記事の項目
『バガヴァッド・ギーター』では沢山のヨガの種類が書かれていますが、その中でも特に重要なのがカルマ・ヨガ(行為)、ギャーナ・ヨガ(知識)、バクティ・ヨガ(信愛)の3つです。
この中でどのヨガが最も大切なのか?というと、実はすべてが大切です。
今回はこの3つのヨガのバランスについて説いていきます。
バガヴァッド・ギーターの説く3つのヨガ
ヨガといっても様々な種類があります。例えば多くの人が練習しているアーサナ(ポーズ)は、ハタヨガという身体を中心にアプローチするヨガの流派の練習方法です。
バガヴァッド・ギーター(以下ギーターと呼ぶ)の中では様々なヨガの種類について説明されていますが、その中でも最も重要なものがカルマ・ヨガ(行為)、ギャーナ・ヨガ(知識)、バクティ・ヨガ(信愛)の3つです。
まったく違うアプローチをしているように見えるヨガでも、ヨガの目標は同じです。
世界には様々な環境で生きる多様な人がいるので、それぞれが自分に向いているヨガを見つけるべきだとギーターは教えてくれます。
では、代表的な3つのヨガについて簡単にご説明します。
カルマ・ヨガ(行為のヨガ)
カルマ・ヨガとは、自身の行いによって自己を高めるヨガであり、ギーターの中では、定められた行いを結果への執着なく行うというものと説かれます。
例えばアーサナの練習をしているときには、練習している時の自分の感覚にしっかりと意識を向けて行うことで高い効果を得ることができます。
しかし、横の人が気になって注意散漫になっていたり、自分がポーズをできた、できないという結果ばかりに意識が向いていたりすると無理をして怪我を招きやすくなります。
ヨガとは、カタチだけのポーズをとることではなく、どのような意識で行うかがとても大切です。
ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)
ギャーナ・ヨガとは知識を学ぶことです。
特にギーターや『ヨガ・スートラ』といった教典を学ぶことで、自分自身の本質について知ることができます。
ヨガの哲学は知識や情報を頭に記憶させる受験勉強とは違います。世界のしくみや自分の本質について、自分自身が体感として理解できることを目指します。
バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)
バクティとは神への信愛です。特にギーターでは、ヨガの教えを説くクリシュナ神に対しての信愛を大事にします。
バクティ・ヨガにより、自分の外の対象に対して心を委ねることによって、自分に対するエゴが弱まってきます。
エゴが弱まることによって他者との衝突が無くなり、執着による苦しみが弱まります。
どれが欠けてもいけない3つのヨガ
今ご説明した3つのヨガは、それぞれ全く違うもののように感じられます。しかし、実はどのヨガも欠けてはいけない大切なものです。
実践や体験を大切にしているから知識を学ばなくても良いわけではありませんし、逆に本を読めば悟りを開けるわけでもありません。
それぞれ見てみましょう。
かたちだけのカルマ・ヨガでは不充分
ヨガはもともと実践的なメソッドなので、練習して体験することが最も大切だと考える人は多いのは当然です。
しかし、本当にアーサナの練習だけでいいのでしょうか?
ただアーサナのカタチにこだわっていると、新体操の様に美しいポーズをとることがヨガの上級者の条件になってしまいますね。
練習を続けて難易度の高いアーサナを習得することは素晴らしいことです。しかし、それだけではヨガとして不充分かもしれません。
素晴らしい練習を行っていても、他者との比較がモチベーションになっている場合などは特に注意が必要です。できないポーズがあれば落ち込み、他人よりも難易度の高いポーズができれば相手を見下してしまうかもしれません。
本来のヨガでは平等な物事の捉え方を養います。
しかし、それを知らずに練習を続けると、逆効果になってしまうかもしれません。
競争社会に疲れてヨガを始めたのに、ヨガで競争を行うのは避けたいですよね。だからこそ、ヨガを行う人はヨガ的な思想を理解して練習を行う必要があります。
知識だけでは頭でっかちになる危険性
アーサナを練習するときにも、正しい知識が必要だと説明しました。
「それなら知識の方がヨガにおいて重要なのでは?」と思う方もいらっしゃるかと思いますが、これも間違いです。
知識の伴わない行為(カルマ)に危険性があるように、知識だけのヨガも良くありません。
ヨガとは本来「体験する哲学」と呼ばれています。つまりヨガの哲学で学ぶことは、全て自分自身で体験して初めて価値があるものです。
例えば、ヨガ哲学では「自分の本質は何か?」という問いについて考えます。
ヨガ・スートラでは、瞑想することでプルシャ(真我)という純粋な意識体である自己の本質を見つけることができると説きます。それに対してギーターでは、自己の本質であるアートマン(個我)はブラフマン(宇宙意識)と一体であると説きます。そしてハタヨガではクンダリーニというエネルギーが頭頂のシヴァと出会った時に超意識が開花すると言います。
このように「瞑想の結果得られる悟りとは何か?」と言う疑問への回答も、ヨガの流派ごとに様々な見解があります。
では、どちらが正しいのかを卓上で討論することに意味があるのでしょうか?
実際に瞑想をしないで話し合っても答えは見つかりませんね。
バクティ(信愛)もヨガでは必要
カルマ・ヨガが体験、ギャーナ・ヨガが知識を育むものなのに対して、ギャーナ・ヨガでは感情を豊かにすることができます。
「ヨガって良いらしいよ!」と聞いても、ヨガを始める人と始めない人がいます。その違いは、どれだけ感情が動かされたかです。
日常でストレスを抱えすぎていたり、心が鈍ってしまったりしている人は感情が正しく働きません。日常から「疲れたけれど仕事があるから残業しなくちゃ」「両親がうるさいけど口答えしたら倍になって返ってくるから反抗はやめよう」と自分の感情にフタをする習慣が身につくと、感情はどんどん鈍感になります。
本当は変わりたい、幸せになりたい、そんな気持ちが自分の内側にあっても、気が付くことができません。
バクティ・ヨガでは、愛という明るくて純粋な感情を育てることによって、自分の心の声を感じられるようにします。
自分自身を愛していれば、一時の欲望を満たすための安易な快楽よりも、本当に自分にとって快適なものを選ぶことができます。
またバクティ・ヨガでは、エゴを弱めることができます。
アーサナの練習の時にも「自分の方が他者より優秀でいたい」と思うのはエゴ(自我意識)によるものです。エゴは苦しみを生む原因となります。
本当に自分が幸福に満たされているときには、自分だけでなく周囲の人の幸せも願えるようになります。
バクティ・ヨガでは必ず宗教的な神様に祈る必要はありません。
朝日を見ながら太陽に対して、育てている植物に水をあげながら、川の水の純粋さに、自分の心を美しいものに委ねることができると、自身の内側にも純粋な愛を感じることができます。
3つのヨガをバランスよく実践することで高まるヨガの効果
今回はギーターの説く3つのヨガについてご説明しました。
これらのヨガは特別なものではありません。アーサナ、瞑想を行っているときはもちろん、食事の時など日常のあらゆる場面で意識することでヨガの効果を高めることができます。
教典の勉強で頭でっかちになりそうなときには練習を、道に迷ったら哲学を、頑張った分「自分だけがすごい」というおごりが出てきそうならバクティ(信愛)をと、バランスよく取り入れることによって、ヨガをもっと楽しめるようになることでしょう。