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ヨガ哲学を始める人の多くが最初に勉強する八支則は、『ヨガ・スートラ』と呼ばれるヨガの最も有名な経典の中に説かれたヨガの実践方法です。現代のヨガは、古典ヨガの実践方法である八支則を基に体系づけられており、八支則を学ぶことによって、ヨガの全体像を掴むことができます。
ヨガ・スートラの八支則
『ヨガ・スートラ』の八支則は、ヨガを8つの段階に分けて実践する古典ヨガの方法です。サンスクリット語ではアシュタンガ・ヨガと呼びます。ヨガを始めた人が1番目のヤマから順番に実践していくことによって、段階を踏みながら自身の心をコントロールする術を学ぶことができます。
八支則
- ヤマ(制戒):社会的な禁止事項
- ニヤマ(内制):自分に対する制御
- アーサナ(座法):安定した座り方
- プラーナーヤーマ(調気法):呼吸でプラーナ(気)をコントロール
- プラティヤーハーラ(制感):外界から受ける感覚を断つ。
- ダーラナ(凝念):意識を一点に集中。
- ディヤーナ(静慮 ):ダーラナで一点だった対象を広げる。
- サマーディ(三昧): 心が停止した状態。
ヨガの実践者は、この8つを順番に練習していきます。ヨガの練習というと、アーサナ(ポーズ)やプラーナヤーマ(調気法)が有名ですが、これらはヨガの八支則の一部でしかありまえん。アーサナを練習するだけではヨガの本当の恩恵を受けるには充分ではなく、八支則全体を理解することによって、さらにヨガが深いものになります。
八支則の目的は、心の止滅
ヨガを始めたキッカケはなんですか?ほとんどの方がアーサナの練習から始めるため、ヨガは健康になったり、若返ったり、リラックスができるものだと漠然としたイメージを持っている方が大半です。
それらの効果もヨガの恩恵の一部ですが、古典的なヨガにとってはさらに精神的な目的があります。
ヨガとは心の作用を止滅させることである。(『ヨガ・スートラ』1章2節)
ヨガは、心の中に止めどなく湧いてくる雑念を止めること、つまり、心をコントロールするためのテクニックです。つまり、アヒムサ(非暴力)のような社会的な戒律を実践している時も、アーサナのような身体を使ったヨガを行っている時も、全ては心を上手く使うための鍛錬として行うことが大切だということです。
もし目的が「難しいポーズをできること」になってしまうと、アーサナへの執着心が強くなり、新しい苦悩を生む原因となってしまいます。アーサナを行っている時でも、その時の自分の心が快適であることを学ぶことによって、ヨガの効果は一気に高まります。
では早速、八支則を具体的に見ていきましょう。
1・ヤマ:社会の中で行うべき戒律
ヤマは八支則の中で一番最初に学ぶべき実践です。ヨガマットの上ではなく、日常生活で心がけるべき教えです。ヤマの中には、次の5つの戒律があります。
アヒムサー(非暴力)
暴力とは、叩く、物を壊すなどの物質的な暴力だけではありません。相手を傷つけるような言葉も暴力になります。自分が無意識に発した言葉も相手の心にとっては大きな傷になってしまうことがあるので気を付けましょう。
また、自分自身に対する暴力も無意識に行っていることがあります。本当は疲れているのに、エネルギードリンクを飲みながら夜多くまで残業をしていたら、それは自分に対する暴力です。自分に対して厳しく接することで、他人に対しても同じことを強要してしまうキッカケにもなります。
サティヤ(正直)
悪気のない小さな嘘をつく癖が身についていると、自分自身の中で真実が見えにくくなってしまいます。たった一つの小さな嘘のせいで、その嘘をつき通すために、次から次に新しい嘘をつかないといけなくなった経験は誰にでもあると思います。そうすると、心の中にどんどん不純性が高まってしまいます。
普段から、何が真実で何が嘘かを考えるようにして、出来るだけ自分の内側から嘘を発しないように気を付けましょう。
アスティヤ(不盗)
日本では、人のものを盗む人はほとんどいないかもしれません。しかし、気が付かずに他人の利益を奪っていることはあるかもしれません。
例えば、会社がサービス残業を強要したら、それは労働力や時間を不当に奪っていますよね。友達との約束に遅刻するのも、相手の時間を奪うことになってしまいます。
厳密に考えすぎると心に余裕がなくなってしまうのでバランスが必要ですが、出来る範囲の気遣いはとても大切です。
ブラフマチャリヤ(禁欲)
ブラフマチャリヤ(禁欲)は、欲望に対して自分のエネルギーを浪費しないように気を付けることです。伝統的には、ヨガの修業期間にいる実践者は、男女交際を断っていました。
現代では出家して一定期間でヨガを修業する人よりも、日常生活の一部としてヨガを行う人が多いと思います。
私たちが行いやすいブラフマチャリヤは、例えば、ヨガの勉強をしている時に、うっかりスマートフォンでSNSなどを見ないように気を付けることなどです。外の対象に気が向いていることで、本当に大切なことに集中できなくなるのは避けたいですですね。
アパリグラハ(不貪・無所有)
