記事の項目
人には他人を喜ばせたいという純粋な欲求があります。
それ自体はとても良いものなのですが、時に贈り物の目的を間違ってしまうこともあります。
見返りを求めたり、自分への賞賛が欲しくて行われたりする場合には、かえって心の中にモヤモヤを生んでしまう場合があります。
受け取る側としても、必要ないものを貰ったら困ってしまいますよね。
今回は贈り物について『バガヴァッド・ギーター』の言葉をもとに考えてみましょう。
贈る行為には3つの種類がある
経済や社会の情勢があまり明るくないときこそ、人と人との助け合いが大切になります。
本当に困っているときに手を差し伸べてくれる人がいると、心から感謝が湧いてきますね。
そして、自分が大変な時でも周囲の人に手を差し伸べてあげられる人の周りには、必ず同じだけの幸福が帰ってきます。
ギーターの中では。寄付や供物について3つのグナに当てはめて解説しています。
3つのグナとはサットヴァ・ラジャス・タマスです。この3つは世界を作り出す3つの性質として知られています。
- サットヴァ:純粋な性質に支配されている。
- ラジャス:劇質な性質に支配されている
- タマス:暗室、鈍質な性質に支配されている
この3つは世界のあらゆるものに当てはめることができますが、私たちの日々の行動も例外ではありません。
自分自身の行為が純粋な動機で行われているのか、もしくは、下心やエゴに満ちていないのか、3つの性質に当てはめて考えてみましょう。
サットヴァ・ラジャス・タマスな贈り物
寄付や贈り物をしようとしたとき、良いことをしようとする心はとても素晴らしいことなのですが、時に相手に対して喜ばしくない贈り物になってしまう場合があります。
ギーターの中では、サットヴァ性の贈り物は好ましいと説かれています。
サットヴァ性の贈り物とは、必要な時と相手に対して、見返りを求めないで行うものです。
それに対して、適切でない贈り物にはラジャス性とタマス性の贈り物があります。
ラジャス性の贈り物とは見返りを求めて行うもの、タマス性の贈り物とは、間違ったタイミングで適切でない贈り物をすることです。
それぞれを詳しく見ていきましょう。
サットヴァ性の贈り物
もっとも好ましい寄付、贈り物はサットヴァ性の贈り物です。ギーターの中では次のように書かれています。
見返りを求めずに、適切な場所で、適切な時間に、それに値する相手に対して、自身の義務として行う寄付はサットヴァ性である。(バガヴァッド・ギーター17章20節)
チャリティーや寄付などの慈善行為はダーナムと呼びます。
ダーナム(寄付)は物質的なものへの執着を無くし、思いやりの感情を育てて、大きな心を得ることができます。多くの宗教で慈善活動や寄付を勧めるのは、それが人の心を成長させてくれるからです。
しかし、寄付も方法を間違ってしまうと正しい成果が得られません。
ギーターに書かれた正しいダーナムの定義を見ていきましょう。
適切な場所・適切な時間・適切な相手に贈る
贈り手が「これを贈りたい」というエゴが働くと、適切ではない贈り物をしてしまいがちです。
例えば震災があった時には、誰もが自分にできることをしたいと純粋な心で思います。しかし、家にある古着などの不用品を大量に受け取っても、現地の人は逆に困ってしまうことがありますよね。
贈り物をするときには、それが適切な贈り物か客観的に考える能力も必要です。
適切な場所と時間
自分が贈りたいタイミングと場所で差し出すギフトは、逆に相手を困らせる場合があります。
例えば音楽好きの1人暮らしの友人に、自分が使わなくなった高級で大型のスピーカーを贈っても相手は困ってしまいますよね。小さな1人暮らし用の部屋では大きな音を聴けませんし、そもそも場所をとるものは迷惑です。
タイミングも大切です。ブランド好きの友達が子供を出産したタイミングで、その子が大好きなブランドのバッグを贈っても相手は困ってしまいます。嬉しいけれど、今は使えないし、子供が触らないようにと箪笥の肥やしになってしまいますね。
