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人生には様々な悩みがありますが、問題の原因を考えると“自らの感情”が要因となっていることがとても多いです。そのためヨガでは、自分の周りの社会を変えるより先に自分自身の心を整える練習をします。
人生の苦しみを生み出してしまう感情を大きく分類すると6つです。その感情に向き合って理解することによって、新しい苦しみを生み出しにくくなるのではないでしょうか。
人生の障害となる6つの感情
感情にはポジティブなものとネガティブなものがありますが、特に苦しみを生み出しやすい感情は6つです。
- Lust:渇望
- Pride:プライド
- Obsession:執着
- Anger:怒り
- Hatred:憎悪
- Greed:貪欲
最初に理解しておかないといけないのは、これらの感情を私たち人間が先天的に保持しているのには、ちゃんと意味があるということです。
感情が消えてしまうと、人は生命活動を保てなくなってしまいます。しかし、感情がコントロールできないと苦痛の原因となってしまうので、バランスがとても大切です。
私たちの日常のコミュニケーションを考えると、9割は感情によって話をしています。理論的に解決策を考えているようでも、結局は「私はこうしたい」「未来はこうなって欲しい」という感情をベースとしていることが多いです。
つまり、私たちは感情に支配されているような状態で日常生活を行っています。ヨガでは感情に支配されている状況から、逆に自分が感情をコントロールするように鍛錬を行います。感情そのものは必要なものですが、その感情をスピリチュアルな成長のためのエネルギーに変えていきます。
それでは、1つ1つの感情についてみていきましょう。
Lust:渇望
渇望で最もよく説かれるのが性欲についてです。
ヨガではブラフマチャリヤ(禁欲)というトレーニングがあり、伝統的に性欲をコントロールすることを良しと説くことがあります。『ヨガ・スートラ』の中でも八支則の1つ目のヤマでブラフマチャリヤがあるので聞いたことがある人も多いかもしれません。
しかし、この性的な欲求も決して間違った要求ではありません。人間だけでなくあらゆる動物が性欲という本能を持っているからこそ、家族を養い、種を維持してきました。
一方で、渇望が大きすぎるとあらゆるトラブルの原因となります。それによって犯罪が発生してしまうこともあるでしょう。
ヨガで自身の内側に意識を向けたい人にとっては、異性への渇望感は障害となってしまいます。だからこそ感情に支配されないように、感情を正しい方向に修正します。
愛とは美しい感情ですが、ヨガ的な愛とは特定の対象に対する執着ではありません。ヨガの実践を行ってエゴ(自我意識)が弱まると、自分の恋人であっても、赤の他人であっても同じように愛おしいと感じることができます。また、人間以外の動物や植物に対してさえ、平等に愛を注げるようになります。
賢者は、学術と修養をそなえたバラモンに対しても、牛、象、犬、犬喰に対しても、平等のものと見る。(バガヴァッド・ギーター5章18章)
そのような愛を感じられるようになれば、家庭を持っていてもいなくても、渇望することなく生きることができます。
Pride:プライド
プライドはそれだけでは悪い感情ではありません。しかし、方向性を間違ってしまうと、人生の困難を招いてしまいます。
例えば、ヨガの成功を求めて一生懸命に実践することに対してプライドを持つことは、自身の成長を助けてくれます。ヨガを練習するときに、自分の先生やヨガの方法について疑念を抱いたままだと、効果を存分に受け取ることが難しくなってしまいます。だからこそ、ヨガを信じて、練習をやりきる強い気持ちはとても大切です。
しかし、自分自身に対する根拠のないプライドは人生の妨げです。間違ったプライドは、「自分は他者より優れているべき」というエゴより生まれます。それは弱い自分を守るための道具です。自分のプライドを守るために他者と衝突してしまうこともあります。
ヨガは自分自身の今に客観的に向き合うところから始めます。「私はこうである」という無用なプライドや思い込みを手放すことで、自由に自分自身を変えることができます。
Obsession:執着
執着という感情は、強いエゴの現れです。「自分自身」というエゴ意識が強いほど執着は強くなり私たちの心を拘束します。
