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幸せに生きたいというのは誰でも抱く共通の望みです。しかし、幸せの質によって、依存症を招いたりと逆に苦しみを生んでしまう場合もあります。ヨガの教典バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ神は、幸せな人生を生きるための幸福と、苦悩を生む快楽の違いについて説いています。
幸福を3種類に分けて理解する
幸福を理解するために、クリシュナ神は3種類に分類しました。3種類とは、トリグナ(3つの性質)と呼ばれるサットヴァ・ラジャス・タマスです。
ラジャス:激しさ、動き、欲望、執着、そう状態、怒り、渇愛、落ち着きのなさ
タマス:鈍さ、暗さ、濁り、無知、怠慢、怠惰、貪欲、睡眠、重さ、うつ状態
ギーターの中では、世の中を判断するために頻繁に使う3つの定義なので覚えておくと便利です。では、それぞれの幸せについて具体的に見てみましょう。
未来を明るくするサットヴァ性の幸福
最初は毒のようで結末は甘露のような幸福、自己(アートマン)認識の清澄さから生ずる幸福、それは純質的な幸福と言われる。(バガヴァッド・ギーター18章37節)
ヨガ実践者が目指すべきとされる幸福とは、サットヴァ性の幸福です。
サットヴァ性の幸福は、最初は毒のように見えます。しかし、最後にはとても甘い幸せが待っています。
具体的に考えるために、ヨガの練習について考えてみましょう。健康的になるためでも毎日1時間のヨガの練習をすることは簡単なことではありません。めんどうだと感じたり、忙しくて疲れている日もあります。
最初の3日間はモチベーションがあっても、5日もするとサボるための理由を探しているかもしれません。そういった障害は一時的に苦痛に感じるかもしれませんが、続けていることできっと1カ月後には身体の調子が良くなったり、良い運動習慣がついて楽しいと感じることができたりするでしょう。
自分自身で自分を変えることは簡単ではありません。しかし、自分で決意してやり遂げた先には必ず喜びがあります。そういった喜びは、結果がどうであれ失われることがない喜びです。
食事で考えると、今まで忙しさを言い訳にジャンクフードを食べていた人が、突然健康的な食事に変えると、最初は味気がなくて満足感を得られません。しかし、続けることで繊細な食材本来の美味しさに気が付くことになり、身体も心も喜ぶ食事を得ることができます。
自分にとって良いと確信したことは、最初は辛くても続けてみましょう。
次々と欲望を生むラジャス性の幸福
感覚とその結合から生じ、最初は甘露のようで結末は毒のような幸福、それは激質的な幸福と伝えられる。(バガヴァッド・ギーター18章38節)
一見魅力的でありながら、苦悩への落とし穴であるのがラジャス性の幸福です。
こういった快楽の要因となるのは五感覚器官です。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、この5つの感覚によってもたらされる欲と快楽には気を付けましょう。
日々SNSから流れてく大量の視覚情報によって、新作のファッションをチェックするのは楽しいかもしれませんし、そうやって選んだバッグなどを購入した時には一時的な喜びを感じられます。
しかし、多くの人は買った瞬間から喜びが減っていくことに気が付いているのではないでしょうか?買い物が趣味だと、買ったのに使っていない洋服などが家に溢れていることもあるでしょう。家の中は片付かなくなり、頑張って働いてもすぐにお金が無くなってしまっては、いつまでも未来への不安が絶えないですね。
強すぎる刺激的な味のジャンクフードや、重低音の強いクラブ音楽など、人々の五感を激しく刺激して一時的な快楽を与えるようなものには気を付けましょう。中毒性が強く、思考をアクティブにし、欲望や執着心を育てやすいです。
暗く堕ちるタマス性の幸福
最初においても帰結においても、自己(アートマン)を迷わせる幸福、睡眠と怠惰と怠慢から生ずる幸福、それは暗質的な幸福と言われる。(バガヴァッド・ギーター18章39節)
怠慢によって、安易に得られるような快楽に手を出すことは危険です。それらは無知によって生み出され、ますます本来の幸せが分からなくなってしまいます。
何の目的もなくYouTubeの動画を永遠と見ていて夜更かしをしてしまったというような経験がある人もいると思います。退屈な時間に気楽にスマートフォンを開くだけで楽しいからと、大切な時間と思考を費やして短絡的な要求を満たしていると、ますます怠慢さを生み抜け出せなくなります。
食で言えば、アルコールやタバコなどで得られる快楽も注意が必要です。飲めば楽しくなれると感じても、それは脳を騙しているだけであって何一つ自分自分は変われていません。身体も重くなり、思考も怠さが増し、2日酔いなどの苦しみもあります。そして、依存度があり続けるほど抜け出しにくくなります。
ひと手間かけた幸せを感じる
サットバ性の幸福は、じっくりと意識を向けないと感じにくいものが多いです。例えば、ヨガのアーサナの練習でも、本当の心地よさや呼吸に意識を向けたり、身体の感覚を深く観察した時に感じることができます。しかし、分かりやすい見た目のアーサナの完成度に意識が向いてしまうと、ラジャス的な欲望を生む要因となってしまいます。
賞味期限が長かったり、調理の簡単な冷凍食品や味の濃いスナック菓子はラジャスやタマス性です。そういった怠慢な食生活に慣れてしまうと、野菜本来の味を感じにくくなってしまいますね。また、意識が散漫だと繊細な味を感じられません。スマートフォンを片手に食事をしていたりすると味が分からなくなってしまいます。
サットバ性の幸福を選ぶということは、自分自身を大切にすることです。
- 強い甘みや辛み、塩分がなくても、じっくりと食材の味に意識を向ける。
- アーサナの完成度といった分かりやすい達成感よりも、心の声に耳を傾ける。
- 腰痛に痛み止めの薬でごまかさずに、正しい姿勢を身に着けて痛みを取り除く。
手間も時間も自分のために使ってあげないと得られないものばかりです。しかし、自分のための本当の幸福を知ることによって、必ず周りの人にも優しくなることができ、結果的に快適な生き方が身につきます。
結果を観察することで好ましい喜びが分かる
では、何がサットバ性の歓びなのかをどうやって判断したらいいのでしょうか?
自身の心の状態がタマス性になっている時にはタマス性の快楽しか感じにくくなり、ラジャス性の時にはラジャス性の快楽しか見えなくなりがちです。
例えば、ストレスの多い仕事で疲れた時にはアルコールが飲みたくなったり、病気で胃の調子が悪かった時の直りかけに限ってインスタントラーメンが食べたくなることはありませんか?
胃の痛みというラジャス性の感覚によって、ラジャス性の食品を食べたくなって、さらにラジャスが高まってしまうことがあります。また、疲労というタマス性がさらにタマスを上げる食材を求め、瞬間的に「極甘ケーキ美味しい!」と感じても、その後で怠さと眠気が増大します。
思考が鈍ってしまっている時には正しい判断ができないので、少し余裕がある時に自分観察をしておきましょう。
食べ物で言えば、人によって好ましい食材が違います。食事をした30分後、1時間後にどのような変化があるのかを観察してみます。勉強で疲れた時にチョコレートを食べたら、その瞬間元気になって頑張れる気がしても、1時間後に急に眠気が訪れるかもしれません。また、1週間くらい集中して食生活を変えてみるのもおススメです。
サットバ性の歓びには万人向けの正解はなくて、自分自身で自分を観察して見つけなくてはいけません。自分観察が習慣になると、日常のあらゆる選択が楽しくなります。最初は食事や趣味などの一部分から向き合っていても、少しずつ大きな意味で自分の人生の幸せが分かるようになってきます。