禅語に見るヨガの心  VOL.3「主人公」

禅語に見るヨガの心:VOL.3「主人公」(しゅじんこう)

「主人公」(しゅじんこう)

日常よく使われている言葉の中には、禅語、仏教用語からきた言葉が数多くあります。「挨拶」「無事」「脱落」など、元来の意味とは少し違った形で日常語として定着したものが少なくないようです。今回のテーマ、「主人公」もそのひとつ。

日常語での「主人公」とは、物語の主役、中心人物という意味で日常的に使われていますが、禅語でいう「主人公」は物語の主役という意味ではなく、「本来の自己」のことをさします。

「本当の自分」=「主人公」

心の乱れや迷いに惑わされず、理想の姿に近づこうとする、本来備わった素質を指します。

禅にまつわるこんなお話

中国の唐時代に、瑞巌(ずいがん)禅師という方がいました。瑞巌禅師は毎日座禅をする時に、いつも独り言で「主人公よ!」と自分に呼びかけては、「はい」と自ら返事をしていました。

さらに「目を覚ましているか?」「だまされるな」などと問い、また「はい」と答える。そうして自問自答しながら座禅していたそうです。

問答からわかること

海辺でサンセットを受けて瞑想をする女性
自分自身に問いかける時間

自分で自分に「主人公」と問いかけ、自分で自分に「はい」と答える姿は、想像してみると、少し奇妙な感じもします。けれど、「本来の自分とは何者なのだろう?」「本来の自分はどこにあるの?」と思いを巡らせても、また瞑想しても、なかなかイメージしにくいものが、声に出して呼びかけてみると、少しは感じることができるのではないでしょうか。

禅宗の考えでは「本来の自分」を仏性としてとらえ、座禅をすることで、仏性と向き合い、対話しているのだとか。仏性とは、ヨガの教えにある「真我=アートマン、ブラフマン」と同義と解釈して良いでしょう。

ヨガと禅

ヨガの瞑想で、いつも自分の中の主人公と向き合っている方もいらっしゃることでしょう。本来の自分は、自分の心の中にあるのに、私たちは自分探しの旅に出たり、人の物語を描いた小説を読んで自分に重ねたりします。そうやって外に何かを求めるのではなく、内にある主人公を意識していきたいものです。

ヨガのアーサナも、声には出さないけれど、体を動かすことで「主人公よ!」と呼びかけている行いなのかもしれません。主人公である自分との向き合い方、自分なりに見つけていけたらいいですね。