例えば自分のパートナーに対しての執着。もともとは他人であり、違う価値観や考え方を持っている人をコントロールすることはできません。しかし「私の」パートナーであると思うからこそ、私を理解して欲しい、私と同じ価値観になって欲しい、私が恥をかくような行動をして欲しくない、私以外の女性を見ないで欲しいと沢山の欲が生まれます。
これは「私のもの」と「私のものでない」を強く区別してしまっているからですね。このようにエゴが強い状態ですと、相手も窮屈さを感じてしまい、衝突が起こります。
そして、最もやっかいなのが自分自身に対する執着です。
「私」に対する執着が強すぎると、自分が自分の思った通りにならなかったときの悲しみがより大きくなります。自分が望んだ仕事の成果を上げられない自分、自分の好きな形の目鼻でない自分、ダイエットに成功できない自分、自分に対して満足できないと人生は本当に苦しいです。
それは、自分自身に対してエゴが強くなりすぎているから起こります。ヨガで自分を客観的に見ることができると、無用なこだわりや自己否定も弱まってくるのではないでしょうか。
Anger:怒り
強い怒りの感情はとてもコントロールが難しいものです。怒りによって自身を見失ってしまう人もとても多いです。怒りの感情が一度現れてしまうと、人は冷静な判断をできなくなってしまいます。
例えば運転中に追い抜きをされて、とても腹を立ててしまう時があるかもしれません。そうすると「私に追い抜きをした」「私は被害にあった」という感情が強くなり、相手の立場にたって想像することができなくなってしまいます。
もしかしたら相手の車に陣痛の始まった妊婦が乗っていて、すごく慌てていたのかもしれません。そんなことは滅多にないかもしれませんが、自分が悪いことをされたと思った時にも相手の立場を冷静に考えることはとても大切です。
冷静さがないと、相手が自分を思ってしてくれたことに対しても勘違いして腹を立ててしまうことがあります。一度腹を立ててしまうと、相手の言い分を聞いてもいいわけにしか聞こえず、怒りの感情を相手にぶつけ続けてしまうでしょう。その結果、相手も同じように怒って争いになってしまいます。
怒りは、自分目線が強まることで増大します。自分と他者を平等に見て、相手の立場も理解できると自然と弱まっていきます。
Hatred:憎悪
憎悪とは、恨みと妬みです。憎悪もやはりエゴによって強まります。
よくあるのが兄弟関係です。子供の時に親が兄弟の中で一人だけを溺愛していて、自分に対しては充分な愛を向けられていないと感じると、兄弟間で強い恨みや妬みの感情が生まれます。場合によっては、自分が憎いと思う相手の不幸を願ってしまうこともあります。
『ヨガ・スートラ』の中で、嫌悪感は過去の記憶によるものだと説かれています。
ドゥヴェーシャ(嫌悪)とは、苦痛に伴う反感である。(ヨガ・スートラ2章8節)
一度でも苦痛の経験をすると、その経験が記憶となって対象を嫌いと感じるようになります。
幼少期に親に充分に愛されていないと感じていた人は、大人になっても誰にも愛されないことへの恐怖が強いでしょう。もし妹の方が可愛がられていたと思っていたら、妹と似たタイプの人を生理的に嫌いと感じてしまうこともあります。
嫌悪感は2度と同じ苦痛を生み出さないための防衛本能で生まれるものですが、過剰になると、心の中の憎悪感で冷静さを失ってしまいます。
Greed:貪欲
貪欲はむさぼる様に欲することです。
何かを欲することは悪い感情ではありません。例えば、よりよく生きたい、より健康に生きたいという欲求によってヨガの実践が深まることも多いです。しかし、極端に量を求めるようなことはよくありません。
私たちは地球という場所や資源を周りの人や自然と共有して生きています。その中で、必要以上に欲望を抱くと、大量の食糧や資源を消費し、多くの生を浪費してしまいます。
できるだけ、量よりも質を求めると良いでしょう。
例えば衣服にしても、毎年新しいトレンドのファストファッションを沢山購入するのではなくて、上質で気に入ったものを数枚だけ持っている方が、本当に気に入った洋服を毎日着られますし、環境や労働力を無駄にすることがありません。
感情はヨガの実践でコントロール
今回紹介した6つの感情は、エゴが強くなってしまうことで暴走しがちです。ヨガの練習できちんと自分の心に向き合うことによって、自分を客観視することができて、感情にも支配されにくくなります。
感情そのものは人生を豊かに生きるために必要なものです。しかし、感情に支配されて苦しくなってしまう時には、ヨガでゆっくりと深い呼吸をして、自分をしっかりと理解してあげると良いでしょう。