こんにちは!丘紫真璃です。
今回は児童文学作家の魚住直子さんの「てんがらどどん」を取り上げてみたいと思います。
魚住さんといえば、YA 小説で数多くの名作を残していらっしゃる YAの名手です。
YAというのはヤングアダルトの略で、13歳~20歳くらいの年齢の読者に向けた作品のことを指します。
子どもではないけれども、大人でもない。
そんな微妙な思春期の様々な悩みや葛藤、気持ちの揺れや思いなどをすくいとるのが YAというジャンルの小説になるのですが、魚住さんの YA 小説は、ティーンの心の揺れをキラリと救い取り、しかも少しもジメジメせずに楽しくどんどん読み進むことができてしまいます。
次々にページをめくりたくなり、気がつけば、魚住直子ワールドに病みつきになってしまうのです。
魚住直子さんの「てんからどどん」は、どんな作品なのでしょう?
皆さん、一緒にちょっとのぞいてみましょう!
YA の名手魚住直子さんの「てんからどどん」
魚住直子さんは、1995年に第36回講談社児童文学新人賞を受賞し、「非・バランス」で、作家デビューを果たします。
その後次々に作品を発表。2008年には「Two Train」で小学館児童出版文化賞を。2010年には第50回日本児童文学者協会賞を受賞するなどして、活躍をしていらっしゃいます。
「てんからどどん」は、中学2年生の女の子達が主人公。友達に囲まれていつも明るい女の子と、いつもクラスで1人ぼっちで太ってメガネの女の子が突然入れ替わってしまう物語です。
1度ページをめくりだしたら止まりません。
入れ替わり事件
主人公は中学2年生の高倉かりんと、今井莉子。
先程も書いた通り、高倉かりんはいつも友達に囲まれている元気印の女の子。今井莉子は、クラスメイトから忘れられたようにいつも1人でいる、太っていてメガネをかけた暗い性格の女の子です。
そんな2人の入れ替わり事件が起こるのは、マンションのエレベーター内。同じマンションで暮らしている2人は、ある雷の放課後、たまたま同じエレベーターに乗り合わせます。
2人は同じマンションで同じクラスなのに、1度も会話をしたことはありません。気まずくだまってエレベーターに乗りながら、高倉かりんは今井莉子を見て思います。
背の高いかりんとくらべると頭ひとつ背が低い。肩までの髪はくせ毛なのか、ちぢれて広がり、そのせいで頭がちょっと大きく見える。
でも、いいなあ。
ふいにかりんは思った。
今井さんはひとりだから、さっきみたいな女子のごちゃごちゃとは無縁なのだ。いつだって自分の好きにすごせるのだ。ちょっと交代してみたいもんだ
(てんからどどん)
かりんが言っている“さっきみたいな女子のごちゃごちゃ”とは、友達から「かりんはいつも無神経すぎる」と友達から言われたことでした。
そのことで友達とケンカになり、ムシャクシャしていたかりんは、女子同士のゴタゴタした付き合いなんてうんざりだと思い、いつも1人でいる今井莉子が、ふと羨ましくなったのです。
一方、今井莉子の方も、同じエレベーターに乗った高倉かりんを猛烈にうらやましいと思っていました。
なぜ高倉さんはかわいく生まれ、わたしはそうではないのか?同い年で同性なのに。
猿と人間の遺伝子は99パーセントまで同じだときいたことがある。
ということは高倉さんとわたしは人間同士、皮をむけば百パーセント同じはず。それなのにこの差はなんなんだ。
一度でいいから高倉さんみたいなひとになってみたい
(てんからどどん)
自分が太っている冴えないメガネ女子で、いつも1人ぼっちで暗いということをとても気にしていた今井莉子は、友達とにぎやかに囲まれ、しかも背が高くて頭が小さくカワイイ
かりんのことをまぶしく感じたのです。
こうして、お互いがお互いになりたいと思った瞬間、聞いたこともないような大きな雷が鳴り、エレベーターは一瞬停電して止まります。
すぐに電気はつき、エレベーターは動きだしたのですが、停電した一瞬の間に2人は入れ替わっていたのでした。
入れ替わって困り果てながらも、2人はお互いになりきって、生活をはじめます。そうして、入れ替わり生活をするうちに少しずつ、2人に変化が起きてくるのです。
2人の変化
莉子は、「どうせ私は太っているし、メガネはダサイし、髪はもしゃもしゃの天然パーマでどうしようもない」と自分のことをあきらめきっていました。母も仕事で忙しいため、家でもいつも1人でいる莉子は、部屋を片付ける気力も沸かず、生きる気力がまるでありません。
