ヨガの教え 自分に与えられたダルマ(義務)が何かを考える

ヨガの教え 自分に与えられたダルマ(義務)が何かを考える

インド哲学でよく耳にするダルマとは、自分自身が行うべき行為です。

バガヴァッド・ギーターを中心としたインド思想では、私たちにはそれぞれに与えられた役割があり、それを全うして生きることが幸せだと考えられています。

今回は、自分に当てられた役割が何かについて説いてみます。

一人ずつに与えられたオーダーメイドの役割

世の中には、良い行い・悪い行いという価値観があります。

しかし、誰もが同じ行いをしていては世界は回りません。世界には様々な職業があり、それぞれの職種の人が自分の役割を全うすることで社会の秩序が保たれています。

現代では、有名大学に行って、立派な企業のオフィスで責任のある仕事を任させることが良いという価値観が広まっています。そのために子供の時から学校でテストで良い点数をとり、良い大学に行くことが勝ち組のような集団心理が働いてしまっているのではないでしょうか。

しかし、知的な能力の優れた人に向いている職業が他よりも優れているという価値観は少し危険かもしれません。

「自己のダルマの遂行は、不完全でも、良く遂行された他者のダルマに勝る。自己のダルマに死ぬことは幸せである。他者のダルマを行うことは危険である。(バガヴァッド・ギーター3章35節)」

私たちの生活には沢山の人の手助けが必要です。物を作ったりメンテナンスをしたりするような技術職の人がいたり、音楽や素敵なインテリアを届けてくれる芸術系の人も必要です。

競争社会では、どうしても職業に貴賤をつけがちですが、どれだけITのエリートが揃っていても、野菜を育ててくれる人がいないと人は生きていけません。

一人ずつに与えられたオーダーメイドの役割
社会に左右されず自分の役割を全うする

社会の価値観に左右されず、社会の中で本当に自分の行うべきダルマを知ることはとても大切なことです。

周りと一緒に幸せになる自分のダルマを考える

インドでは古代からカースト制度と呼ばれる身分制度がありました。バガヴァッド・ギーターの主人公であるアルジュナは、クシャトリヤと呼ばれる王族・武族の一家に生まれてきたため、ギーターの場面ではクシャトリヤとしてのダルマである戦いを行わなくてはいけませんでした。

カースト制と呼ばれる職業別の階級制度
カースト制と呼ばれる職業別に決められたインドの身分制度

しかし、現代の日本では生まれた時から職業が決められた人はほとんどいません。自分が何を行うべきか?を自分自身で考えることが求められています。とても自由であるのと同時に、自分が何を行うべきかが分からなくて悩む人も沢山います。

ダルマは自分だけのための仕事ではない

ダルマは、世界の秩序が正しく保たれるための正しい行いです。ヨガでは、自分自身の秩序だけではなく、社会や世界全体の秩序についても考えます。

まずは自分自身を快適に保つためのダルマについて考えてみましょう。

毎朝起きたら歯を磨いて、シャワーを浴びて、自分を清浄な状態に整えて快適な1日の始まりを迎えることは、人間として生きていくために土台となるダルマ(行うべき行動)です。

そういった、誰にでも当てはまるようなものもあれば、親子関係、師弟関係、上司と部下のように、立場によって違うダルマが与えられます

例えば扇風機について考えてみると、扇風機のメインの部分は羽の部分です。しかし、中心で動かずに羽をキープしている目立たない部分の部品も必要です。その部品に意思があれば、自分も目立つように動きたいと願うかもしれませんが、動いてしまったとたんに羽が正しい場所で機能することができなくなってしまい、扇風機全体が機能しなくなってしまいます。

同じように人間社会も、それぞれの役割を守ることで秩序が保たれます。他者のために自己を犠牲にすることはいけませんが、自分と周りの人の両方がよくなるための行動を心がけると、結果的に自分にとって快適な環境ができ上ります

さらに視野を広げてください。この世界に住むのは人間だけではなくて、自然と共存しています。自分がメーカー企業で働いていれば、大量に商品を生み出して販売することが会社全体の利益となります。だから社員として、自分の周りの人のためにも一生懸命開発することは、その人にとって正義でしょう。しかし、それは自然にとっては良くないことです。

沢山の材料を地球から頂いて必要以上に生産することは、結果的には地球全体のバランスを崩します。すると、いつかは私たち人間にとっても不幸が訪れます。

バガヴァッド・ギーターでは、自分の秩序と世界の秩序を平等に見る鍛錬を行います。そうすることで、皆にとっての幸せに意識を向けて、同時に自分自身も快適に生きる方法が見えてきます。

楽しみも苦しみも人生ではパッケージになっている

ダルマは最終的に自分が幸せに生きられるための職務ですが、その過程で苦悩を生んでしまう場合があります。そのため、人は壁にぶつかったときに「これは自分のダルマではないのかも?」と考えてしまいます。

しかし、本当の幸福とは、自分自身で壁を越えられたときに現れます。

「最初は毒のようで結末は甘露のような幸福、自己認識(アートマン)の清澄さから生ずる幸福、それはサットヴァ性(純質)な幸福と言われる。(バガヴァッド・ギーター18章37節)」

とくに多くの人が悩むのは子育てかもしれません。母親は、子供を産むと決めた瞬間に母親としてのダルマを与えられることになります。

子育てをしていれば、必ず葛藤や衝突がおきます。全く自分の時間がとれない毎日の中で、どうしてこんなに辛いのだろうと悩む人も多くいますし、上手くできない自分を責める方もいます。しかし、苦労をしても幸せはその道に必ずあります。

世の中には必ずネガティブな側面とポジティブな側面があり、人生を生きるということは、その両者を受け入れることです。苦手なことから目をそらして一時的な楽を求めると、自身の抱えている悩みはいつまでも解消することができません。

楽しみも苦しみも人生ではパッケージになっている
楽しみも苦しみもあるのが人生

では、自身のダルマを続けることが苦しいと思ったときにどうやって向き合えばいいのでしょうか?

その時にヨガが助けてくれます。ヨガでは、ポジティブなこともネガティブなことも全て向き合うトレーニングをします。私たちの心の中の恐怖・苦悩は、見ないようにすればするほど大きく膨らんで心の中を埋め尽くします。

時に、私たちに与えられたダルマは大きすぎて、プレッシャーや逃げたい気持ちが表れるかもしれません。しかし、そのように感じている心さえも受け入れることがヨガです。ちゃんと向き合うことができれば、自然と恐怖心は消えていきます。そうやってダルマを受け入れることができると、生活の中の歓びにも気が付く余裕ができて、自身の人生を楽しめるようになってきます。

ダルマを意識すると快適に過ごせる

日常の中で、これが自分の職務なのだと感じられる仕事があり、それを行えることはとても幸せなことです。自分の行いに迷いがないとき、人はそこに向かってひたむきに生きることができます。

ダルマを義務という言葉で表現すると、押し付けられている気持ちになる方もいるかもしれません。しかし、自分のダルマが分かった人にとって、それを行うことはあまりにも自然で快適なことです。

自分のダルマが何なのか?答えは自身の深い内側にあります。今ダルマに迷いがある人も、ヨガの実践で自身の内側の声を聞くことで、少しづつ答えが見えてきます。

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