こんにちは、丘紫真璃です。2022年初めの「ヨガで文学探訪」は、笹生陽子さんの「きのう、火星に行った」を取り上げたいと思います。
本作品は、今から約20年以上前に書かれた作品なのに全く古さを感じさせません。
物語は、やる気のない小学6年生の少年の語りで進んでいきます。歯切れの良い、流れるような語りに、読者は自然と少年の世界に入りこんでしまいます。
そして、成長し変わっていく主人公の少年の姿に、思わず胸をドクドクと熱くしてしまうのです。
やる気のない少年の成長姿を、力強く、さわやかに描き切った「きのう、火星に行った」と、ヨガは、どんな関係があるのでしょう?さっそく、ページをめくり、物語の世界をのぞいてみましょう。
実力派の YA 小説家の名作「きのう、火星に行った」
作者の笹生陽子さんは、1995年「ジャンボジェットの飛ぶ街で」で、第36回講談社児童文学新人賞を受賞されています。
その後、96年「ぼくらのサイテーの夏」で講談社からデビュー。第30回日本児童文学者協会賞、第26回児童文芸新人賞、第50回サンケイ児童出版文化賞など、数々の有名な賞を受賞されている、実力は折り紙付きの作家さんです。
そして、今回取り上げる「きのう、火星に行った」は、1999年に発表されました。実力派の小説家の腕が存分にふるわれている名文で描かれた名作です。
とことんついていない日
主人公は、小学6年生の山口拓馬。趣味はなんにもしないこと。特技はひたすらサボることという、やる気ゼロの少年です。
物語は、この拓馬少年がホームルームの時間に爆睡しているところから始まります。
拓馬が熟睡している間に、どうやら彼は連合体育大会のハードル選手に抜擢されてしまったらしいのです。立候補がだれもいなかったので、クラスのいじめっこの木崎が、爆睡している拓馬に選手を押しつけたということらしく、拓馬はついてないとうんざりします。
家に帰ったら帰ったで、イヤなことが待ち構えていました。長い間、病気のために静岡で療養していた1つ年下の弟の健司が、家に帰ってきたのです。
健司が病気のために静岡へ行ったのは、拓馬が5つの時です。それから、ずっと一緒に暮らしていない上に、拓馬はもともと健司があまり好きではありません。
「そうでなくても、はじめから、山口健司は、おれの理想の弟なんかじゃまるでなかった。たぶん、病気のせいなんだ。健司は人より育ちがおそくて、チビで、そのうえ顔つきなんかもぽやんとしてしてガキっぽかった」
(きのう、火星に行った)
両親は週に1度、静岡まで車を飛ばして健司に会いに行っていましたが、拓馬は面倒くさくなって、ほとんど弟のお見舞いには行きませんでした。
その弟が7年ぶりに家に帰ってきたのです。
弟といっても、ほとんど他人。しかも嫌いなヤツ。おまけに、今まで1人で使っていた部屋を、今度からはその嫌いな弟と一緒に使わなければならない上、弟がテレビやらゲーム機やら、ぬいぐるみやら、うんざりするほどいろんな物を持ち込んだため、部屋が狭くなってしまいました。拓馬の頭が痛くなってしまったのも無理はありません。
「ついていない日は、とことんついていないものだ…」と、拓馬はズキズキする頭で考えます。
全部つまんない
その日から拓馬にとって最悪の日々がはじまりました。
学校では、連合体育大会のためのハードル飛びの練習。もう1人のハードル選手、デクちゃんは、太ってヌボーッとしていて、ハードル飛びが得意などころか、超苦手で、フォ―ムも全然なっていません。
けれど、なぜか自分から立候補しただけあって、やる気だけは十分あり、拓馬をお昼休みの練習や、日曜日の練習をやろうと誘います。しぶしぶ、デクちゃんに付き合う拓馬ですが、何しろやる気がないので、地べたにベッタリ座ってばかりです。
「クソおもしろくない日々だった。
家では健司がうろうろしてたし、小学校に行けば行ったで、ハードルがおれを待っていた」
(きのう、火星に行った)
そんな雨の日曜日、両親が親戚の法事に出かけて1日留守の間、拓馬は、両親から「弟と駅ビルに行って映画を見、夕飯の総菜を買って2人で食べろ」という任務を押しつけられてしまいました。
拓馬はしぶしぶ、健司を連れて出かけますが、健司は歩くのものろいし、ショウウインドウに向かってゴリラのマネをしているし、トンボのバケモノみたいなヘンテコリンな深緑のごついゴーグルをはめていて、とにかくみっともないので、拓馬は健司を見ているだけでむかむかしてしまいます。
「へんちくりんな弟なんて、おれはしらない。みっともなくて、ガキまるだしの弟なんて、おれはいらない。
