こんにちは!丘紫真璃です。以前、このコラムで「赤毛のアン」を取り上げましたが、今回は、アン・ブックス第10作目にあたる「アンの娘リラ」をくわしく取り上げてみたいと思います。
日本では、「アン・ブックス」の中の1冊として位置づけられている作品ですが、海外では、「アンの娘リラ」は、アンシリーズではないという考え方が多いようです。
確かに、「アンの娘リラ」では、アンは脇役としてチラリと登場してくるにすぎません。本作の主人公はアンの末娘であるリラであり、15歳のリラの成長が描かれているのです。
アンシリーズの中でも、特にこの作品が異色なのは、第一次世界大戦という重いテーマを扱っているということもあるでしょう。第一次世界大戦中に、どのようにアンの末娘であるリラが成長していったのかということがイキイキと描かれているのです。
ヨガは、時代も国も越えます。第一次世界大戦中のカナダの少女の物語の中にも、ヨガとの共通点が見つけられるような気がするのです。
では!アンの末娘リラに会いにいってみましょう。
第一次世界大戦中のカナダが描かれる「アンの娘リラ」
「アンの娘リラ」が発表されたのは、1921年。第一次世界大戦が終わって3年後に発表された作品です。ヨーロッパで始まった第一次世界大戦に、カナダも連合軍側として戦いました。
「アンの娘リラ」を現代の私達が読むと、ドイツ軍を異様に悪者に描いていたり、連合軍として戦うことがとても気高いことのように描いていたりする部分が気になるのではないかと思います。
しかし、それも含めて、当時のカナダの小さな村に暮らす人々が、あの恐ろしい世界大戦をどのように受け止めていたかということ。ヨーロッパで始まった戦争が、海の向こうのカナダの小さな島の人々の素朴な暮らしに、どんな影響を与えていたのかということが、よくわかるといえるのではないでしょうか?
そういった意味でも、貴重な1冊といえるのが、この「アンの娘リラ」であると思います。
うぬぼれ屋でワガママ娘のリラ
アンの末娘であり、この物語の主人公であるリラは、15歳。青春真っ盛りのリラは、野心など特に持ち合わせていない少女であり、自分が愉快に過ごすということ以外には考えていない女の子です。
母親のアンも、リラについてこんなことを言っています。
「わたしはあの子に少しでも責任感というものがあればいいがと思うのよ、スーザン。あの子がひどいうぬぼれやだということはスーザンだって知っているじゃありませんか」
(「アンの娘リラ」)
物語は、そんなリラの初めてのダンスパーティーから幕を開けます。
リラは、初めてのダンスパーティーに有頂天になり、美しいドレスのことで一喜一憂。ハンサムなケネス・フォードと踊ってドキドキしたり、兄弟や友達がリラのことをすっかり忘れて、先に家に帰ってしまったからといって泣きじゃくったり、キレイな靴で足が痛くなって水ぶくれになってさらに泣いてしまったり……。
ところが、そんなリラの平和な世界が、パーティ―の翌日に一変してしまうことになりました。ドイツがフランスに宣戦布告をし、イギリスが、ドイツに宣戦布告をしたため、第一次世界大戦が幕を開けることになったからです。
イギリスの自治領であるカナダは、イギリス・フランスの連合軍側として、この世界大戦に参加します。町では、さっそく義勇兵を募り、リラの兄ジェムが、幼馴染と共に入隊を決めます。
兄が入隊した瞬間から、遠い海の向こうの出来事だった戦争が、にわかに、リラの世界に深く関係のあるものとなってしまいました。
リラは、泣きたいだけ泣きつくすと、母アンのもとに言って、こう宣言します。
「あたし、よくよく考えたけど、せいいっぱい、勇敢で、雄々しく、わがままを捨てようと決心したのよ」
(「アンの娘リラ」)
そうして、第一次世界大戦中の4年間もの間……15歳~19歳の青春真っただ中を、リラは不安にさいなまれる日々を過ごすことになるのです。
戦地の兄を思い、責任を果たす
リラはもともと、勉強にも興味がなく、かといって、料理も掃除も裁縫も大嫌いで、全く覚える気はありませんでした。父に「労せず、つむがず」だと言われるくらい、ただただ、楽しく遊んで暮らす少女だったのです。
