こんにちは!丘紫真璃です。2021年はじめの「ヨガで文学探訪」は、『森は生きている』を取り上げたいと思います。
『森は生きている』という名前を聞いてピンとくる方は多くないかもしれませんが、ロシア人の児童文学作家サムイル・ヤコヴレヴィチ・マルシャークの戯曲です。1943年の作品ですから、ソビエト時代に書かれたものです。
日本でも1954年に初演されて以来、現在もなお上演され続けており、その上演回数は2100回以上と言われています。この戯曲を使うとまず、舞台に間違いはないそうで、いつも満員のお客さんに喜ばれている優れものです。
大晦日から新年にかけてのお話なので、今回取り上げてみたのですが、この優れたロシアの戯曲とヨガに、どのような関係があるのでしょうか?早速、見ていきたいと思います。
2100回以上の上演を成功させた名戯曲『森は生きている』
先ほども書きました通り、「森はいきている」は、1943年ソビエト連邦時代に発表された戯曲です。日本では1954年に俳優座が初演したのが最初の上演で、その後、現在にいたるまで、2100回以上も上演されている名戯曲です。
スラブの民話をもとにしているため、いじわるな継母と義理姉、その二人にいじめられる主人公というどこかで見たような設定なのですが、十二月の精たちや、ワガママすぎる十四歳の女王様など、個性的な登場人物たちがお話を面白く彩って、飽きさせません。2100回以上、上演を成功させているのもうなずける名作です。
真冬のマツユキソウ
物語はロシアの森深く。12月31日で森は一面真っ白。深い雪に包まれています。
その雪の森に主人公の女の子が現れます。名前はなく、ままむすめとだけ書かれているので、ここでも、ままむすめと呼ぶことにしましょう。
ままむすめは、大きくやぶれたカチーフに古いジャケツ、はきへらした靴というボロボロのいでたちで、うしろに小さいそりをひっぱり、腰に斧を下げています。そだひろいと、たきぎをとりに来たのです。
そこに女王様のお城で雇われている老兵士が現れます。老兵士は、女王様が新年のパーティーでお城に飾るモミの木を切りに来たのです。二人はおしゃべりをしながら、お互いの仕事を手伝い合います。
ところで、二人のおしゃべりの中で注目すべきは、女王様の噂でしょう。女王様といってもまだ十四歳。女王様の両親が亡くなってからは、彼女の上に立つ人は誰もいません。
ままむすめ:じゃ、つまり、女王さまも、みなしごなの。
兵士:みなしご、ということになるな。
ままむすめ:かわいそうね。
兵士:かわいそうだとも!だれもあのひとに、知恵や分別を教えてあげることはできないんだ。
ー『森は生きている』より
知恵も分別も教わらなかった女王様ですので、大晦日の夜、突然気まぐれにマツユキソウが欲しいと言いだします。マツユキソウといったら四月の花ですから、十二月の真冬の森に咲いているはずもありません。
それなのに、分別もない女王様は、かごいっぱいのマツユキソウを御殿まで届けたものには、そのかごにはいるだけの金貨を恵んでやると、とんでもないおふれを出されたのです。
さあ、そのおふれを聞いて、ままむすめと一緒に暮らしている意地悪な継母と義理姉は、かごいっぱいの金貨が欲しいといきり立ちます。
そこで、真冬の森でマツユキソウなんて見つかるはずがないと知りながら、ままむすめを真夜中の森に追い立てます。マツユキソウを摘んでくるまでうちに帰ってくるなというのです。
真冬の森でマツユキソウが見つかるはずもなく、いよいよ死ぬのかと途方に暮れたままむすめですが、真っ暗な寒い森の中で、明るく光っているたき火の光を見つけます。