ものであふれた2階の部屋が、まぶたの裏に、ぱっと浮かんだ。じゃまくさすぎるクソぬいぐるみに、クソゲーム機に、クソベッド。とたんに、健司のうしろすがたがインベーダーに見えてきた。おれの心の平和をみだす、静岡からきたインベーダー。じょうだんみたいな話だけど、でも、ふざけていってるわけじゃない。健司がきてから、おれのまわりじゃ、やなことばっかり起きてる」
(きのう、火星に行った)
拓馬はとうとう、健司を駅ビルに置き去りにして、1人でバスに飛びのり、家に帰ってしまいます。
その後健司は法事から帰ってきた両親に連れられて、無事に家に帰ってきましたが、喘息の発作を起こしてしまいました。
両親は、どうして健司を駅に置き去りにしたのか問い正しますが、拓馬は「さあね」とつぶやくだけ。反省の色もない拓馬に、父は怒鳴りつけます。
「いいか、生きているのがつまらないのは、他人のせいじゃない。おまえのせいだ。なにやったってつまらないのは、おまえがつまらん人間だからだ」
(きのう、火星に行った)
さらに、デクちゃんからも電話がかかってきました。日曜日の練習にどうして来なかったのかというのです。拓馬はうっかり、デクちゃんとの練習をすっぽかしてしまったのでした。
そして、その日を境に、デクちゃんは拓馬を練習に誘わなくなってしまいます。
クソおもしろくない世界が変わっていく
そんな拓馬が変わるきっかけとなったのは、クラスのいじめっこ木崎が拓馬にハードルの選手を押しつけたワケを耳にしたことでした。木崎の子分である谷田部がこんなことを言ったのです。
「山口、なんでもできるから。クラスじゃそんなにめだってないけど、勉強だって、かなりできるし、スポーツだって、とくいでしょ? それで、木崎が悪口言ってた。あいつ、人よりできると思って、手ぬきばっかりしてるって。それが目ざわりなんだって。(略)選手に推薦するときだって、そんなようなこと、いってたよ。どうせまじめにやりゃしないから、インネンつけて楽しもう、とか。あいつの根性たたきなおして、まともな男にしてやろう、とか。ようするに期待してるんだよね。山口が練習サボること」
(きのう、火星に行った)
それを聞いた日から、拓馬は木崎の期待を裏切るため、ハードルの練習に身を入れるようになりました。朝練、昼練、放課後練、日曜日の自主練と、積極的に練習をするようになったのです。
すると、クソつまらなかった拓馬の生活に、思いもかけない変化が起こりました。
太ってハードルが苦手なくせに、練習だけは熱心にしたがるウザイやつだったデクちゃんと一緒に練習を重ねるうちに、デクちゃんと本当の仲間になっていったのです。
さらに、弟の健司との関係も変化が起こります。
それは、ハードル飛びの練習のために河原に行った時のことでした。拓馬はそこで大きな野良犬が死んでいるのを発見します。拓馬が呆然と見ていると、そこには健司もいました。健司は、くちびるをギュッと結んで、野良犬をながめていたのです。
「おれは、健司が泣くと思った。ぐずで、とろくて、あまえんぼうで、いやなことがあると、ピーピー泣く。ガキってそういうものだから。なのに、健司は泣いたりしなかった。最初に
死骸を見た時も、ススキノ原にふたたび行って、シーツで死骸をくるんだときも。健司は、くちびるをきゅっとむすんで、しっかりと目をあけていた。おじけづいたりしなかったし、動きも、とてもきびきびしていた。どうしてなんだか、そのときはまだ、おれには、さっぱりわからなかった」
(きのう、火星に行った)
けれど、やがて拓馬にもその理由がわかります。
健司は小さい頃から病院にいて、死を間近に見ていたので、いつも死というものを身近に感じていたのです。
ただの変なガキだと思っていた健司が、死という重い現実と戦ってきたことを知った拓馬は、弟を見直すようになり、今までのことも素直にあやまります。
きっかけは、いじめっこの木崎の期待を裏切るためでしたが、ハードル飛びの練習を一生懸命やりはじめたことで、拓馬のまわりを取り巻く世界は少しずつ変わっていきました。
デクちゃんや、弟の健司が変わったわけではありません。拓馬自身の物の見方が変わっていったのです。
心のありようによって、世界が変わる…それはまさしく、ヨガ・スートラが語っていることだといえるでしょう。
クソおもしろくない日々を送っていた時には、やる気がある連中が、やたらにキラキラまぶしいように感じていた拓馬。
けれども次第に、いじめっこの木崎とか関係なく、ハードル飛びに本気になっている自分に気がつくようになっていきます。
拓馬や、デクちゃん、弟の健司、いじめっこの木崎や、その子分の谷田部。
拓馬や、まわりの子達がぐんぐん成長していく様子がまぶしく、読み終わると本気で何かに挑戦したい自分に気がつきます。
新しく始まった2022年。今、この本を読んだら、今年こそは本気で何かに取り組みたい!と思えるかもしれないですね。
参考資料
- 笹生陽子著 『きのう、火星に行った』講談社(1996年)