インドでもこのような場面が頻繁にみられます。宗教的な祭日にはミターイー(スイーツ)を贈りあう習慣があります。また、目上の方の自宅を訪ねる時にもミターイーは必須です。
しかし、現代のインドでは糖尿病の人も多く、砂糖を摂取できない人も多いです。本人も気を付けているのに、文化的な習慣で、無理にスイーツを食べないといけない場面がたくさんあります。
気が利く人は、ナッツやドライフルーツを持って行ったり、デーツなどを使った砂糖なしのミターイーを持参したりしますが、それらは小さい割に高額なので、自分をよく見せたい人ほど安価な砂糖たっぷりのお菓子を持っていってしまいます。
適切な相手に贈る
人間の心理としては当たり前ですが、人は自分が好きな相手に対して贈り物をしたいと思います。知らない人に優しくできる人は少ないです。
しかし、自分の好きな人が必ず適切な相手だとは限りません。
すでに富を持って社会的な立場が高く、裕福な人にばかり贈り物が集まることは多々あります。何でも自分で購入できる、お金のある人にばかり物が集まって、本当に必要な人達は何も手にすることができません。
贈り物は、それを本当に必要な人に届けられると、より大きな幸せを生むことができますね。
ラジャス性の贈り物
自分自身に対する見返りや結果を求めての寄付はラジャス性です。
見返りを期待して、成果を求めて、また、しぶしぶ差し出す贈り物はラジャス性である。(バガヴァッド・ギーター17章21節)
欲望や結果のために行う行為は全てラジャス性に属します。
インドだと自分の先生や目上の人にギフトを贈る文化があります。残念ながら、権威のある人に対して、自分がどれだけ大きなギフトを贈ったのかを競争しあう人が多いのも事実です。
そして、SNS などに写真を投稿したり、ホームページで公表したりすることが多いです。
それは、自身への賞賛を集めるための PR 活動にすぎませんね。
残念ながら、これはヨガの団体でも起こり得ます。
インドで大きなヨガや宗教の団体の多くは、カルマヨガ(行為のヨガ)の一環として慈善活動を行います。もちろん、貧しい人たちに対して食料や教育を提供することは素晴らしいことです。
しかし、そのような慈善活動を広告塔として、沢山の寄付を募り、団体自体の富が巨大化していくことが多々あります。そういった活動の中には、目的のために渋々行われる寄付も多いです。
自分のお金を手放したくないけれど、立派な団体に寄付をしたら社会的地位が上がるという下心でのみ行われる寄付は、結果的に良い活動に使われたとしても、寄付した人の心には良い影響がありませんね。
タマス性の贈り物
最後はタマス性の贈り物です。
不適切な場所で、不適切な時に、ふさわしくない相手に贈られ、尊敬なく、無礼な態度で行われる寄付はタマス性である。(バガヴァッド・ギーター17章22節)
相手にとっての思いやりがなく、適切でない方法での贈り物は、タマス性です。
相手のためと思っていても、実はありがた迷惑なことは日常でも多々ありますよね。
例えば、食べ物。ヨガをしているとベジタリアンの人も多いと思いますが、生徒さんからの行為で頂いた洋菓子に卵や動物性のエキスが入っていて食べられないという場合も多々あります。
ベジタリアンでない人は、まさかお菓子に動物性が入っているかなんて気にすることもありませんから、完全に好意であっても、逆に相手を困らせてしまうことがあります。
他者に何かをしたいのは美しい心。だけど少しだけ考えてから贈りましょう
せっかく良いことをしようとしているのに、水を差すようなことばかりを書いてしまいました。
筆者も最近、目上の人に日頃の感謝をこめてギフトを贈りたくて、何日も悩んでいました。
最も尊敬する人に相談したところ、「どうしてもプレゼントしたいなら、現金を贈りなさい。コロナ禍ではこれ以上のギフトはない。」と言われて、納得しました。見栄えはよくなくても、1番合理的ですね。
相手のことを思って、敬意をこめての贈り物は最高の喜びを与えてくれます。また、人と共有することは、自分の富を守ろうとする執着を手放す心のトレーニングとなります。
ぜひ、贈り物をするときにはギーターの考えも参考にしてみてください。