こんにちは!丘紫真璃です。今回は、エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」を取り上げたいと思います。
ケストナーと言えば、以前このコラムでも取り上げた「ふたりのロッテ」が有名ですが、「飛ぶ教室」もまた、ケストナーの数多くある傑作のうちの1つです。
「飛ぶ教室」は、時代背景を知って読んでみると、深く考えさせられるメッセージがたくさん詰まっている1冊です。
そんな「飛ぶ教室」とヨガとどんな関係があるのか?一緒に探っていきましょう!
次の時代を作る子ども達へのメッセージ
「飛ぶ教室」は1933年に出版された本なのですが、この年はドイツの国会で、ナチス党が第1党になり、ヒトラーが政権を取った年でした。
すでに自由主義の作家は本を書くことを制限されていましたが、ケストナーは人気の作家だったこともあり、児童書に限り許され「飛ぶ教室」が出版されました。
1933年当時は、まだ児童書の出版を許されたケストナーですが、その後戦争が激化するにつれて、本の出版を全面的に禁止されるようになります。
また、秘密警察※1に2度もつかまり、最終的には本の執筆も禁止されました。
出版が禁止される直前に発表された「飛ぶ教室」には、これから暗い時代を生きていくことになる子ども達への精一杯のメッセージが込められていると思います。それはまた今の時代にも響くメッセージといえるのではないかと思うのです。
では、ケストナーがこの本に込めたメッセージを中心にご紹介していきたいと思います。
- ※1 秘密警察:国家体制、政治組織を守るため組織や活動が一切秘密にされる警察。ナチス政権化ではゲハイメ・シュターツポリツァイ通称「ゲシュタポ」と呼ばれ、独裁体制強化のために暴威をふるった。
とても長いまえがき
「飛ぶ教室」には、なんとまえがきが2つもあります。2つもまえがきがある本なんて、なかなかありませんよね。
2つのまえがきはどちらも味わいがあって面白いのですが、特に今取り上げたいのは「まえがきその2」という方です。ここには、ケストナーがこの本に込めた思いがくわしく書かれていると思うのです。
ケストナーは「まえがきその2」で、大人だけでなく子どもだって時にはずいぶん悲しくて不幸であり、子どもの涙の重さは大人の涙の重さに劣るものではないと語っています。
そして、子ども達に向けてこんな風に語りかけます。
「わたしがいうのは、ただ、人間はどんなにつらく悲しい時でも、正直でなければならないということです。骨のずいまで正直でなければいけない、ということなのです。(略)
自分をごまかしてはいけません。また、ごまかされてもいけません。不幸にあったら、それをまともに見つめることを学んでください。うまくいかないことがあっても、あわてないことです。不幸にあっても、くじけないことです。へこたれてはいけません。不死身にならなくては」
(「飛ぶ教室」 まえがきその2)
「自分をごまかさず、骨のずいまで自分の心に正直であれ」と、ケストナーは言っています。
不幸にあった時、心の中には、悲しみや、苦しみ、怒りなど様々な感情が沸き起こり、渦巻きます。「その感情から絶対に目をそらすな」と、ケストナーは訴えます。
どんなに目をそむけたくなるような醜い感情もしっかりと見つめなくてはいけない、と言うのですね。
それは、ヨガ風に言うならば、荒れ狂っている自分の心をしっかりと見つめろということになるでしょうか。
荒れ狂う自分の心をしっかりと見つめ、自分がどうすべきか、自分自身で考えて行動する。それがとても大事だというのですね。
なぜ大事かということを、ケストナーはこんな風に書いています。
「なにしろ、人生というやつは、ものすごくでかいグローブをはめていますからね。みなさん、それにたいする覚悟なしに、そういう1発をくらうと、あとはもう、ちっぽけなせきばらい1つで十分、それだけでもう、うつぶせにのびてしまいます。
だからいうのです。へこたれるな、不死身になれ、と。わかりましたね。いちばんかんじんなこのことさえわきまえていれば、勝負はもう半分きまったようなものです。なぜなら、そういう人は、ちょっとくらいパンチをくらったところで、おちついたもので、いちばんかんじんなあの2つの性質、つまり勇気とかしこさをしめすことができるからです」
(「飛ぶ教室」 まえがき2)
自分の気持ちをまっすぐに見つめ、自分がどうすべきかということを自分自身でしっかりと考えた時、真の勇気とかしこさを持つことができるんだということを、ケストナーは「まえがきその2」で熱く語ります。
そして、それに続く「飛ぶ教室」の物語の中で、勇気と賢さを持った少年達と、それを見守るやはり勇気と賢さを持った大人たちの物語を、ユーモアたっぷりに展開していくのです。
勇気とかしこさと友情で結ばれた5人の少年達
舞台はドイツのキルヒベルク高等学校。高等科1年生(16歳)の5人の少年達を中心としたクリスマス休暇前の3日間の物語が語られます。
物語の始まりは、マルチン、ジョーニー、ウリー、マチアス、セバスチアンの5人がクリスマスの出し物のための劇の練習をしている場面からです。
5人間が練習しているところに、1人の生徒が息せき切って飛びこんできます。
5人の同級生のクロイツカムが、下校中に他校生に襲われて捕虜として地下室に閉じ込められているというのです。また、クロイツカムはクラスのみんなの書き取り帳を持っていたのですが、その書き取り帳も奪い取られてしまったとの事でした。
マルチン達5人は寄宿舎の生徒で、先生の許可なしに外出することは許されていません。
しかし、「捕虜となっている同級生を救わないわけにいかない」と、5人は塀を乗り越えて、仲間を救いに走ります。
無事に仲間を救い出した5人ですが、寄宿舎に帰るとすぐに舎監のベク先生の前に連れられてしまいました。
