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教典『ヨガ・スートラ』ではヨガの第2段階はニヤマ(勧戒)だと説きます。
これは、第3段階のアーサナの前に日常から気を付けるべきこととして書かれています。
前回の「ヤマ(禁戒)」編に続いて、ヨガを練習するなら知っておきたいニヤマの基本をご紹介します。
八支則の2番目ニヤマ(勧戒)とは
ニヤマはヨガ・スートラに出てくる八支則の2番目です。
1番目のヤマは社会生活の中での禁止事項が書かれていたのに対して、ニヤマでは個人的な行動の規範として行うべきことが書かれています。
ヤマとニヤマの2つを日常的に気を付けることによって、3段階目から始まるアーサナなどの練習の効果を高めることができます。
ニヤマには5つの教えが含まれています。
- シャウチャ(清浄):自身を清潔に保つこと。
- サントーシャ(知足):与えられたものに満足すること。
- タパス(苦行・熱業):困難をやり遂げること。
- スヴァディアーヤ(読誦):聖典を読むこと。
- イシュワラ・プラニダーナ(祈念):神への信仰。
1つ目のヤマと比較すると、意識が自分に向き始めていることが見受けられますね。
それでは、それぞれの教えについて詳しく見ていきましょう。
「シャウチャ(清浄)」心の純粋さは身体の清浄さから
ニヤマの1つめはシャウチャ(清浄)です。
シャウチャは自分自身の身体・心・精神を清潔に保つための行いです。
私たちの身体は自分自身で気を付けていないと必ず汚れを生み出してしまいます。そして、不純物はタマス(暗質)の特徴を備えています。
タマス性が上がっていると怠慢さや怠惰、眠たさが現れます。また、視界が曇って真実を見ることができなくなってしまいます。
そのためヨガでは、タマス(暗質)を弱めてサットヴァ(純質)をあげることが必要とされます。
(シャウチャにより)サットヴァ性の浄化、愉快感、1つのことへの集中、感覚の制御、自己直観の能力が発現する。(ヨガ・スートラ2章41節)
サットヴァ性は純粋さです。
汚れがない状態だと、真実を見ることができます。それによって心は軽く軽快になり、視界が明るくなり、真の自分を知ることができるようになります。
お風呂に入ってスッキリしたとか、ヨガのアーサナの後に身体の滞りが解消されて心まで軽くなった感覚を覚える人は多いと思います。それはサットヴァ性が高まっている状態です。
ベッドシーツを変えるなどの身の回りのことがらでも気持ちが良いですね。
外面的な要因だけではなく、食事でも消化しやすい食べ物を選んだりすることで、内面的な汚れ(未消化物)を作らないようにすることができます。
「サントーシャ(知足)」今ある幸福を見逃さない
私たちの心が迷い続けているのは、無いものに対する欲望が絶えないからです。
サントーシャの実践では、今すでに与えられているものに気が付くことで、欲望が弱まり人生の喜びを知ることができます。
人の欲望には限度がなく、とても強烈に心を捕えてしまいます。それによって大切なことも見失ってしまうことがあります。
例えば、念願の子供が誕生した時には世界一愛しくて、生まれてきてくれただけで幸せだと感じますが、子供が成長するにつれて様々な欲が生まれてきます。
友達の子供の方が早く言葉を覚えると不安になったり、栄養を考えて作った食事を食べてくれなくてお菓子ばかり食べたがると怒ったりしてしまいます。
学校の成績が良くなかったり、決めたルールを守ってくれなかったりすると、次から次に足りない部分ばかりに意識が向いてしまいます。
そのうち家族が一緒に生活できることの幸福そのものさえ感じることができなくなってしまいます。
“より良く”を目指すことは良いことです。しかし、未来に何かを勝ち取るために、今の幸せを見失ってしまうのはもったいないことです。
隣の芝生が青く見えてしまう時もあるでしょう。しかし、それぞれに与えられたものは違うので、他人の持ち物を欲しがる必要はありません。
すでにあるものに意識を向けるだけで、幸福に気が付くことができます。今あるものに感謝することで、その幸福を増大することもできるでしょう。
健康な家族に感謝をしたり、与えられた仕事に感謝をしたりと、自身が幸せを感じて周囲に伝えることで、幸福の輪が広がっていきます。
「タパス(苦行・熱業)」心の不純物を焼き払う
タパスは昔から苦行として知られてきました。
古代インドでは苦行業者たちが生死をかけるほどに過酷な修業を様々な方法で実践していました。
特に仏教の開祖であるゴーダマ・シッダールタの時代には、沢山の修行僧が過酷な断食などを行い、修業の中で命を失った人もいました。
しかし、そのような過酷な苦行に対しては反対するような教典も複数見られます。
迷える見解に固執し、自己を苦しめたり他者を滅ぼすために行われる苦行(タパス)は、暗質的な苦行と呼ばれる。(バガヴァッド・ギーター 17章19節)
それでは、本来のタパスはどのような修業なのでしょうか?
