禅語に見るヨガの心  VOL.1「薫風自南来」

禅語に見るヨガの心:VOL.1「薫風自南来」(くんぷうじなんらい)

「薫風自南来」(くんぷうじなんらい)

書き下し文にすると「薫風、南より来たる」。風薫る5月、爽やかな風が南から吹いてくるという意味です。お茶席でも季節感のある掛け軸として人気が高く、5月頃になるとよく使われています。

ヨガジェネレーションと株式会社オハナスマイル、京都のヨガスタジオTAMISAが共同運営していた「ヨガスマイル」(本イベントは2015年秋の開催をもって終了しております)が行われていた京都の建仁寺・両足院でも、春のイベントの際には座学室の床の間にこの掛け軸が掛かっていたのをご存じでしたか?その書を見るだけで、すがすがしい気持ちでいっぱいになり、大きな深呼吸をしたくなったのを覚えています。そんな季節を感じる気持ちそのままで、この言葉を味わえたらもう充分とまで感じてしまいます。

禅にまつわるこんなお話

ここで、少しだけ禅語としてのエピソードもご紹介しておきましょう。

「薫風自南来」とは、唐の文宗皇帝が詠んだ漢詩の中にある言葉です。もともとは単純に季節の描写をした詩の一節でした。それを宋の時代になって、圜悟克勤禅師という人が禅問答の時に取り上げ「碧巌録」という本に残したことで、禅語として知られるようになったのです。

問答からわかること

清々しい春の風景
清々しい春の風景

ある僧が雲門禅師という人に「悟りの境地とは?」と問うたところ、雲門禅師は「東山水上を行く」と答えました。山が水の上を流れているという、常識や理屈ではありえない答えです。

これに対して圜悟禅師は「薫風自南来 殿閣生微涼」と答えました。

南からの爽やかな風で、宮殿の奥まで清々しい涼味を感じる。

自由で
こだわりもなく
かたよりもなく
隔たりのない
清涼そのものの境地。

という答えに、それを聞いた大慧禅師という人物は大きな悟りを得ました。

禅でいう薫風のすがすがしさとは、単なる感覚的な気持ちよさだけではなく、もっと精神の清らかさやこだわりのない無心の境地を表しているようです。

ヨガと禅

禅語の解釈は人それぞれで、深く理解することは難しく感じることもあるかもしれません。けれど、ヨガとの結びつきを心の奥底で感じて、見るだけで嬉しくなります。

例えばヨガのアーサナも、最初は効能や理屈など何も知らなくても、ただ気持ちいいという直感から続けられているのではないでしょうか。それと似ているかもしれません。

自分自身がいつでも気持ちよく、すがすがしい5月の風のような気持ちでいられたら、それだけで人生が豊かになるような気がします。南から来る爽やかな風のような人になれたらいいですね。