急いで、たき火の方に行ってみると、そこにいたのは、十二か月の精たちでした。一月の精から十二月の精までみんな集まり、たき火を囲んで大晦日の祭りを開いていたらしいのです。
ままむすめから事情を聞いた年若い四月の精は、十二月の精に向かって、ぼくに一時間だけ席をゆずって下さいと頼みます。
十二月がOKを出すと、さあ、不思議なことが起こります。四月が長い杖をとって呪文をとなえると、辺りの雪がとけ、森に春が訪れたのです!一時間だけの春です。ままむすめは、一時間だけの春の間にカゴいっぱいのマツユキソウを摘むことができました。
ただし、十二月の精たちは、ままむすめに彼らのことを誰にももらしてはいけないと誓わせます。約束を守るなら、いつでもまた会えると彼らは言い、ままむすめに指輪を贈ります。
その指輪を投げて呪文をとなえたら、彼らがままむすめに会いに来てくれるというのです。
ままむすめは、指輪とマツユキソウを大事に家に持って帰ります。ところが、ままむすめが奇跡のように真冬の森から持って帰ってきたマツユキソウは、さらなる大騒動を引き起こすのです。
マツユキソウの秘密は絶対に教えない
翌朝、女王様の御殿で開かれた新年のパーティーに継母と義理姉が、カゴいっぱいのマツユキソウを持って現れました。カゴいっぱいの金貨をもらおうとやってきたのです。
どのようにして、真冬の森からマツユキソウを摘んできたのか聞かれた継母と義理姉は、苦労して森の奥に分け入っただの、森の奥には真冬でもマツユキソウや、イチゴやクルミやスモモが摘める奇跡の場所があるだの、デタラメをしゃべります。
ところが、このデタラメがアダとなりました。女王様は、真冬でもマツユキソウやイチゴやクルミやスモモが摘める、その奇跡の場所に自分で行ってみたくなったのです。
早速、女王様は、そりを手配し、その奇跡の場所まで道案内するように継母と義理姉に命じますが、さあ、これには継母たちもすっかり困ってしまいました。本当は、真冬の森で、どうやってマツユキソウが摘めるのか知っているのは、ままむすめなんですから。
道案内をしなければ、今すぐに首をちょんぎるよと、女王様に脅かされておびえた継母たちは、奇跡の場所を知っているのは、ままむすめなのだと白状します。そして、家にすっとんで帰り、継母は、ままむすめに女王様の道案内をしてくれるように頼みこみます。
おまえがわたしらを救いだしてくれないと、わたしらは一時間といのちがないのさ。でも、救いだしてくれたら…なんでもほしいものをおいい。長ぐつでも、耳輪でも、シューバでも、スカートでも、リボンでも、うちひもでも…なんでもおまえのものになるよ。なんにも惜しみゃしない
ー『森は生きている』より
昨日のことは一切秘密にするということは、十二ヵ月の精達との約束でした。そこで、ままむすめは、この頼みを断りますが、継母たちはおびえたり泣いたりして、大騒ぎをします。
継母たちが泣いている様子を見て、ままむすめはとうとう妥協案を出します。女王様の道案内はできないけれども、自分一人で森の奥へ行き、イチゴやクルミやスモモを摘んでみようと言ったのです。
今までさんざん自分をいじめてきた継母や義理姉をも助けようとするなんて、ままむすめの行いは、ヨギーも感心するくらいの寛大さだといえますね。
さて、かごを持って森へ出かけたままむすめを、継母、義理姉、それに女王様の一連隊は、こっそりと追いかけます。女王様は、ままむすめに追いついて、真冬でもマツユキソウが摘める奇跡の場所を教えるよう迫り寄ります。
わたくしはおまえに、金貨のかごをあげます。ビロードの服を十二枚と、銀のかかとのついたくつと、両手にうで輪と、どの指にも一つずつダイヤの指輪とをよ、ほしい?