タパスは熱業と訳すこともできます。自身の内側に強い意志という炎を燃やすことによって、心の中の不純性を焼き切ることができます。
タパスの実践は、自分との誓いを立てることから始まります。
例えば、毎朝5時に起きて瞑想をすると自分に約束をします。早起きをする習慣がない人や、起きたらすくにスマートフォンをチェックする癖がついている人にとっては、早起きをして座ることは簡単なことではないでしょう。
しかし、毎日自分との誓いを守って瞑想を続けることで、誘惑や、言い訳をしたい弱い自分の心に打ち勝つことができます。その意思の強さこそが心の炎となります。
「スヴァディアーヤ(読誦)」聖典から学ぶ
スヴァディアーヤ(読誦)とは、マントラの復唱、または教典を読むことを意味しています。
教典は何度も繰りかえし読み続けることが大切です。
インドの伝統でマントラや教典の学習は、テキストではなくて口頭で伝えられてきました。弟子は一語一句逃さずに暗記するまで何度も唱えて続けて学びます。
暗記するまで繰り返し唱えることによって、それを示した聖者たちの意思を理解できるようになります。その時には、まるで古代の先生たちが直接話しかけてくれるように、教えを受け取ることができるようになります。
またマントラを繰り返し唱え、その音に意識を集中させることをジャパと呼びます。
ジャパの実践は神聖な音の波動と一体になることによって、自身の精神をその状態に導くことができます。
「イシュワラ・プラニダーナ(祈念)」内側に宿る神聖な存在と出会う
ヨガ・スートラではイシュワラという神様が出てきます。ヨガ・スートラの日本語訳でイシュワラは「自在神」と呼ばれます。
ヨガでは神様を外的な存在ではなく、自分の内側に存在するものであると考えます。
自分の内側に宿る霊魂をプルシャ(真我)と呼びます。ヨガでは自身の本性であるプルシャを探すために、瞑想などを行って内観を行います。
日常の生活の中で私たちの意識は、プルシャより外側にある思考や体、自分の外の世界に向いています。
プルシャは姿かたちが無いものなので、そこに意識を向けることはとても難しいことです。それでも自分の内側にある真の自分を信じて、そこに向かって意識を内側に深めていくことがヨガの実践です。
イシュワラ・プラニダーナによってサマーディ(三昧)が実現する。(ヨガ・スートラ2章45節)
本当の自分であるプルシャに出会うことこそがヨガの成功であり、サマーディ(三昧)の境地であるともいうことができます。
だからこそ、ヨガの道を進む人は、その目的に向かっている意識を持ち続けることが大切です。
ニヤマをヨガの練習に取り入れよう
今回ご紹介したニヤマの5つは、八支則の2番目であり、アーサナよりも先に出てくる段階です。
しかし、自分自身の思考を大きく変えるような教えばかりですね。
5つ全てを別々に実践しようとしても大変なので、ヨガの時間に取り入れると身近なものになりやすいです。
例えば、アーサナを練習している時に、外側に意識が向かないように呼吸や感覚という“自身の内側”に意識を向けていくことで、少しずつイシュワラ・プラニダーナに近づいていきます。
胸が広がった状態で気持ちのいい呼吸ができた時に、その幸せを感じることでサントーシャの実践ができます。
意識的にニヤマを取り入れる努力を続けることで、自分の考え方もポジティブに変わっていくことを感じられるようになってくるでしょう。