けれども、そんな莉子になったかりんは、莉子の身体をどんどん改革していきます。
せっせと走ったりおやつを食べる量を減らして体重を減らし、メガネをやめてコンタクトにし、さらにもしゃもしゃの髪にストレートパーマを当てて、髪をスッキリ可愛くしました。
そして、キレイ好きだったため、璃子の散らかった部屋をあっという間に片づけてしまいます。
そんなかりんの実行力に、莉子は驚いてしまいます。
すごい。莉子がやらなきゃと思っていたこと、ためしてみたいと思っていたことをどんどん実行している
(てんからどどん)
一方、莉子となって生活するかりんの方にも、様々な変化が起きていました。
かりんは「どうせ自分は勉強ができない」と思い込み、授業もまともに聞いたことがありませんでした。授業中は大抵、友達としゃべっているか、友達に手紙を書いて回しているか、どちらかだったのです。
ところが、莉子になって学校に行ってみると、友達が誰もいないため、授業中にしゃべる相手も、手紙を回す相手もいません。
仕方がないから、授業を聞き始めた莉子は、授業がたまに面白いということに気がつきます。
そして、小学校1、2年生の頃は、小学生の先生になりたいと思って、授業が好きだったことや、勉強をがんばりたいと思っていたことを思い出します。
また、今までは1人でいたことなんて全く無かったかりんですが、莉子として生活しはじめて1人きりになってみると、ふしぎなことに気がつきます。
だまっていると、思ったことがのこるのだ。これまでは、なにか思ったとたん、すぐにしゃべっていた。すると、その思ったことをすぐわすれた。
でも今はしゃべらないから頭の中にのこる。そうすると、さっき思ったことと、つぎに思ったことがつながる。そしてそこから、べつのことを思う。頭の中に小さな広場があり、それがどんどん広がっていくような感じだ
(てんからどどん)
さらに、入れ替わったことでよく語り合うようになったかりんと莉子は、お互いに交換授業をはじめます。
かりんは、莉子に姿勢をよくするコツや、寝ぐせの直し方や、洗濯物たたみや、掃除、料理などを。莉子は、かりんに勉強を教えます。
そうしてお互いに教え合い、学び合っていくうちに、どんどん前向きに変化していきます。
胸がスカッとするほどさわやかな2人の成長ぶりや、2人がどのようにして元に戻ったのかということはとても書ききれないので、ぜひ、本で楽しんでいただきたいと思います。
では、ここでかりんと莉子の入れ替わり物語が、ヨガとどう関係があるのか考えてみることにしましょう。
決めつけからの解放
誰にでも自分はこういう人だと決めつけてしまっている部分はあります。
莉子もまた、「自分はデブで、ブスで、暗くて、1人ぼっちで、片づけもできなくて、ダメな人間だ」と思いこんでいました。
かりんも、「自分は勉強ができない」と思い込んでいました。
ところが、お互いになったことで新しい変化が起こったわけです。
莉子は、努力次第で痩せることができるし、髪型を変えたりするだけでブスという印象がまるっきり変わるという発見がありましたし、片づけだって方法さえ覚えたらできるんだということがわかりました。
かりんも、勉強だって1からキチンとやればできるということがわかりましたし、初めて1人になってみて、1人で頭の中でいろいろ思うことの楽しさを発見したりしました。
自分はどうせこうだからと、ガチガチに思い込んでしまっている時には何の変化も起きないのです。ところが、自分はこうだからという思い込みから、思い切って1歩踏み出してみた時、新しい自分に気がつきます。
そして、思いこみから1歩踏み出してみることこそ、ヨガなのではないかと思うのです。
人は、あらゆる縛りから解放され、自由になるためにヨガをするのですから。
自分とはこういうものだというガチガチの縛りから自由になり、新しい自分を発見したかりんと莉子は、ヨガを実践していたと言えるのではないでしょうか。
「てんからどどん」を読み終わった時、今まで怖くてできなかった新しいことに思わず挑戦したくなってしまいます。
いくつになっても、挑戦は楽しいものです。
ぜひ、「てんからどどん」を読んで、新しい自分に変わる勇気をもらってみて下さい!
参考資料
- 『てんからどどん』(2016年:魚住直子著/ポプラ社)