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ヨガに関わらず、私たちは生きていく中で多くのことを学びます。
本屋さんに行くと沢山の本が並んでいますが、どういった本が沢山並んでいるのかをみると、人々が人生で何を求めているのかが分かる気がします。
健康に関する本、お金に関する本、経済に関する本、料理の本、店舗型の書店なら地域によってもどのような分野のコーナーが大きく目立つ場所にあるのかによっても変わってきますね。
健康に関する本を読む人は「健康になりたい」という欲求があり、お金に関する本を読む人は「経済的に豊かになりたい」と願っているでしょう。
こういった知識は「これを学べばこう変われる」と、期待できる効果がとても分かりやすいです。しかし、哲学は漠然としていて分かりにくいかもしれません。
哲学ではそもそも「なぜ健康が大切なのか」「なぜお金が欲しいのか」を学びます。
そして、それを突き詰めていくと「何を手に入れたら幸せに生きられるのか」を学びます。
まずは自分が何を求めているところから見直すと、本当の幸せにもっと近づくことができるのではないでしょうか。
生き方を豊かにするヨガ哲学とは何か
哲学は、「叡智への愛」(ギリシャ語のphilosophia)を語源とした言葉であり、ものごとを深く考えて、本質を探すことを目的としています。
とても抽象的なので難しいと考えられがちですが、私たちの生き方を考えるためにはとても大切な学問です。
例えば、多くの人はパソコンを使って、どうやったら効率的にパソコンを使いこなせるかを考えます。しかし、パソコンを作っている人は、どうやったらもっと便利なパソコンを作れるかを考えます。
このように、与えられえたパソコンを使う側から、パソコン自体を作り出す発想力を生み出すのが哲学です。
人は常に頭の中で考え続けて生きていますが、1日の中で考えている思考のほとんどは無意識に行われています。
何となく社会の常識や親の教育などによって作り上げられてきた概念によって、目に見える世界を評価しています。だから、パターン化された価値観によって物ごとの「良い悪い」が決まってしまいますね。
ある国の価値観では、ぽっちゃりとした子供を見た時に
「幸せそうな子供。両親に愛されながら幸せに成長しているのだな」
と、温かい気持ちを感じます。
しかし、他の国の価値観で同じ子供を見た時には
「栄養管理のできていない両親に育てられている子供の将来が不安。ちゃんと食育をしないのは虐待行為に値する。」
と厳しく考える人もいるかもしれません。
物ごとの判断基準は国や宗教によっても違いますし、同じ国でも時代によって変化しています。
私たちは知らない間に自分がいる社会の中の常識に支配されてしまっているのです。
「私は幸せだろうか?」と考える時に、周りに押し付けられた価値観で判断し続けていると「給料がいくら以上なら幸せ」「何歳までに結婚出来たら幸せ」「体重が何キロくらいなら幸せ」だと、いつも条件付きの幸せを探してしまいます。
これらの価値観に疑いをもって自分自身で考えるのがヨガ哲学です。
ヨガ哲学では自分の幸せのカタチを探す
幸せの価値観には流行があります。時代は変わっているので、幸せの条件も常に変わり続けています。
私たちは、自分が育った時代の価値観で幸せを求めます。
少し前の価値観では高級な車や家を購入できれば立派な大人だと考えられてました。だから、自分も幸せになりたくて、新築の家を買うために必死で仕事をしてローンを組んで家を購入したとします。
自慢の家が手に入って幸福を感じていたのに、ほんの数年後に「今時新築を購入するなんて損」という新しい価値観が流行ってしまうと、「頑張って働いたら、こんな立派な家が建てられるぞ」と後輩に背中を見せる予定が、逆に「古い価値観で家を買ってローンを払い続けなくちゃいけない年寄り」という風に見られてしまうこともあります。
だから、他人に教えてもらった価値観だけを信じて生きるのは時に危険です。
ヨガでは、「これがあれば幸せ」という固定的な考えを押し付けません。ヨガでは自分自身のオーダーメイドの幸せのカタチを探します。
不完全であっても自分自身の義務(ダルマ)を遂行することは、他者のよく遂行された義務よりも優れている。たとえ自身の義務によって死ぬことになっても幸福なことだ。他者の義務を行うことは危険である。(バガヴァッド・ギーター3章35節)
全員が同じ価値観の成功を手にする必要はありません。
それぞれの人にとって快適な生き方のカタチは違うし、幸せの条件も違います。それが分かれば、他人の価値観に翻弄されて悩むことはなくなります。
自分の苦しみ・喜びの本質に向き合う
そもそも、自分自身が何に苦しみを感じて、何に喜びを感じるのかを知ることが一番大切です。
ヨガ哲学では苦しみの根源や喜びについても深く考えます。
苦しみとは幻(マーヤー)?
