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パターンジャリの『ヨガ・スートラ』によると、ヨガの練習の成果を得るためには、修習(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)が欠かせません。
これはヨガに関わらず、どんなことでも“達成したいとき”には必要な教えです。
今回はアビヤーサとヴァイラーギャについて説いてみます。
心の癖を修正する修習(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)
私たちの心は、そのほとんどが日常の習慣から作られたパターンで動いています。
自分の人生を、心の状態を変えたいと思ったら、習慣を変えることが大切です。
ヨガ・スートラでは、ヨガの目標達成のために必要なアビヤーサとヴァイラーギャについて説いています。
それら(心の働き)の止滅は、アビヤーサとヴァイラーギャによって実現される(ヨガ・スートラ)1章12節
ヨガ・スートラで定義されたヨガの目標は「心の働きを止滅すること」です。その目的は、一朝一夜で叶うものではなく、近道のない地道なヨガの道によって初めて実現するものです。
- 修習(アビヤーサ):持続的な努力
- 離欲(ヴァイラーギャ):あらゆる対象への欲望から自由になること
ヨガは自分の心をコントロールすることさえ可能な、とても大きな力をもった実践方法です。自分の心を変えることができれば、自分の行動も変わり、結果的に自分の人生も自由に切り開くことができます。
しかし、魔法のように急に世界が激変するわけではありません。
自分を変えるためには、誰かに助けてもらうのではなくて、自分で実践することが必要になります。
3日坊主にならない途切れない継続的な努力、アビヤーサ
アビヤーサは継続的な努力を意味した言葉です。
アビヤーサは長い期間、休むことなく、厳格に実行されることで確固とした基盤となる。(ヨガ・スートラ1章14節)
ヨガの練習は継続することが1番大切で1番難しいです。
ヨガに限らず、新しいことを始める瞬間はとてもやる気に満ちていますが、3日も経つと挫折してしまうことは多々ありますよね。どれだけすごいことでも、継続しないと意味がありません。
どうして継続することは難しいのでしょうか?
人間の脳は変化を嫌い、できるだけ同じ状態を維持しようとします。
例えば、早起きの習慣のない人にとっては、毎朝早く起きて瞑想をすることはとても大変なことに感じられます。
最初の1日2日目は新しい挑戦に対してワクワクしているので、アドレナリンも活発に分泌され、気持ちよく起きられるかもしれません。
しかし、一時的な興奮状態から抜けたとたんに、元も生活習慣に戻ろうとしてしまいます。今まで通り、朝はギリギリまで布団の中で過ごしたい。夜は夜更かしをしたい。そのような、既に作られた習慣を変えることは容易くありません。
元の生活に戻るために、思考はあらゆる言い訳を考え始めます。
「昨晩は寝つきが悪くて睡眠不足だから」
「今日は大事な仕事があるから体力を使いたくない」
「今日は体調が悪い気がする」
早起きをしないための言い訳を生み出すことは簡単です。もっともらしい理由を作って、脳は変化しないように抵抗します。しかし自分で変化の扉を開かないと、誰もあなたの人生を変えてくれません。
時には、「こんなことしてもきっと変わらない」と、ヨガの効果そのものを疑ってやめたくなる時もあります。しかし、効果は実践した人にしか現れません。実践していない人は、その効果があるのか、ないのか、真実を知ることができません。
「今のままで変わらなくてもいい」と思ってしまうこともあるでしょう。しかし、1度決めたことを諦めるのは、自分に嘘をつくことになります。自分を裏切ることを繰り返していると、それも悪い習慣になってしまいます。
だから、壮大な目標を決める必要はありません。毎朝1時間のヨガが難しければ、30分でも良いので、まずは続けることを目標にしましょう。
習慣にするには2~3週間はかかってしまいますが、1度習慣化すると、続けることがとても楽になります。
集中して実践することの大切さ
アビヤーサは続けるだけではなくて、厳格に行うことも必要です。
厳格にとは、熱心に集中して練習を楽しむことです。同じ練習をしていても、心が入っていない練習ではヨガとしての効果が薄れてしまいます。
例えば、テレビを見ながらストレッチをしていれば、たしかに退屈することなく体の柔軟性を高めることができるかもしれません。しかし、それでは外的な効果しか得ることができません。
ヨガでは、感覚器官に惑わされずに内側に集中することがとても大切です。同じアーサナを行っていても、練習しているときの呼吸や体の感覚、心の働きへの内観を深めながら練習することで、ヨガとしての効果が何倍にも高まります。
内側に集中することは簡単ではありません。ヨガを練習するスペースを決めて、毎朝同じ時間に、同じ場所で練習するなど、環境を整えることも効果的です。
欲を手放して練習するヴァイラーギャ
アビヤーサと同じくらい大切なのがヴァイラーギャ(離欲)であり、欲を捨てることです。
ヴァイラーギャとは、見たり聞いたりしたあらゆる対象に対して無欲になった人が抱く熟達した意識である。(ヨガ・スートラ1勝15節)
見聞きすることのできる、あらゆるものへの欲を手放すこともヨガの大きなチャレンジです。
欲を捨てることはとても難しいことですが、「好き嫌い」という、思い込みを弱めていくことでも達成できます。
私たちが何かを求めるのは、「これは良い」「こちらは悪い」とジャッジして、自分が良いと思い込んだものを手に入れようとするから起こります。
例えば、痩せたいという願望は、痩せた方が美しいという思い込みによるものです。しかし、それは社会から洗脳された間違った価値観かもしれません。
ヨガでは、このような決めつけを減らしていきます。「私はこれがないと幸せになれない」という思い込みを弱めることでも、ヴァイラーギャは近づいてきます。
結果への執着を手放す
教典『バガヴァッド・ギーター』の中でもヴァイラーギャは繰り返し唱えられます。
クリシュナ神は、結果に執着しないで行動することを強く説きます。
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してもいけない。(バガヴァッド・ギーター2章47節)
ヨガの練習を行う時に「こうなりたい」と未来の結果ばかりを期待して行うのはよくありません。
行う前から未来の結果を目標に定めてしまうと、思った通りの結果にならないと「失敗した」とジャッジしてしまいます。しかし、結果とは常に与えられるもの。自分でコントロールできるものではありません。
ヨガでは未来ではなくて今に意識を向けます。練習しているヨガの練習そのものを楽しむことができれば、結果が思った通りの形でなくても良いのです。
想像したものと違った結果が、想像できないくらい素晴らしいものかもしれません。
アビヤーサとヴァイラーギャでヨガ習慣を楽しむ
アビヤーサとヴァイラーギャは「結果を求めずに途切れずに練習を熱心に継続する」という厳しい教えです。しかし、1度習慣化するととても心地よく感じることができます。
その時その時のヨガを感じていると、自分から求めなくても沢山の恩恵を受け取ることができるようになります。
今まで気が付かなかった喜びを見つけることができ、自分自身を大切にする愛を感じることができます。
ヨガを継続することは、自分を大切にすることです。結果のためではなく、ヨガそのものを楽しみことで、自然とヨガが生活の一部となっていきます。