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ヨガでは、人はみんな違って良いのだと説きます。
どうしても人は比較をしてしまうものです。そして、周りの人と比べて自分が劣っていると思うと悲しくなってしまいますよね。
しかし、比べる必要は全くありません。世界は、みんな違うからこそ色鮮やかで、それぞれが支えあえって生きることができます。
今回は自分自身の役割と他者の役割についてご説明します。
自分自身の役割スヴァダルマと他者の役割パラダルマ
『バガヴァッド・ギーター』の中でクリシュナ神は、人にはそれぞれ与えられた役割があるから、自分の役割を全うするようにと説きます。
自己のダルマの遂行は、不完全でも、よく遂行された他者のダルマに勝る。本性により定められた行為をすれば、人は罪に至ることはない。(バガヴァッド・ギーター18章47節)
それぞれの人に与えられた義務、役割のことをダルマと呼びます。
また、他人に与えられた役割を羨ましがったり、他人に与えられた役割を横取りしたりするのはよくないと説かれます。
スヴァダルマ:自分自身に与えられた義務
パラダルマ:自分以外の他者に与えられた義務
例えばレストランで、皿洗いは手が荒れるし水が冷たいから誰もやりたいと思いません。だからと言って、メインのシェフが、周囲に気を使って自ら率先して皿洗いをしてあげるのは得策ではありません。確かに、同じレストランで働く人には「良い人」と感謝されるかもしれません。
しかし、レストランに中でお客様が求める料理を作れるのがシェフしかいないのであれば、シェフは調理という自分の仕事に専念することがレストラン全体にとって1番好ましいことです。
このように、一見良い行いであっても、ある人にとってはふさわしくない場合もあります。
自分に与えられたダルマを理解して遂行する
「自分に与えられた役割=スヴァダルマ」は、残念ながら自分自身で好きに決めることができません。
例えば、オリンピックで活躍したいと思っても、今日急に競技場に行って、試合に参加することはできませんね。
どのようなダルマが与えられるのかは、先天的な要因と、自分自身の過去の行いも影響してきます。
オリンピック選手であれば、生まれ持った才能も必要です。しかし、才能だけではなく、学生時代に友達がゲームで遊んでいても断って練習し、友達がジャンクフードを食べても、お酒を飲んで遊んでいても体調管理のために参加せずと、自分の人生を捧げながらの努力が結果としてオリンピック選手という役割に繋がります。
- 才能など生まれ持って与えられた要因
- 自分の過去の行いによって築かれた要因
「こんな仕事をしたい」と思ったら、それに向かって努力をすることは大切です。しかし、求めた役割は願い通りに与えられる場合と、与えられない場合があります。
それでも自分の未来を良くしようと行った努力は、自分の思う形ではなくても、必ずいい結果を生みます。
最善は尽くしながら、与えられた結果がなんであれ満足する。それがヨガ的な行いです。
人生の中で、タイミングごとに与えられたダルマの遂行
今まだ、「これだ!」と思えるダルマが見つからない人でも焦る必要はありません。インドでは、人生は4つの住期に沿って役割が与えられると考えられています。
例えば、ヨガのティーチャーズ・トレーニングを受けたばかりの人は、早くヨガの先生として自立しようと一生懸命にヨガのクラスを開催しようとしますが、最初はなかなかうまくいかなくて悩んでしまう人も多いかもしれません。特に、同期で学んだ友達が先に先生として成功してしまうと焦るかもですね。
その人にとって、もしかしたらまだ今は学びの期間なのかもしれません。
インドでは学ぶべき期間のことを学生期(ブラフマチャリヤ)と呼びます。このブラフマチャリヤ期に学ぶことに専念することによって、次の家住期(ガールハスティヤ)が実り多きものになります。
ガールハスティヤ期では、職業に専念して、家族を持ち、社会にも貢献することが良しとされます。
