一生懸命生きる意味はある?
カルマから考える
カルマには大きく二つの意味があります。一つは「行為」、もう一つは「原因と結果」です。
「行為」とは、行為そのものを指し、そこに意図はありません。
そして、もう一方の「原因と結果」は両者の意味を同時に含み、今の自分に残るものです。ただし、仏教用語にあるような「業」とは異なり、ネガティブなものではありません。自分がまいた種から芽が出るように、日々の小さい行いも皆、自分に返ってくるという考え方です。
人生を動かすカルマは、私達に「課題」を与えます。そして、結果という見返りを求めないで行為に専心することが大切です。
カルマによって起こったことは、すべて理由があります。そのため、これをクリアしないと同じことが繰り返されます。種をまいたら自分で刈り取る必要があると言うことです。残したままにすると、子孫や来世にまで持ち越されるとも言われています。ヨガの教えは、こうしたカルマをクリアしていき、あるべき生き方を全うするための実践です。
カルマが残っていく段階
【スムルティ(記憶)】
経験の後に残るもの。『ヨーガスートラ』では五つに分類されるマインドの動きの一つで、一度記憶すると壊れることがないと考える。【サムスカーラ(思考や行動のパターン)】
印象の強い記憶(スムルティ)によって残る思考のクセや、行動パターン。カルマ=行為の結果による記憶が蓄積されたもので、新たなカルマの原因になることも。【クレーシャ(苦しみの原因)】
望んでいない結果を生むサムスカーラが繰り返されると、マインドに色がつく。それが知覚を歪ませ、苦悩の大きな原因になる。プラーナーヤーマによってクリアできるとも言われる。【ヴァーサナ(印象)】
残されたクレーシャが遺伝子のように私達の奥深くに刻まれると、先祖から次世代にまで引き継がれると言われる。瞑想やマントラでクリアできると言われる。
どうやってカルマをクリアする?
人生が苦しい、何とかしたいと思う人に、ヨガはとても役に立ちます。その決意表明をしているのが『ヨーガスートラ』です。冒頭の一節である「アタ ヨーガ アヌシャーサナン」とは、「これからヨガの学びが始まる」という意味ですが、この「アタ」はこれまでの人生を断ち切るための決意の言葉なんです。こびりついたカルマをの汚れを落とし、不要なものを捨てようと、明確にしているのです。
『バガヴァドギーター』には、自分に与えられた使命・役割=ダルマの話が書かれています。自分のダルマを受け入れ、それを果たしていくように行為に集中する「カルマヨガ」の教えを説いているのです。
その対象は、必ずしも仕事や社会的な立場などを指すわけではありません。そういう外側にとらわれず、内側にある本質を見極め、ココロからの幸せや喜びを感じて生きることが大事だと言います。自分という無限の可能性を最大限に生かすことが、私達の使命であり、役割なのです。
私達が可能性を最大限に生かして、真の幸せな状態を経験することは、本来の自分(プルシャ)として生きるということでもあります。そして、プルシャは全宇宙(大いなるもの)ということでもあり、言い換えれば私達は“大いなるもの”そのものということになるのです。生まれてきて、使命を全うすると、その意味がわかるようになるのです。大いなるものであるとはどういうことなのか。それは、私達がこれから体験できるかもしれない、人生のプレゼント。ヨガは、その体験のための道筋を照らすものなのです。
Text:Yogini編集部
出典:『ココロの仕組みと使い方』