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宇宙の真理というのは、誰もが公平にアクセスできるものであって、誰かだけが特別にアクセスできるというわけではありません。いま私は、講師としてヨガやヴェーダの叡智を伝える立場にありますが、これもひとつの役割にすぎません。
だからこそ、ニュートラルにその叡智を伝えることが大切だと感じています。上から下に伝えるのではなく、中心から横に拡張していくようなイメージで多くの人に広がり、一人ひとりが本来の自分を生きはじめる。そして誰もが真理に到達できることを信頼することがティーチャーとしての重要なあり方だと感じています。
上に立つことも、下に入ることもなく、ニュートラルな中心地点である愛の場所から、いま必要な情報を伝えることが本当に重要なのだということが、どんどん見えてきています。
だからこそ、まずは私自身が解放され、行為の源泉をピュアにしていくことが大切なのです。
期待もコントロールもしない。信頼し、見守るのが愛
自分が解放され緩むことで幸せに満たされると、自分が存在する空間そのものが、幸せの周波数で満たされていきます。そうして無条件の愛の視点で受講生と向き合うと、不思議と相手も愛で満たされ、解放が起こるものです。
これは私自身も師匠から学んでいるときに体感していることです。師匠は、生徒に対して期待も、コントロールも一切ない状態で、そのときに必要な学びだけを伝えることに徹していました。
受け取るか受け取らないかも相手に委ね、決して何かを強制することはありません。もちろん判断をして裁いたり、決めつけたり、レッテルを貼って切り離すこともありません。
だからこそ、受け手もティーチャーの教えに心をオープンにできるのだと感じています。反発したいという感情なんて起こりっこない。批判もなく、平和な空間のなかで一人ひとりが自分の内側へと安心して目を向けることができます。
ティーチャーが愛の視点からブレなければ、仮に打算的な思考で受講している人がいたとしても、そのエゴを究極的には溶かすことができるものです。
どんなに心に傷を抱え、攻撃的なマインドに傾いていたとしても愛に勝るものはありません。ピュアな意識、純粋な愛からの行為に触れた人の心からは、一切の波風が消えていく。それくらい愛はパワーに満ちています。
愛の前では、どんなエゴも力を無くしていく
愛の視点で向き合うということは、たとえクラスの中で誰かの感情に波風が立ったとしても、そこに反応しないということです。ニュートラルな視点で、相手の心の波風がすぎるまで待つ。つまり愛の眼差しで見守り続けるのです。コントロールすることなく、無理に押さえつけることもなく、安心して、ただただ信頼して待ちます。
そうした視点にティーチャーである私がまず立つことで受講生たちも同様に愛の視点を構築しはじめるということを、ここ最近身を以て体感しています。
愛は確実に伝搬するものであり、そしてその愛のエネルギーに触れたなら、誰もが素直にならざるを得ないものです。
だから私は愛を送り続けることに徹したい。相手が受け取るか、受け取らないかは関係ありません。結果は期待せず、ただただ送り続けるだけです。本当の意識のつながりというのはキャッチボールではありません。そこには圧倒的な信頼しかないのです。
無条件の愛からの行為は、宇宙からのサポートでどんどんうまくいく
ヨガのティーチャーに限らず、どんなことであっても何のためにするのか、ぜひこの機会に見つめてみてください。それがエゴによる打算的な意図によるものであれば、摩擦や問題ばかりが起こるか、長くは続きません。
一方、無条件の愛、真我に基づいているものなら宇宙がサポートをしてくれます。しかし行為を繰り返すうちに、いつの間にかエゴの声にのまれてしまうこともあります。だからこそ、私たちは絶えず学び続ける姿勢が大切なのです。
学びは至ところに広がっています。あらゆる瞬間、出来事、人との出会い……それこそが自分にとっての師となり、多くを教え、導いてくれることでしょう。スムーズにいかないこと、苦しいことはギフトです。そこに無意識に働くエゴを見つけることができるからです。
エゴは、その存在にきちんと気づく、理解することで、そこから自分を解放することができるようになります。どんな瞬間にも、傲慢にならず謙虚に学び続ける姿勢を大切にしていきたいものです。
ハートで導くこともティーチャーとして大切なあり方
ちなみに、知識に訴えかける情報はどんなにわかりやすく講義をしたとしても、相手の記憶にはその数%しか残りません。
一方、感動した体験というのは、その周波数ごとハートに記憶され、永遠に忘れることはないといわれています。
このハートに記憶される体験を積み重ねることも、自分とつながる上ではとても大切ですから、ティーチャーは受講生のハートに届く導きをすることも求められているように感じています。
そのためには伝えすぎないことが大切です。受講生が自分の真実に気づくよう、そのヒント、あるいはきっかけだけ伝え、あとは本人の力で向き合い、必要な答えを得られるよう導く。自分で答えを得たときの感動は、何にも変えがたいものがあり、それはかけがえのない自信にもつながっています。
答えをすべて教えてあげるのは簡単ですが、それではいつまでたっても受講生は自立しません。ティーチャーがいなければ、自分とつながれず、問題が解決できない状況はティーチャーへの依存を引き起こします。
そもそもティーチャー側が癒されておらず、エゴの声が行為の動機にある場合は、手取り足取り教えることで、あえて生徒を自立させず、共依存へと向かうこともあるでしょう。
集客や収益が行為の動機に少しでもあれば、共依存関係に陥りやすくなります。だからこそ、教える側は特に自分をクリアにしておくことが必須だと考えています。
エゴの視点で教えないことにどれだけコミットしているのか。それこそが受講生とつながる基盤であり、ティーチャーとしての真価が問われる部分ではないでしょうか。