ヨガ哲学では、苦しみとは私たちの思考が作り出したマーヤー(幻)だと考えます。だからと言って「苦しみは本当は存在しない!」と自分に言い聞かせても何も解決しませんよね。
ヨガでは、今すでに感じてしまっている不安や苦しみの原因をじっくりとひも解いて考えます。
例えば、仕事で悩んでいる人がいたとすると…
「毎日仕事が嫌すぎてストレスで不眠症」
(自問)どうして嫌な仕事を辞めないの?
「今の仕事を辞めたら、今より良い給料の仕事はないかもしれないし将来が不安」
(自問)どうして給料が下がると不安なの?
「今住んでいるマンションの家賃を払い続けられないし、自由に使えるお金が欲しいし。」
(自問)働き続けて過労で身体を壊したり、うつ病になったら結局働かなくてもっと困るよね?
「せっかく入った有名企業を辞めたら親が悲しむし、同じくらい立派な仕事をしている友人への劣等感もある。」
(自問)つまり、社会的立場を失って、周りの人に認められなくなるのが怖いってこと?どうして周りの人に立派だと思われたいの?
「周りの人から評価されないと、自分に自信が持てない。ダメな人間になりたくない。」
(結論)自分への自信を失うのが怖いから社会的立場に執着して苦しい。
といった風に、苦しみの根源を探っていきます。
それが「社会的な立場を失うと不安」なのだとすれば、解決策は2つあります。
- 努力して社会的立場を維持する
- 社会的立場に関係なく自分を認められるようになる
どちらも素晴らしい方法ですが、1番をすでに頑張って苦しんでいるのだとすると、2番のヨガ的なアプローチに目を向けるのもいいのではないのでしょうか。
ヨガのサンカルパ(抱負)で本当の願望に気が付く
幸せについても同じです。
ヨガではサンカルパといって、自分自身への抱負を決めます。サンカルパを決めるためには、自身の願望に向き合って、なりたい自分について考えます。
願望には粗い願望と、深層にある本当の願望があります。
誰でも、最初にサンカルパを探すときには表面的な目標になりがちです。
「5キロ痩せたい」
「毎朝ヨガの練習をする」
「パートナーと良い関係を築く」
しかし、それぞれの願望に対して「どうしてそれを願うの?」と自問を続けていくと、最終的には「不安、恐怖、苦痛から解放されて幸せになりたい。」という共通した答えに到達します。
そのためには何が必要なのか?それを考えるのがヨガ哲学です。
何に対して不安を感じるのかは人によって違うので、幸せに近づくためにはオーダーメイドの道が必要になります。
苦しみと幸せ、どちらも社会の作り出した概念ではなくて、本当に自身の求めるものを探すことが大切です。
ヨガは実践と哲学を合わせて効果を高めやすい
ヨガ哲学で見つけた深い目標は「不安、恐怖、苦痛から解放されて幸せになりたい。」というとても抽象的なものですが、そこにたどり着くためのアプローチがあるのかはサンカルパを考える過程で少しずつ見えてくることが多いです。
しかし、頭の中で考えているだけでは解決しないことがほとんどですね。「自分に自信が持てればあらゆる不安は弱まる」と気が付けても、「自分に自信を持とう!」と言っているだけではなかなか難しいです。
だからヨガでは、哲学と実践の両方を同時に学びます。
自分自身の内側に向き合うために、自分の身体や呼吸、心に意識を向けながらアーサナなどの練習を行います。それによって、今までは無意識に避けてきた自分自身との対話を行うことができます。
自分のことを知って、認めてあげることができれば、安心に繋がります。
今までは「これがなくては幸せじゃない」というルールを沢山作ってきましたが、「これがなくても私は大丈夫」と思えるようになってくれば大成功です。
ヨガでは、必ず理論と実践を両方行います。理論が全くない状態で形だけのアーサナを行っても、それはストレッチやエクササイズにすぎません。
そこから学ぶこともありますが、もっと効果的にヨガで幸せを手に入れるためには、自分が求めることを理解して、そこに向かって練習をすることがとても大切です。
ヨガの恩恵をより受け取るために、ヨガ哲学も少しずつ学んでみてはいかがでしょうか。