それが、兄が戦地に行ったことで、自分もできるだけ、勇敢で、雄々しく、精一杯英雄的でありたいと考えたリラは、今までやったこともなかったことに取り組むことになります。
戦地で戦う兄たちにお菓子を贈りたいと、進んで料理を習って、フルーツケーキをこしらえられるようになったり。
「赤十字少女会」を中心となって発足させ、ベルギーの飢えた子ども達のための募金を求める音楽会を開いたり、ベルギーの苦しむ子ども達のための縫物を作ったり。
戦地の兵隊さんや、ベルギーの子ども達のための編み物や縫物をするようになって、リラはだんだん、苦手だった編み物や縫物も、上手になってくるわけです。
しかし、何よりもリラを成長させたのは、戦争孤児ジムスの存在でしょう。
リラが、ジムスに出会ったのは偶然でした。偶然、ある貧乏な家に立ち寄ったリラは、そこで、生まれたばかりのジムスに出会ったのです。
ジムスの生まれたばかりの現場は、悲惨でした。母親はジムスを産んですぐに息を引き取ったらしく、リラがそこに行った時にはすでに、布団の上で冷たくなっていました。
母親の亡骸と、生まれたてのジムスのそばにいたのは、飲んだくれの女だけ。その女は、ジムスの大叔母に当たる人なのですが、ジムスの世話をする気はまるでなく、ひたすら、酒を飲んでいました。
「リラは無言のまま、泣き叫ぶ赤ん坊を見下ろしていた。これまで人生の悲劇にぶつかったことがないので、この有様はリラの胸の奥まで突き刺した。哀れな母親が赤ん坊のことを思い悩みながらもそばにはこの厭らしい女のほかはだれもおらず、一人死の陰の谷へ下りて行ったことを思うと、リラはたまらない気持ちだった」
(「アンの娘リラ」)
リラは、戦争孤児の赤ん坊を引き取ろうと衝動的に決意をし、自宅に連れ帰ります。
リラは、両親や、お手伝いのスーザンが赤ん坊の世話をやってくれるだろうと期待していたのです。ところが、父は厳しく言います。
「もしお前がその赤ん坊をここに置いておきたいのなら、自分で世話をしなくてはならないよ。(略)お前にできないというなら、その子はメッグ・コノーバー(飲んだくれの女)のところへ戻さなくてはならないよ。戻せばこの子の寿命は短いだろう。明らかにこの子は虚弱な体質で特別の世話が必要らしい。たとえ孤児院へ送られたとしても生きながらえるかどうかわからないね。しかし、お前のお母さんやスーザンに無理をさせることはなりませんよ。」
(「アンの娘リラ」)
リラが育てるか、飲んだくれの女のもとに戻すか。
2択を迫られたリラは、赤ん坊を育てることを選びます。リラは、赤ん坊がもともと大嫌いでした。けれども、こうなったら徹底的に世話をしようと決意します。
「しかし、今となっては手を引くつもりはない。だれが手を引くものか。この憎らしい動物の世話はたとえ死んでもするから。幼児衛生学の本を買い、誰のお陰もこうむるまい。お父さんには絶対ものをきくものか。お母さんの手もわずらわせまい。スーザンには困りきったときだけ仕方がないから頼むことにしよう。みんな、今に見ていなさい!」
(「アンの娘リラ」)
リラは、この戦争孤児の赤ん坊にジムスと名づけ、幼児衛生学を読みこんで、徹底的な世話をして育てます。何しろ、赤ん坊が嫌いですので、最初はただ、ただ、お父さんを見返したいという気持ちと義務感から育てているのですが、ジムスがリラになつくようになってくると、だんだん可愛くなってきます。
そうして、ジムスを可愛がりながら育てるようになってくると、リラに、さらに変化が生まれました。責任感のなかったリラに責任感が生まれ、自分のことしか考えていなかったリラが、まわりを思いやれるようになり、まわりからの信頼をかちえるようになるのです。
誓いを守る
しかし、戦争の影も日増しに濃くなっていきます。1番目の兄が戦地にゆき、2番目の兄までもが戦地にゆき、仲良しの幼馴染も次々に出征し、初めてのダンスパーティーで惹かれ合っていたケネス・フォードもやはり出征してしまいます。
そんな不安な毎日の中、心配をふりはらうように目の前の仕事に集中し、ジムスの世話や、家の手伝い、赤十字少女会の活動などを忠実にこなしていくリラの姿は、ワガママなうぬぼれ屋と言われていたとは思えないほどの成長ぶりで、すでに、ヨギーの面影が立派に出ているといえるのではないでしょうか?
