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古典的なヨガで代表的なものにラージャ・ヨガがあります。
名前を聞いたことがある方も多いと思いますが、ラージャ・ヨガが何かを説明できる人はあまり多くないかもしれません。
今回は、古典ヨガであるラージャ・ヨガが何かをご説明いたします。
ラージャ・ヨガとは?ハタヨガとの違い
ラージャ・ヨガは経典『ヨガ・スートラ』の中で説かれているヨガの実践方法を示しています。
ヨガ・スートラの中でラージャ・ヨガという言葉は出てきませんが、後世になってハタヨガが体系化された時に、古典ヨガであったヨガ・スートラのヨガのことをラージャ・ヨガと呼ぶようになったと考えられています。
ラージャ・ヨガとハタヨガの比較
ラージャ・ヨガでもハタヨガでもサマーディ(三昧)に到達して高次の精神状態を実現し、あらゆる苦悩からの解脱を目指すことで一致しています。
しかし、アプローチ方法に違いがあります。
ラージャ・ヨガ:精神的なヨガ。瞑想を中心とした心のコントロールを実践の中心とする。
ハタヨガ:心的なヨガ。体や呼吸へのアプローチを通して、徐々に心もコントロールできるようにトレーニングする。
より古いラージャ・ヨガは、とにかく瞑想をして心にダイレクトに働きかけます。
しかし、時代が進むにつれて、私たち人間の社会生活はより複雑になり、「ただ瞑想をしろ」と言われてもなかなか瞑想に集中できない人がとても増えてきました。
そこでハタヨガでは、心にも繋がっている体や呼吸に先に働きかけることによって、段階をふんで徐々に心をコントロールしようとアプローチをします。
だから身体的なヨガの練習が中心となりますが、目的はラージャ・ヨガの瞑想と同じです。
ハタヨガは、高遠なラージャ・ヨガに登らんとするものにとって、素晴らしい階段に相当する。(ハタヨガ・プラディーピカ1章1節)
ハタヨガで行われている様々な実践方法は、あくまでもラージャ・ヨガへの階段であると教典の中にも書かれています。
ラージャ・ヨガの八つの実践:八支則
教典ヨガ・スートラで説かれるラージャ・ヨガでは、8つの実践法を段階的に行うことによってサマーディ(三昧)に到達することができると考えられています。
ラージャ・ヨガの八支則
- ヤマ(制戒):社会的な禁止事項
- ニヤマ(内制):自分に対する制御
- アーサナ(座法):安定的な座り方
- プラーナーヤーマ(調気法):呼吸でプラーナ(気)をコントロール
- プラティヤーハーラ(制感 ): 外界から受ける感覚を断つ
- ダーラナ(凝念):意識を一点に集中
- ディヤーナ(静慮 ):ダーラナで一点だった対象を広げる
- サマーディ(三昧): 心が停止した状態。
ヤマ(制戒):社会的な禁止事項
1つめのヤマでは、社会的な生活の中での禁止事項です。
山の中には5つの教えが含まれています。アヒムサ(非暴力)、サティヤ(嘘をつかないこと)、アステイヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)です。
ニヤマ(内制):自分に対する制御
2つ目のニヤマにも同様に5つの教えが含まれています。
シャウチャ(清浄)、サントーシャ(知足)、タパス(苦行)、スヴァディアーヤ(読誦)、イシュワラ・プラニダーナ(神への祈念)です。
ヤマとニヤマでは、生活の中の習慣を変えながら、物質世界への執着を弱めていきます。それによって、より自己の内側に意識が向きやすくなります。
アーサナ(座法):安定的な座り方
3つ目はアーサナ(座法)ですが、教典ヨガ・スートラでは具体的なアーサナの名前は1つも出てきません。
私たちがイメージするような様々な種類のアーサナはハタヨガで発展したものとして考えられています。
ラージャ・ヨガにとってのアーサナは、瞑想を快適に行うために適した座り方を意味し、パドマ・アーサナ(蓮華座)などの瞑想にふさわしい座り方が中心であったと考えられます。