けれども先生は、寄宿舎の規則を破った5人を頭ごなしに叱ったりはしません。なぜ規則を破って抜け出したのか、まずはそのワケを5人に聞きます。
そして、仲間を救い出したいと思った5人の気持ちをわかってくれ、仲間を救い出そうと思った5人の決断は正しかったと褒めてくれます。
それから、こう続けます。
「このばあい、きみたちのおかしたあやまちは、きみたちが許可をうけにくることをわすれた、という1点だけにしぼられてきそうだな。(略)
なぜきみたちは、わたしにたずねなかったのだ? きみたちは、それほどわたしを信頼していないのか? (略)
とすると、わたし自身も、罰をうけなければなるまいな。このばあい、わたしにも、きみたちのあやまちにたいして責任があるのだから」
(「飛ぶ教室」)
こんな風に言える先生が、どれほどいることでしょうか。
ベク先生は、みんなから「正義先生」と呼ばれている曲がったことが大嫌いなどこまでも正義を貫く先生なのですが、まさしく、ケストナーの理想の先生ということができるでしょう。
こうして、勇気と賢さを持ち合わせた先生に温かく見守られる5人の少年達のエピソードが、次々に語られていきます。
クラストップで正義感が強いけれど、家が貧しいマルチンの話。4つの時に親に捨てられた作家志望ジョーニーの話。勉強ができないボクサー志望のマチアスの話や、皮肉屋で嫌みが多いセバスチアンのひそかな孤独や悩み、怖がりで弱虫でチビのウリーがどのように勇気を持つに至ったかという話など。
どこにでもいそうな少年達が、それぞれの悩みや不安に向き合っていくかというエピソードを通して、自分の心に正直になることや、勇気と賢さを持つ大切さがあたたかく描かれていくのです。
骨のずいまで正直である難しさ
「不幸にあった時に、自分の悲しみや苦しみをごまかさず、骨のずいまで自分に正直になることが、最も大切だ」とケストナーは語っていましたが、『ヨガ・スートラ」にも正直であることの大切さは、はっきりと書かれています。
「サティヤに徹したものは、行為とその結果がつき従う」
(「ヨガ・スートラ」第2章 36節)
サティヤに徹するということは、ただウソをつかないということではなく、それこそ自分の心に骨のずいまで正直であるということといえると思います。
自分の心に骨のずいまで正直になり、自分の心をごまかさずに自分で考えて行動をした時、恐れというものはまるでなくなるのだと、パタンジャリも語っています。
例えば、怖がりでチビのウリーは、同級生にからかわれてゴミ箱に突っ込まれても、それに反抗できないほど弱虫でした。
ウリーは、そんな弱虫の自分にものすごく悩み、どうしたら強くなれるかと、病みそうになるくらい思いつめ、とうとうある行動に出ました。
運動場にあった高いハシゴのてっぺんによじ登り、大勢の生徒が見守る中、かさを広げて、そこからパラシュート降下をやったのです。
そのせいでウリーは大ケガを負ってしまいました。こんな危険な勇気の示し方は全然ほめられたものじゃないと、ベク先生も他の生徒達に厳しく言います。
けれどもまた、先生はこうも言います。
「あのちびが、一生涯、だれも自分を1人前にはあつかってくれないんだ、などという不安を持ち続けることを考えたら、こんな骨折くらいたいした問題じゃない」
(「飛ぶ教室」)
この事件の後、ウリーは前のチビで弱虫で臆病な少年ではなくなり、不思議な力をひそませた勇気ある少年に変わります。
自分の心にある臆病さや醜い感情といったものにしっかりと向き合い、そこから目をそらさず、ごまかさず、骨のずいまで自分の心に正直にあろうとした時、人間は真の勇気を持つことができるということなんですね。
そして、「勇気と賢さがなければ、時代は少しも進歩していかない」と、ケストナーははっきりと主張します。
「かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、かしこい人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。これは、正しいことではありませんでした。勇気のある人たちがかしこく、かしこい人たちが勇気をもったときにはじめて……いままでは、しばしばまちがって考えられてきましたが……人類の進歩というものが認められるようになるでしょう」
(「飛ぶ教室」 まえがきその2)
ナチスが台頭してきた時代だったからこそのケストナーのこの叫びが、「飛ぶ教室」全体を貫く正義と賢さと勇気の物語とつながってきていると私は思うのですが、このメッセージは、今の暗い時代を生きようとしている私達もまた受け止めねばならないといえるでしょう。
コロナや戦争といった、信じられないような悲惨な事態が現実問題、次々に世界中で展開しています。
その現実に目をそらさずに向き合うこと、そして、自分には何ができるんだろうかと、自分自身で考えて行動をすること。
大きな事はできないかもしれませんが、1人1人が少しずつの勇気を持って賢く行動をしなければ人類は絶対に進歩しないと、今、私自身ケストナーに叱られているような気がします。
ヒトラーの時代に書かれたケストナーの精一杯のメッセージが込められた「飛ぶ教室」。
その中にも、ケストナー独特のユーモアたっぷりの語りと温かさがたっぷり込められているので、読み終わったら心がホッと温まり、しみじみ良い本だなと思うのです。
小難しいことをいろいろ書きましたが、難しいことは考えずに、まずは「飛ぶ教室」を、手に取っていただけたらと思います!
参考資料
- エーリッヒ・ケストナー著 山口四郎訳『飛ぶ教室』講談社青い鳥文庫(1992年)
- 『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨガ・スートラ(1989年)』スワミ・サッチダーナンダ 著/伊藤久子 訳(めるくまーる)