誰にでも、今この瞬間に行うべきことが違います。だから、まだ与えられていない役割に対して焦る必要はありません。今が学ぶべき時であれば、学ぶことに専念するべきです。仕事が与えられるときには仕事に専念しましょう。
そして、充分に働いた後には林住期(ヴァーナプラスタ)が訪れます。林住期は隠居生活の時期だと言われることも多いです。
手放すタイミングが来たら、自分の仕事を人に譲ることも定められています。その時には、本当に自分自身のために時間を使うことができるようになります。
自分のスヴァダルマに対して責任をもつ
自身に与えられるスヴァダルマは、自分自身の過去の行動に対してけじめをつけることでもあります。
例えば、子供を産むと決めた人にとって、子供を育てる行為がスヴァダルマとなります。子育ては良いことも苦しいことも常にセットで現れます。子供が自分の思い通りにならない時には苦しいと感じます。
また、非常に長い時間子供のために拘束されるため、自分自身を失ってしまうように感じる人もいるでしょう。特に、周りの友達が社会でバリバリ働いていたら、「彼女たちは自分の人生を生きているのに、自分は全ての時間を家の中で子供のためだけに過ごしている」と惨めに感じてしまう瞬間もあるかもしれません。
それらのネガティブな感情も自然なことです。
ダルマ(与えられた役割)は、大原則として自身と周りの世界全体が良くなるための行為です。しかし、子育てのような大きなダルマの中には、必ずポジティブなものとネガティブなものの両面がセットで含まれています。
前向きになれない自分を不快に思ってしまう時もあるでしょう。しかし、その経験さえも前に進むために必要なものです。
大変な役割を与えられた時こそ、できればヨガの時間を持てるといいです。1時間のヨガのクラスに行くことが難しい人も多いでしょう。トラータカのように、10分程度の短い時間で感情を整えられるヨガの実践もあります。
幼い子供がいれば、たった10分さえ自由にならないお母さんもいるでしょう。本当につらい時には遠慮せずに人に助けを求めてもいいです。
そうやって、一生懸命生きることが、必ず未来に繋がります。
大切なことは、今与えられた自分の役割に向き合い続けることです。
たまに弱音を吐いても、誰かに助けを求めても、自分自身の人生を精一杯生きることこそ、クリシュナ神がバガヴァッド・ギーターで説いたカルマ・ヨガ(行為のヨガ)であり、スヴァダルマの遂行です。
自身のスヴァダルマの見つけ方
ヨガ哲学でダルマについて学んだ多くの人が抱く悩みがあります。
「そもそも私に与えられた役割が分からない。」
そういった悩みを持っている場合、多くの人は職業について考えています。この先、どのような職業に就いて生計を立てるのかは、誰にとっても大きな悩みですよね。
職業的なダルマは、必ず充分な学びの後に与えられます。学びの途中では、先の職業が分からないことも当たり前です。焦らずに、目の前のことを行いましょう。
ギーターのカルマ・ヨガでは、今この瞬間に与えられたダルマを淡々と行為することを推奨します。そのダルマは、生涯を通して行う天職だけではありません。もっと足元のダルマも大切です。
例えば、朝起きたら歯を磨く。白湯を作って飲む。こういった、自身の体を良い状態に保つための行為も大切なダルマです。
家族がいれば、健康を考えた食事を作る。それもとっても大きな役割です。そうやって、目の前に与えられたことを一生懸命行うことが大切です。
人によっては、家族のためにと工夫していた料理が認められてレシピ本を出版する人もいるかもしれません。自分の体調の改善にと実践したアーユルヴェーダの体験が他の人を救うかもしれません。
将来のことは分かりませんが、今の人生を精一杯生きることが未来に繋がります。
自分に与えられたダルマが分からないと思う人は、もっと足元の行為を見直してみましょう。食べるもの、読むべき本、一緒に過ごすべき人、そういった生活の積み重ねこそがダルマの遂行に繋がります。