ー『森は生きている』より
けれども、ままむすめは、そんなものは何一ついりませんと、丁寧に断ります。ヨギー顔負けの無欲ぶりを発揮するままむすめに、手も足も出ない女王様ですが、ままむすめが十二ヵ月の精たちからもらった指輪を発見してしまいます。
もしも、マツユキソウの秘密を教えなければ、今すぐにこの指輪を氷の穴に投げ込んでしまうと言っておどかします。
それでも、ままむすめは、平静さを失わず、決して口を割りません。あまりに静かで落ち着いているままむすめに腹を立てて、女王様はさけびます。
じぶんの指輪とさよならしなさい。それといっしょにいのちともね。その子をつかまえてちょうだい
ー『森は生きている』より
女王様は、ままむすめの指輪を氷の穴に投げ込んでしまいます。
金貨よりも貴重な季節の恵み
大事な指輪を氷の穴に投げ込まれても、いのちはないと脅かされても、ままむすめはヨギーも一目おくほどの平静さを保ちます。そして、女王様の家来たちをふりきり、大声で十二ヵ月の精達に教わった呪文の言葉をさけびます。
そのとたん、ふぶきが起こり、一月のタンバリン、二月のつのぶえ、三月の小鈴などの音と共に、十二ヵ月の精がそろってあらわれます。
その後、十二ヵ月の精達がどのように、ままむすめを救い出したのか、どのようにして、女王達をこらしめたのか、どのような顛末で意地悪な継母と義理姉が犬に変えられてしまったのかということは、とても面白い所でぜひ、『森は生きている』を実際に読んでいただきたいのですが、とにかく、ワガママな女王は、こらしめられてすっかり大人しくなり、意地悪な継母と義理姉ときたら、犬に変わってワンワン吠えることしかできなくなってしまいます。
お年寄りの一月の精は、ままむすめにこう言います。
うちへ帰れば、おまえはだれにえんりょもない女主人じゃ。こんどは、もうおまえがわしらのところへくるんではなく、わしらがおまえのところへよばれにいくよ
ー『森は生きている』より
そして、若い五月の精たちが、こうつけくわえます。
みんなが順番に、お客にいこう。めいめいが、それぞれのおくりものをもっていくよ。わたしたち十二月は、ゆたかに富んでいるからね。わたしたちのおくりものをうけることさえ、できればいいのだ
ー『森は生きている』より
こうして、ままむすめは幸せになり、女王様は少しばかり賢くなって、舞台の幕は閉じるのですが、五月の精が言ったわたしたちのおくりものをうけることさえできればいいということは、どういうことなんでしょうか。
考えてみれば、春、夏、秋、冬はそれぞれ季節の贈り物を、私達にもたらしてくれます。春の花とイチゴ、夏の野菜や果物、実りの秋、そして、冬の雪。それぞれの季節の贈り物に気がつき、それを味わい、楽しむという事が贈り物を受け取るということなのではないでしょうか。
『森は生きている』を読み終わった時、それぞれの季節の贈り物は、女王様のかごいっぱいの金貨よりもはるかに貴重で豊かなものなんだと、不思議な満足感とともに、しみじみと感じます。
私達は、その恵みをしっかりと受け取るために、ヨガをするのかもしれません。ヨガで身体をすこやかに整え、季節の食べ物を食べて心と身体の両方を満たす。
東洋医学では食養成といって夏には身体を冷やす夏野菜などを食べ、冬には身体を温める根菜などを食べて、旬の食べ物で身体を整えるという考え方がありますけれども、季節の恵みはまさしく、私達に貴重な健康をもたらしてくれる最高の薬だといえるでしょう。
2021年、コロナがまだまだ終息のめどが立たない中、どんな年になるか、私達は誰にもわかりません。けれども、確かなことは季節が順番に巡りくるということです。季節の恵みだけは確実に、私達に贈り物となぐさめを持ってきてくれることでしょう。
参考資料
- 『森は生きている(1953年)』サムイル・マルシャーク著 湯浅芳子訳(岩波少年文庫)