けれども、戦争はさらに残酷な悲劇をもたらします。リラの最愛の兄……2番目の兄ウォルターが戦死してしまうのです。
苦悶にもだえるリラのもとに、1通の手紙が届きます。ウォルター自身が戦死する直前に書いた手紙でした。ウォルターは、自分が戦死することを予感し、最後の言葉としてリラに手紙を残したのでした。
「君の顔にはまだ笑いがあるだろうか、リラ? あるようにと願っている。このさきの何年かは今までにもまして笑いと勇気を必要とするだろう。(略)
自分のことだけではなくリラ、君のことでも僕は予感がするのだ。ケンは君のところへ帰ることと思う。そして、やがて君に長い幸福な年月が訪れるだろう。君は子供たちにわれわれがそのために闘って死んだ理念を教えるだろう。その理念はそのために死ななければならないと同時に、そのために生きなければならないこと、そうでないとそのために払った犠牲が無駄になるということを子供たちに教えてくれたまえ。
これは君の役目の一部だよ、リラ。もし、君が…故郷の娘すべてが、そうしてくれるなら、われわれ戻らない者は君たちがわれわれに対して『誓い』を破らなかったことを知るだろう。」
(「アンの娘リラ」)
ウォルターは、ドイツ軍と戦うということは、軍国主義の国と闘うことであり、2度と戦争のない平和な世界にするために闘っているのだと固く信じていました。ウォルターだけではありません。出征したリラの他の兄達、幼友達もみんな、そう信じていたのです。
そしてまた、大事な人を見送るリラ達も、兄達が闘っているのは、世界の平和のためなんだと強く信じていたのです。
リラは、手紙を胸に抱いて言います。
「誓いは守ってよ、ウォルター。あたしは働き、教え、学び、笑いましょう。ええ、笑ってだってみせるわ。一生ね」
(「アンの娘リラ」)
誓いを守るということは、未来の子供達に、戦争は恐ろしいものであり、決して起こってはならないものであると教えるということであり、また、新しい平和の世界で、目の前の仕事に忠実に、明るく、強く生き切るということでもあるでしょう。
リラは、自分の宣言通り、ウォルターが亡くなった悲しみを見せず、明るく朗らかに家族を励ましながら、目の前の仕事を忠実にこなして、戦争を乗り切っていきます。
まわりが思わず励まされるような、明るく、強いリラの姿は、確実にヨギーの姿といえるものであると、私はそう思うのです。
今までのアンシリーズにあふれる楽しく愉快な世界を知っているだけに、このリラの本にのしかかる戦争が、重く胸に響きます。
ウォルター達のような立派な若者を、死に向かわせた戦争というものの恐ろしさを、改めて考えさせられる作品ともいえるでしょう。
日本が第二次世界大戦の終戦を迎えて76年。現代の日本人である私達もまた『誓い』を守って、平和の大切さを改めて、考えていきたいですね。
参考資料
- 『アンの娘リラ』(昭和34年:モンゴメリ著/村岡花子訳/新潮文庫)