プラーナーヤーマ(調気法):呼吸でプラーナ(気)をコントロール
4つ目はプラーナーヤーマ(調気法)。
呼吸の流れを穏やかにすることによって心も穏やかにすることができますが、ヨガ・スートラでは特定のテクニックについては書かれて言いません。
プラティヤーハーラ(制感 ): 外界から受ける感覚を断つ
5つ目のプラティヤーハーラ(制感)は、心が外の感覚に結びつかなくなる状態を意味しています。
外の音や色、温度などが存在していても、心がそこに結びつかなければ、内側の静けさを得ることができ、深い内観を実現することができます。
ダーラナ(凝念):意識を一点に集中
6つ目のダーラナ、7つ目のディヤーナ、8つ目のサマーディの3つを合わせてサンヤマと呼び、深い瞑想状態です。
ダーラナでは、意識を1点の対象に集中させて、それ以外の雑念が現れなくなっている状態です。
ディヤーナ(静慮 ):ダーラナで一点だった対象を広げる
7つ目のディヤーナでは、ダーラナがさらに深まり、遮られない瞑想状態に入っていきます。
サマーディ(三昧): 心が停止した状態
8つ目のサマーディでは、瞑想の対象に対する意識が深まるあまり、瞑想者は自分自身のエゴ(自我意識)を失います。
人は常に自分自身への固執によって苦しみを生み出しますが、自我を忘却することによって、あらゆる執着から解放されることができます。
ラージャ・ヨガの目的「心を鎮めること」
ラージャ・ヨガの教典ヨガ・スートラの中では、ヨガの目的とは心を鎮めることだと説きます。
ヨガとは、心の働きを止滅することである。(ヨガ・スートラ1章2節)
ヨガの瞑想では、あらゆるアプローチを行いながら最終的には心の中のあらゆる雑念を止めていきます。
瞑想を行うことで物質世界の苦悩から解放される
どうして心の働きを止めようとするのでしょうか?
心というのは、常に外側の物質世界に結びついてしまっています。
例えば、自分に対して考えるとき「私は背が低くて華奢だ」「私は記憶力が弱い」などと考えますが、それは自分以外の他者と比較した時の自分の評価です。
例えば、日本では自分はぽっちゃち体系だと認識していても、海外に行ったら周りの人よりも自分の方が細かったという経験は度々起こります。
つまり、自分に対する評価は、自分の周りの環境との比較でしかなくて、全て自分の外の物質世界に委ねられています。
このように、外の物質世界から得た情報に対して一喜一憂していると、いつまで経っても安定した幸福を感じることができません。なぜなら、外の世界は自分の思い通りにならず、常に変化し続けているからです。
だからヨガでは、本当の独立=解放とは何かを考えます。
思考は常に外から入ってくる情報に対して結びついて翻弄されているため、思考の働きが大きければ安定は手に入らないと考えます。
だからこそ、ヨガの瞑想では思考の働きを制止させます。
思考の働きを止める=「無」ではありません。実際に瞑想で雑念が消えていくと、自分の内側に静けさ、穏やかさを感じられる意識が残っていることに気が付きます。
この、思考さえ手放した時に現れる自分自身のコアな意識体のことをプルシャ(真我)と呼びます。
プルシャは、外の世界に惑わされない独立した存在です。プルシャを感じて、どんな事象にも惑わされない自立した自身の本質を見つけることがラージャ・ヨガの目的です。
ラージャ・ヨガを知るとヨガが深まる
現在行われているヨガで最も多いものはハタヨガを土台としたものです。
しかし、すでにご説明した通り、ハタヨガとはラージャ・ヨガを目指す人にとっての階段だとされ、最終的な目的はラージャ・ヨガと同様だと考えられます。
古典的なヨガの目的を知っていると、ヨガとは何なのかを理解することができますね。自分自身が今練習しているヨガを深めるためにも、ラージャ・ヨガについて学ぶといいかもしれません。