ヨガを定期的に練習している人でも「ヨガとは?」とヨガの定義を聞かれた時に、自信をもって即答できる人は少ないと思います。
ヨガとは「繋ぐ」という意味だと教わったり、『バガヴァッド・ギーター』の中では「ヨガとは平等の境地」だと説いていたり、様々なヨガの先生に聞いても帰ってくる答えはバラバラです。
そんな中、ヨガの教典と呼ばれる『ヨガ・スートラ』ではどのように説明しているのかというと、「ヨガとは心の作用を止めること」だと説いています。
これがどういった意味なのかを今回はご説明します。
教典でのヨガの定義「心の作用を止めること」
ヨガとは、心の作用を止滅することである(ヨガ・スートラ1章2節)
これはヨガ・スートラの冒頭の最も有名な言葉です。ヨガの養成講座などでも聞いたことがある人が多いかもしれません。
ところで、「そもそもどうして心を止めなくてはいけないの?」と考えたことはありませんか。
筆者も初めてヨガの教典を読んだ時には「考えることは楽しくて大好きだし、色々な経験をして感情を抱くことも楽しいから、心を止めたくない」と思っていました。
どうして心の作用を止滅させるのか
なぜヨガでは心の働きを止めるのだろう?
それがヨガのゴールならば、ヨガをする目的が良く分からないと感じる人もいるのではないでしょうか。
ヨガ・スートラでは、次の節でその答えを説いています。
その時、純粋傍観者(プルシャ)は自己の本質に留まる。(ヨガ・スートラ1章3節)
心の働きを止めること自体がヨガの目的ではありません。それによって、純粋傍観者であるプルシャが本来の状態になることが目的だと書かれています。
一気に何を言っているのか分からなくなってしまいましたね。1つずつ解いていきましょう。
まず純粋傍観者とは、ヨガ哲学でプルシャ(真我)と呼ばれているものです。プルシャとは「真の自分」で、最も本質的な自分です。
「私は誰?」と自分について考えるときに、自分自身の身体の特徴や思考のパターンで自分を認識している人は多いと思います。また自分の名前や、現在の職業が自分のアイデンティティとなっている人も多いでしょう。
なぜか人は何者かになろうとします。「私はこういう人間だ」と理解することによって、自分の軸が安定し、安心できると思っています。
しかし私たちが認識する私らしさとは本当に正しいものなのでしょうか?
職業、身体、心、それらのアイデンティティとなるものは全て変化するものです。
頑張って憧れの職業に就いた人は、自分の職業によってアイデンティティを確立します。
例えば憧れのパイロットになった人は、その仕事によって自分に誇りを持っているでしょう。しかし、身体への負担が大きい仕事でもあるため、体調を崩して若く引退しないといけない場合もあるかもしれません。
では、今までパイロットとしてのアイデンティティを抱いていたその人は、引退した後自分を見失ってしまうのでしょうか?
厳しく飲酒を抑制して、不規則な時間でも健康を保つために努力をしてきたのに、目的を失ったら一気に生活のスタイルが変わってしまうかもしれません。
自分に誇りを持つことは悪いことではありません。問題は変化するものに依存することです。
例えば職業は一生涯のものではありません。身体の特徴も、常に変化し続けています。考え方でさえ、環境が変わると変化してしまいます。
「自分はこういう性格」と認識していても、学生時代と社会人になってからの自分の価値観を比べると全く変わっているかもしれません。
このように変化し続ける自分は本質ではありません。ヨガとは、環境が変わっても変わらない自分の本質を求める道であり、ヨガで出会える自分の本質をプルシャ(真我)と呼びます。
心の作用を止めて自分を見つけるプロセス
ヨガで心の働きを止めるのは、自分自身の本質であるプルシャ(真我)を見つけるためです。
どうして自分を見つけるために心を止めなくてはいけないのでしょうか?
私たちの意識は、見えやすいものに向きやすいです。
例えば目を開けているときには目から色や形といった情報が入っているので、自分自身を意識しにくいです。瞑想をしていても、音が聞こえてきたらそちらに意識が向いてしまいますよね。
だからヨガではプラティヤハーラ(制感)という段階で、感覚器官と意識の繋がりを無くします。
次に、瞑想では雑念を止めていきます。
自分の内側を知りたいと思っているときに、家族や食事のことが気になっていたら、自分に意識が向きません。
また、潜在的な思考も止めていきます。
例えば、記憶。記憶は過去の自分が5感で経験したことです。過去の記憶に意識が向くと、今ここにいる自分を見ることができません。
そして、自分に対するアイデンティティも手放します。
「私はこういう人間」という思い込みがすでにあると、そのイメージが邪魔をして自分を客観視することができません。
このように、外から入ってくる情報や、雑念、記憶やアイデンティティなどを消していった結果、初めて色眼鏡なく自分を見ることができます。
それは純粋な意識体であって、今まで思い込んでいた自分自身に対するイメージと全く違うかもしれません。
プルシャに出会った時から新しい自分が始まる
ヨガによって心の作用を止めることは、真の自己を見つけるためだとご説明しました。
それでは、本当の自分を見つけることが人生においてどのような効果があるのでしょうか?
通常私たちは、自分自身の作り上げたイメージによって自分の限界を作っています。
例えば「私は身体が硬いからヨガはできない」「私は英語が話せないから海外には行けない」「私は若くないから地味な洋服を着るべき」など、思い当たる人も多いのではないでしょうか。
人の思考は慎重で、変化を恐れます。そのため「自分はこういう人間だ」という言い訳をして、新しい挑戦をさけます。
また、過去の記憶が邪魔をすることがあります。
サーカスの象が子供の時に足に鎖を付けられ、どれだけ抵抗しても鎖から逃げられないと学ぶ話は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
大人の象には鎖を壊す力があるけれど、子供の時から「これは無理」だと覚えてしまったことで、大人の象は抵抗もしなくなります。
私たちも1度できなかったことに対して「私には無理」だと覚えてしまうことがあります。過去に失敗した記憶があると、同じ挫折を恐れます。
しかし、過去の自分と今の自分は違うことを知りましょう。若い時にはできなかったことも、人生経験を積んだ今の自分にはできるかもしれません。
このように、自分に対するあらゆる思い込みを捨てることがヨガです。「私はこういう人間だ」という思い込みを全て捨てた時、人は完全な自由を手にします。
新しい自分を見つけるために必要なことは「鎖は外れない」という思い込みを捨てるだけです。案外簡単かもしれませんね。
ヨガとは自由を手にすること
ヨガの目的をモークシャ(解脱)だと説くこともあります。解放されること、自由になることこそがヨガの目的です。
一見「心の作用を止滅すること」とは関係ないように思われるかもしれませんが、自由は心の束縛を手放した時に達成されます。
「心が止まると何も考えない山奥の仙人みたいになるのでは?」と想像する人もいるでしょう。
しかし、人の思考は、瞑想している瞬間以外は必ず働き続けています。
「それでは瞑想前の自分と同じではないのか?」というと、全く違います。
ヨガや瞑想をするたびに、今までの自分をリセットするようなイメージをしましょう。思い込みをいったん手放して、改めて客観視することで新しい発見があると思います。
そのように、常に新しい自分自身に出会えるのがヨガです。