「幸せになりたい」というのは誰もが抱く共通の願いです。では、なぜ人はなかなか幸せになれないのでしょうか?そもそも幸せとはどのような状態なのでしょうか?
ヨガでは自分の今の状態に満足する意識の向け方こそが幸せになるコツだと考えます。教典ヨガ・スートラの中ではサントーシャ(知足・満足)という言葉で説いています。
幸せとは何かについて考えてみましょう。
ヨガの悟り、解脱を得るポイント
古典的なヨガでは、モークシャ(解脱)を目標とします。モークシャは、この世の苦しみや悲しみから解放されて穏やかな幸せを手に入れることです。
ヨガの実践を行っていると、必ず実践者の心は少しづつ自由に軽くなっていきます。変化のスピードに個人差はありますが、誰でも実感できる瞬間があるのではないでしょうか。
一生懸命に実践を繰り返すと「私はどれだけ成長できたのだろう?」「私はちゃんと効果を得られているのかな?」「私、悟れたのかな?」と考える瞬間があります。ヨガの成功は心・意識の状態なので、数字や見た目で判断するのはとても難しいですね。
インターネットで検索して「ヨガの成功度」を診断できればいいのですが、残念ながらなかなか知ることができません。
ヨガの成功4つの定義(クリシュナ神式)
バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ神は、ヨガの知恵を得た人の判断基準を4つあげています。この4つに当てはまる人はヨガの成功を手にしている人だといえます。(バガヴァッド・ギーター2章55節~58節)
- 全ての欲望を捨てる。自身のアートマン(自己)のみに満足。
- 不幸に悩まず、幸福を切望しない。愛執、恐怖、怒りがない。
- 善悪に対して喜びも憎しみもない。
- 感覚を内側に収める。(プラティヤハーラ)
1番目の「自身のアートマン(自己)のみに満足」というのは、最高のサントーシャの状態です。サントーシャの実践の初期段階では、今の自分の健康や家族、仕事など与えられたものに満足をします。
しかし、それらはまだ条件付きのサントーシャです。怪我などで身体が動かなくなった時、家族と決別した時など、失った時に悲しみを得てしまいます。
ヨガを行うと最終的には、変わらないものに満足するようになります。それは、自分の存在そのものです。ヨガで自身の深い内側の本質を知ることができると、自身の内側にある幸せに気が付き、物質的な条件に関わらず幸せを感じられます。
1番目の自己(アートマン)へのサントーシャが身に付くと、持っていないものに対する欲望を抱かなくなります。また、不幸・幸福という概念がなくなってきます。変化するものを所有しても、それが幸せに繋がらないと悟るからです。その結果、一時的な状態に対しての怒りや憎しみの感情もなくなります。
そして、自身に満足して内側に意識が向くことによって、感覚器官に惑わされにくくなります。例えば美しい宝石を見ても、すでに幸せであれば所有欲は生まれにくいです。しかし、自分に自信がなく枯渇感や承認欲求がある状態だと、足りないものを物欲などで満たそうとします。
だからこそ、ヨガでは常に自身の内側に意識を向ける鍛錬を行います。
歓びも悲しみも思考のパターン
私たちの人生はほとんどがパターン化された習慣によって作られていると考えられています。
- 思考のパターン
- 言動のパターン
- 行動のパターン
私たちはいつも新しい思考を作り出していると思っています。しかし実は同じ思考を繰り返しています。職場で、家庭で、友達と、環境は変わっても同じようなパターンで思考は作り出されています。
社会の中で人はストレスを作り出し、解決し、喜びを感じるというパターンを繰り返しています。しかし、そのパターンは中毒性がとても高いものです。いつも目標を立てて解決するというのは、とてもポジティブな思考に感じられます。その一方で、いつも乗り越えるべき壁がないと生きがいを感じられなくなる場合もあります。
ほとんどの人は、未来への不安を予測し、それを解決するための方法を考え、実行し、上手くいくと喜びを感じます。そして、そのパターンを繰り返すために次の不安を見つけます。
大きな場面で例えると...