ヨガをする人にとって、物を所有しすぎないことはとても大切です。外に物があふれていることによって、自分自身の内側に意識が向きにくくなってしまいます。できるだけ少数の、本当に自分が気に入ったものだけを所有するようにしましょう。
2・ニヤマ:自分自身に対する戒律
ニヤマは、ヤマに比べて自分の内側に向けられた戒律です。ヤマと同じように5つの教えが含まれています。
シャウチャ(清浄)
ヨガは心の中の不純性を弱めていく実践方法です。同様に、自分自身の身体を清浄な状態に保つことも大切です。伝統的なヨガ実践者は、朝ガンジス川での沐浴などで身を清めます。
または、シャット・カルマという実践で、体内の粘液質を取り除きます。ヨガのアーサナやプラーナヤマも身体の浄化にはとても有効です。
サントーシャ(知足)
足りないものに目を向けるのではなく、自分がすでに与えられたものに意識を向けて満足することです。
例えば家族。自分と近い関係性の人には執着が強くなり、良くない部分に目が行きがちですが、家族が健康でいること、自分には一緒に過ごす家族がいること、それ自体に満足ができるようになると、意見が合わない場面でも大きな衝突になりにくくなります。
タパス(苦行・熱業)
タパスは、自分で決意したことを、強い意志でやり抜くことです。
わざわざ苦しいことを行う必要はありません。例えば、毎日30分早く起きてヨガの練習をするなどでも、やり通すことで、自分自身の心を成長させて売れます。
スヴァディアーヤ(読誦)
『ヨガ・スートラ』や『バガヴァッド・ギーター』など、古代の聖者が書いた教典を読むことはとても大切なことです。ヨガの教典は机上の空論ではなく、先人の実際の経験をシェアしてくれているものだからです。
イシュワラ・プラニダーナ(祈念)
『ヨガ・スートラ』においてイシュワラ(神)とは、特別なプルシャ(真我)であると説かれています。私たちの中にもプルシャと呼ばれる美しい魂が宿っています。
『ヨガ・スートラ』における神への祈念とは、自分の純粋な本質に向けて意識を繋いでいくことです。
3・アーサナ(体位):身体を整える
『ヨガ・スートラ』のアーサナは、瞑想を行うために適切は身体の状態を整えるためのものです。
アーサナは、安定した、快適なものでなければならない。(『ヨガ・スートラ』2章46節)
身体の状態がアーサナによって整えば、身体的に健康になると同時に、心の状態も整います。それは多くのヨガ実践者がすでに感じていることではないでしょうか。
4・プラーナヤマ(調気法):生命エネルギーのコントロール
プラーナヤマは呼吸法だと考えられる場合もありますが、実際には気をコントロールする方法です。
プラーナとは生命エネルギーを意味して、日本語では「気」として知られています。この気は、世界全体に漂っていて、人は呼吸や、食べ物を接種することによって外と内の生命エネルギーを循環させています。
私たちの心もプラーナによって働いています。よって、呼吸によって体内のエネルギーを整えることによって、心の働きもコントロールすることができると考えられています。
5・プラティヤハーラ(制感):感覚を制する
プラティヤハーラは、外側に向いた意識を自分の内側に向けて、外の対象と結び付かなくすることです。亀が甲羅の中に手足や頭を隠して、外の世界からの刺激を遮断する状態に例えられます。
シャバアーサナの時に、意識が呼吸などに向いていると、先生のガイドも聞こえなくなる瞬間があれば、それはプラティヤハーラの状態を体験していると言えます。
6〜8・サンヤマ(綜制・瞑想状態)
プラティヤハーラ(制感)ができるようになると、自然と瞑想状態に入っていきます。八支則の最後の3つ、ダーラナ・ディヤーナ・サマディの3つを合わせてサンヤマと呼び、ヨガ・スートラの瞑想状態です。この3つは、自然に起こる状態であり、瞑想者は無意識に体験します。
6・ダーラナ(集中)
瞑想の最初の段階はダーラナです。ダーラナは、瞑想の対象に対して集中して、他の雑念が全くない状態です。例えば、花という対象に瞑想をしたら、心の中に花のイメージだけがあり、それ以外に全く意識が向かなくなっている状態です。
7・ディヤーナ(静慮・深い瞑想状態)
ディヤーナ(静慮)は、瞑想の対象が膨らんで心の中を満たしている状態です。先ほどの花の例であれば、花のイメージが心の中を埋め尽くして、他のどのようなイメージも生まれてこない状態です。
8・サマディ(三昧):自我から解放された状態
瞑想の最初の段階は「私が花をイメージしている」という感覚ですが、ディヤーナが深まることで花を見ている自分さえ消え去ります。このように自我を全く忘れた状態をサマディ(三昧)と呼びます。
サマディにも段階があり、最初は瞑想の対象(花など)が残っていますが、自然にその対象まで消えます。すると、あらゆる思考は止滅した状態になり、自己の本質であるプルシャ(真我)のみが独立して輝きます。
八支則への理解で、練習の質が向上
今回ご紹介した八支則は、古典ヨガの土台になる部分です。現代実践されているヨガは、八支則の考えを土台にして発展したものです。
瞑想には興味がなくてアーサナだけを練習している人であっても、ヨガの練習がどこに向かって成長するためのものなのかと道筋を知っていることで、適切な方向に向かっての練習ができるようになります。ヤマ・ニヤマから、八支則の教えをヨガの練習に活かしていください。