こんにちは!丘紫真璃です。今回は、工藤直子さんの「ねこはしる」を取り上げたいと思います。
野原の生き物たちがそれぞれに歌う工藤直子さんの「のはらうた」は、教科書に掲載されることも多く、目にしたことがあるという方はたくさんいらっしゃると思います。
数多くの名作を次々に生み出されている工藤直子さんの作品は、どれもキラリと輝き、心に深くしみわたる名作のため、どれを取り上げていいのかものすごく迷ってしまいます。
そんな中から今回は、黒猫のランと魚の友情、そしていのちを描いた傑作「ねこはしる」をテーマにしてみました。
黒猫のランと魚の物語とヨガに、どんなつながりが生まれるのか。ランと魚のいる野原をのぞいてみましょう。
名詩人であり名童話作家、工藤直子さんの「ねこはしる」
作者の工藤直子さんは、1935年台湾に生まれます。
お茶の水女子大学文教育学部中国文学科卒業後、女性初のコピーライターとしても活躍します。
多くの優れた作品を残し、「てつがくのらいおん」で、日本児童文学者協会新人賞。「ともだちは海のにおい」で産経児童出版文化賞、「ともだちは緑のにおい」で芸術選奨新人賞、巌谷小波文芸賞、「のはらうた」で野間児童文芸賞など、数多くの賞を受賞されています。
「ねこはしる」は、子どもにもわかるやさしい言葉でつむがれていますが、いくつになっても読み返すごとに胸に響くものがある名作です。
のろま猫ランと魚の友情
主人公は、生まれたばかりの黒猫ラン。
まだ寒々とした季節に野原で生まれたランですが、1ヵ月もすると、春のきざしが見え始めます。
暖かくなるにつれ、どんどん元気に育ち、活発になっていくランの兄弟達ですが、ランはひとり元気がありません。
ほかの兄弟とちがって、動作がのろまで、忍びあるきの術や、空中回転なども全くうまく覚えることができないのです。
ランのお母さんは、ためいきをつき、いつも口ぐせのように言います。
「いちどでいいから おまえが 銀のナイフのように とびあがるのをみたいねえ」
(ねこはしる)
それでランは、ほかの子猫たちがお母さんのそばでお昼寝をしている間、1人でこっそり自習トレーニングをすることにしました。
しかし、なかなかうまくいかず、グッタリ疲れて池の水を飲もうとした時、ランは池の中から、小さな魚にこわい声で怒鳴られてしまいます。
「おまえたちはけしからん
ここはおれの場所だ
だのにいつも 勝手に飲んだりさわいだり
もうがまんならん!
いいか この水を ことわりなしに飲むべからず!」
(ねこはしる)
魚は池の中から猫たちの様子を見ていたため、ランがのろまだということも知っていました。だからこそ、大声で怒鳴ってみたのです。
すると、ランはものすごく恐縮して、魚にぺこぺこ、おじぎをしてあやまります。
魚におじぎをするネコなんて見たこともなければ聞いたこともないので、魚はびっくりしてしまいますが、小さな魚にも礼儀正しいランに興味を持ち、好きになりはじめます。
その出会いをきっかけに、魚とランの友情が始まります。
ランは、みんながお昼寝をしている間1人で自主練するのをやめ、魚と遊んだり、しゃべったりするようになりました。
魚と遊んでいる方がずっと楽しかったからです。
ランは、誰もいない時を見はからっては池へ行き、魚とこっそり友情をはぐくみます。
「春……夏……秋……
であうたびに ランと魚は
紙の裏と表のように 心が寄りそいました
であうたびに ランと魚のあいだに
思い出が まぶしく積みかさなりました」
(ねこはしる)
しかし、こうした魚との楽しい日々は、春、夏、秋と続きましたが、冬までは続きませんでした。
ほかの兄弟が魚を発見し、母猫が子猫たちの訓練として「魚とり競争」をしようと決めてしまったのです。
きみに食べてもらいたい
「魚とり競争」は、次の満月の夜に行われると決まりました。ランはどうしていいかわからず、ただただ頭がかっとして胸がつまるばかり。魚は一心に考えている様子でしたが、ある日、ついに何かを決心したように、ランにこう言います。
「じつはね おれ どうどうと たべられようと思う
ずっと考えてて そう決めたんだ」
(ねこはしる)
「そんな……」と涙ぐむランに、魚は言葉を続けます。
「 ただね お願いがある
……たべられるなら ラン
きみに たべられたいんだ」
(ねこはしる)
大事な友達である魚を食べるなんて、そんなこと、ランにできるわけがありません。
動揺してたじろぐランですが、魚はランに言います。
「いや ちがうんだラン! よく聞いて
きみになら……ともだちのきみになら
<たべられる>のじゃなく、
<ひとつになる>気がするんだおれ アタマも ひれも 心も
きみに しっかりとたべてもらいたい
そうすることで おれ きみに
……きみそのものに なれると思う。な ラン 目をとじて感じてみよう
おれのちいさなからだや心が
きみのからだや心のすみずみまでしみとおる」
(ねこはしる)
魚の言葉に、ランはついに決心をして言います。
「いま ぼくにできるのは
あなたを しっかりとたべることだけ
……わかった気がします」
(ねこはしる)
神を食べる
そして、ランと魚がどうなったのか?ランと魚はどんなふうにして、ひとつになったのか? それはぜひぜひ、本で読んでいただきたいと思います。
それにしても、猫と魚の友情を、ここまで深く、ここまで優しく描いた作品が、ほかにあったでしょうか。
そして、こんなにも、いのちを考えさせる作品があったでしょうか。
私達は何かを食べなくては絶対に生きていけません。植物であれ、動物であれ、いのちです。
いのちを口にしなくては絶対に、生き続けていくことはできないのです。
ヨガでは、全てのものに神が宿っていると考えます。この地球の全ての生きとし生けるものに神が宿っているのです。
黒猫のランにも、小さな魚にも、ランのお母さんや兄弟猫たち、ラン達の野原に住むアリも、いたちも、ちょうちょも、野原に生えるケヤキも、ススキも、全てのものに神が宿っています。
いのちを食べるということ。それは、ヨガ的に考えたら、神を食べることと同じことになるのです。
そうです。ヨガ的にいったら、私達は毎日のように、神を口にしているのです。
神から得た力で、今日も1日大事に生きる。自分の中にいる神を大切にして、今日も生きる。
そういうことを、「ねこはしる」は、限りなく優しく、限りなく深く語ってくれます。
ラン、魚、ランのお母さんや兄弟猫たち、その猫と魚たちを取り巻く野原のこおろぎや、蛙や、みつばちや、ひまわり。
ページをめくると、あふれるばかりのいのちの輝きを感じることができます。
いのちをいただくとはどういうことなのか。生きるとは何なのか。
心にしみわたるようなやさしく、それでいて深い言葉で語りかけてくれる「ねこはしる」で、感じていただけたらと思います。
参考資料
- 工藤直子著 『ねこはしる』童話屋(1989年)