なぜ生まれてきたの?〜カルマとダルマの話〜

一生懸命生きる意味はある?

なんか、たそがれちゃってどうしたの?
最近のニュースを見ているとね、生まれてすぐに不幸な目に遭うような子どもとか、人生の最後に悲しい目に遭う人とか、そういうニュースが多いじゃない。そういうの見ていると、生まれてきた意味を考えちゃうのよ。
なるほど〜。「生老病死」とか、生まれてきたことはツラいみたいなこと言ってたりするしね。
だから、不老不死の薬を探そうと必死になった昔の人の話とか、よくわかる。
ヨガだってそこからだもんね、実際。
結局死んでしまうなら、意味あるの?人生頑張ること。

カルマから考える

この間「カルマ」って教わったでしょう?ちょっとその辺から考えてみようよ、その難しい話。頑張ることに意味はあると思うから。
ああ、「原因と結果」と言ってたアレ?
そう、まいた種を自分で刈り取る話。それともう一つ意味があるって言ってたね。

カルマには大きく二つの意味があります。一つは「行為」、もう一つは「原因と結果」です。

「行為」とは、行為そのものを指し、そこに意図はありません。

そして、もう一方の「原因と結果」は両者の意味を同時に含み、今の自分に残るものです。ただし、仏教用語にあるような「業」とは異なり、ネガティブなものではありません。自分がまいた種から芽が出るように、日々の小さい行いも皆、自分に返ってくるという考え方です。

人生を動かすカルマは、私達に「課題」を与えます。そして、結果という見返りを求めないで行為に専心することが大切です。

ということはさ、何かをしたらその結果が必ず戻ってくるんでしょう?
そうなるね。
じゃあ、失敗とかできないんじゃない?それ、ビクビクおどおどしながら生きるってことにならない?
いや、でもネガティブではないって言ってるけど?

カルマによって起こったことは、すべて理由があります。そのため、これをクリアしないと同じことが繰り返されます。種をまいたら自分で刈り取る必要があると言うことです。残したままにすると、子孫や来世にまで持ち越されるとも言われています。ヨガの教えは、こうしたカルマをクリアしていき、あるべき生き方を全うするための実践です。

カルマが残っていく段階

【スムルティ(記憶)】
経験の後に残るもの。『ヨーガスートラ』では五つに分類されるマインドの動きの一つで、一度記憶すると壊れることがないと考える。

【サムスカーラ(思考や行動のパターン)
印象の強い記憶(スムルティ)によって残る思考のクセや、行動パターン。カルマ=行為の結果による記憶が蓄積されたもので、新たなカルマの原因になることも。

【クレーシャ(苦しみの原因)】
望んでいない結果を生むサムスカーラが繰り返されると、マインドに色がつく。それが知覚を歪ませ、苦悩の大きな原因になる。プラーナーヤーマによってクリアできるとも言われる。

【ヴァーサナ(印象)】
残されたクレーシャが遺伝子のように私達の奥深くに刻まれると、先祖から次世代にまで引き継がれると言われる。瞑想やマントラでクリアできると言われる。

どうやってカルマをクリアする?

カルマをクリアしないと生まれ変わっても、つきまとわれちゃうの?
結構、ハードボイルドだね〜。でも、それをクリアできるのがヨガなんじゃないの?
でも、どうやって?
先生はこの間の講義で「変わりたい、よくなりたいという意図がまず大事!」って言ってたよ。

人生が苦しい、何とかしたいと思う人に、ヨガはとても役に立ちます。その決意表明をしているのが『ヨーガスートラ』です。冒頭の一節である「アタ ヨーガ アヌシャーサナン」とは、「これからヨガの学びが始まる」という意味ですが、この「アタ」はこれまでの人生を断ち切るための決意の言葉なんです。こびりついたカルマをの汚れを落とし、不要なものを捨てようと、明確にしているのです。

やっぱりヨガがカルマに効くみたい。
でも、まだちょっとネガティブじゃない?生きているとカルマができて、それをクリアしないと来世に影響する?じゃあ最初から生まれてこなくていいのでは? そうすればカルマも残らないけど…。
そうも言えちゃうよね。生まれてきた意味はカルマをクリアするため?

『バガヴァドギーター』には、自分に与えられた使命・役割=ダルマの話が書かれています。自分のダルマを受け入れ、それを果たしていくように行為に集中する「カルマヨガ」の教えを説いているのです。

その対象は、必ずしも仕事や社会的な立場などを指すわけではありません。そういう外側にとらわれず、内側にある本質を見極め、ココロからの幸せや喜びを感じて生きることが大事だと言います。自分という無限の可能性を最大限に生かすことが、私達の使命であり、役割なのです。

ダルマとは「自分の無限の可能性を最大限に生かす」か…。
可能性を最大限に生かす…。

私達が可能性を最大限に生かして、真の幸せな状態を経験することは、本来の自分(プルシャ)として生きるということでもあります。そして、プルシャは全宇宙(大いなるもの)ということでもあり、言い換えれば私達は“大いなるもの”そのものということになるのです。生まれてきて、使命を全うすると、その意味がわかるようになるのです。大いなるものであるとはどういうことなのか。それは、私達がこれから体験できるかもしれない、人生のプレゼント。ヨガは、その体験のための道筋を照らすものなのです。

Text:Yogini編集部
出典:『ココロの仕組みと使い方』