの人が自分の役割に専念することで全体が上手く機能します。自分の一方的な視野で物ごとを見ると、本質を知ることができません。偏ったものの見方や思い込みがなくなることで、より的確な考え方ができるようになります。

自分を客観視するための方法

自分を客観視するための方法
ヨガはとても効果的なトレーニング

それでは、どのように客観的な視野を身につければいいのでしょうか?ヨガはとても効果的なトレーニングです。

ヨガマットの上での自分観察

アーサナの時間は最も自分観察に最適な練習です。

  • アーサナの観察
  • 今自分が行っているアーサナについて、客観的に観察しましょう。例えば坐位前屈をしている時に、頭を足に近づけたくて背中が丸まっていませんか?先生から指摘された部分などがあれば、自分のアーサナをどのように観察したら良いのかの参考になりますね。

  • 身体の感覚の観察
  • アーサナの形以上に感覚を観察することは大切。筋肉がどの様に伸びているのか、ストレッチされた場所が痛気持ちいのか、危険な痛みなのか?自分にとってどれだけ頑張るべきなのかは自分の感覚が教えてくれます。

  • 呼吸を観察する
  • 呼吸は心と身体の両方に繋がっています。慣れないバランスポーズでは呼吸が浅くなり、痛いポーズでは呼吸が止まっているかもしれません。どのような呼吸をしているかでも、自分のアーサナを知ることができます。

  • 心を観察
  • アーサナを行っている時、自分が何を考えているのかを知るのかはとても大切。ついつい隣の人と比べていないか、集中力が切れて別のことを考えていないか、心の働きも客観的に見てみましょう。

  • 感情の観察
  • ヨガの練習の中でも感情は動きます。例えば、みんなができるポーズを自分だけができなければ「悲しい」「恥ずかしい」「みじめ」と感じるかも。逆に自分だけができた時には「嬉しい」「優越感」などがあるかもしれませんね。自分の感情がどのように働いているのか観察すると、とても面白いです。

「見るもの」の視点で自分と向き合う

自分の中には、いつも「見るもの」と「見られるもの」の2人がいることを意識して生活してみましょう。主観的になってしまっているときは「見られるもの」である感情や思考への執着が強くなりすぎている時間です。

客観的な意識である「見るもの」はいつも冷静で穏やか。快適な生き方を教えてくれます。

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