至高の感動体験
みなさん、“無条件の愛”と聞いてどんな愛を思い浮かべますか?“無条件”というからには、見返りを求めない愛でもありますが、それは言葉では表し尽くせないほど偉大な愛。ヨガを実践し、ヴェーダを学ぶ私にとっての本当の変容は、無条件の愛が腑に落ちた瞬間から始まったように思います。
そのきっかけとなる出来事が起きたのが2016年。当時インドに長期滞在しアーユルヴェーダを学んでいたのですが、その終盤にさしかかったある日、突如涙が溢れて止まらなくなるという体験をしたのです。
仲間の朝礼での何気ない挨拶が奥深くに響き、これまで自分の中で堰き止めていたものが一気に流れ、涙となって溢れ出てきて……。
まさか私がこんな体験をするとは思ってもみなかったこと。聖者の方を前に感動で泣き崩れたり、グルからヨガの教えを聞いて、嗚咽するように泣かれるかたを何人も見てきましたが、かつての私には正直、理解できない感覚でした。
それが実際に、自分が大きな感動に包まれてようやく、こういうことが起こることに深い理解を示せるようになりました。
この経験から5年たった今、この時と同じような、自分の意志ではコントロールできない感動に包まれ、涙が流れるという体験をする機会があり、そのときにはたと気がついたのです。
インドでアーユルヴェーダを学び、師匠のもとで、さまざまな経験をさせていただいことで、私の意識の奥深くが、少しずつ、じわじわと浄化され、微細な癒しを積み重ねてきた結果、大きな癒しが起きたのだ、と。
癒しのプロセスの先に“無条件の愛”がある
癒しには段階があり、たとえば体調が整ったり、情緒が安定するというのは最初のステップに過ぎません。けれど、多くの人が、この最初のステップこそが癒しそのものだと捉えています。この先にある本当の癒しのプロセスを知らないのです。
本当の癒しのプロセスとは、無条件の愛を知り、受け取り、自分がそれそのもので存在するまでの道のりのこと。そこから得られる感動は、何にも変えがたいものがあります。
無条件の愛とは、自分にないものを得たり、欲求が満たされたり、誰かに大切にされたり、認められたり……という次元で起こるものではありません。
わたしたちの存在というのは、そもそも愛そのもの。この愛というのは宇宙の愛を指します。誰も何も悪くない、という深い真理であり、それを体現したとき、外の現象に振り回されることがなくなります。
圧倒的な自分への信頼。どんなことが起きても、ブレることなく、すべての瞬間にくつろいでいることができる。愛をもって、許すことができる本来の私たちの姿へと戻ることが究極の癒しであり、無条件の愛の体現なのです。
師匠は、言葉や知識以上に、この真理を教えてくれていたのだということが最近になって、ようやく腑に落ちました。
授業をとおして、研修をとおして、何気ない世間話の時間でさえも言葉以上に、実は意識の奥深くまできめ細やかに、無条件の愛の光を絶えず送ってくださっていた。真の癒しのプロセスへと、エネルギーレベルで導いてくれていたのだ、と。
偉大なティーチャーは、無条件の愛のシャワーを注ぎ続ける
偉大なティーチャーは、相手が誰であろうと、その人の完全性にだけ意識をチューニングし、その時々で必要なプロセスを踏めるよう、最適な気づきをもたらしてくれます。でも、そこに期待はありません。相手を変えようとする意図もありません。それは、相手の自由意志を尊重しているから。そして、ひとりひとりの完全性を信頼しているからです。
どんなに時間がかかろうと、相手を信頼する強さがなければ、誰も本当の自分に目を醒ますことはありません。そのきっかけを、いかに届けるのか、それは相手を信頼できるかいなかにかかっているのです。無条件の愛への目醒めは、誰かに物理的に導いてもらうものではなく、自らがそこに気づく必要があるからです。
そのプロセスにおいて、欠かせないのが潜在意識(インナーチャイルド)を徹底的に癒すこと。
私の場合は、5年かかってようやく潜在意識に本格的な癒しが起こり、体感をとおして、無条件の愛の片鱗に触れることができました。このプロセスは、今もなお進行中です。