→頑張って受験勉強をする(行動)
→受験に合格して嬉しい(解決・快楽)
もっとマイクロな場面だと...
→アマゾンのセールを待つ(行動)
→ポイント3倍で嬉しい(解決・快楽)
これらは賢く生きるために大切なことだと思えるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?ポイントで損したくないと思うあまり、セールを待っている間に売り切れてしまったり、ポイント欲しさにセール期間に必要以上に買いすぎてしまうこともあるかもしれませんね。
ここで問題なのは、結果的に得をしたか損をしたかではありません。未来に意識が向き、その瞬間への意識が弱まってしまうことが問題です。どれだけ賢く考えても、結果が予想を裏切ることは多々あります。だからこそ、未来に執着しないことが大切です。
勉強をする意義は将来の合否にあるのではなく、その瞬間に学んだ集中力や知識そのものです。そこを意識して、自分自身のおこなった勉強そのものに満足することができれば、結果がどうであれ自身の幸せは奪われません。
現実を受け入れるのがヨガなら苦痛も受け入れる?
インドの山奥にいる聖者が語った話です。
ヨガではリアリティ(プラクリティの創造物)を受け入れる。だからスイーツを食べるなどの快楽や、怒りの感情、禁欲もそこにある。これらの心の働きを傍観することがヨガである。私は“心”ではない。私はアートマン(自己の本質)。アートマンは感情を傍観する。
確かにヨガでは自身の心の働きを知るために観察をします。しかし、そこにある欲望や怒り、執着、悲しみなどの感情はずっと残るべきものなのでしょうか?
どうして快楽を求めるのか、怒りを覚えるのか、悲しみが訪れるのかを理解すると、これらの思考の働きも次第に弱まってきます。
まず、今目の前に見えるものは自分の内側の投影であることを知りましょう。世界にはあらゆる可能性がありますが、私たちはそのほんの一部、自分が見たいと望むものを見ようとします。
最近はSNSなどで顕著にみられます。自分が検索しがちなキーワードや、長い時間見ていた投稿は、グーグルなどがデータを集めて分析しています。そして、その人が興味を持ちやすい情報を画面に表示させます。
その結果、「ネットでみんなこう言っている。常識でしょ」と思い込んでいる意見が、実は他の人の画面では全く表示されない偏った意見である可能性もあるのです。
これはネットだけで起こっていることではありません。
例えばインドで遊ぶ子供を見た時に、ある人は「インドの子供はなんて無邪気で素直なのだろう」と思うだろうし、別の人は「黒くて細くて汚れた洋服を着た可哀想な子供たちがいる貧しい国」と感じるかもしれません。
同じ抽象画を見ても「美術史の歴史に残る傑作」と思う人もいれば「うちの子供の落書きと違いが分からない」と思う人もいます。前者はその絵に感動して大きな幸福を感じるでしょうし、後者なら退屈で早く家に帰って家事をしようと考えるかもしれません。
つまり、私たちが日々感じている喜びも苦しみも、自分の心が作り出しているものです。私たちが見ているものは自身の心の投影でしかありません。同じ場所にいても、それぞれの人は全く違う光景を見て、別の感情を抱きます。しかし、どちらもその人が経験した現実です。
サントーシャとは、今目の前にある幸福を見逃さないことです。「自分は不幸」だと思っている時には、自分の意識が良くないものに向いてしまいます。一度ネガティブなものの見方が身につくと、それを変えるのはとても難しいです。
だからこそ、ヨガでは客観的に観察します。その時の自分自身の現実を良い・悪いのジャッジをせずに知り、意識の癖を直していきます。
目の前の世界には、良い側面も悪い側面も両方ある。それを知った上で、自分がどこに意識を向けるか自身で選択することが大切です。偏見なく世界を見ることができると、この世界の美しさに気が付くことができます。