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私のクラスでは、知識やテクニックを伝えることには重きを置いていません。これまで何度もお伝えしてきているとおり、アーユルヴェーダやヨガの実践をとおして自分のエゴに気づき、それを手放し、本来の自己である純粋なる意識へと目醒めることを真の目的としているからです。
純粋な意識への目醒めとは、あなたにしかない感性や能力を復活させることでもあります。それは音楽や絵画といったアートへの目醒めかもしれません。第六感をつかって、見えない存在からのメッセージを誰かに伝える能力ということもあるでしょう。
グルはエゴを満たすためのサービス提供者ではない
他の誰か、何かになるためのテクニックや知識は一時的に人生を好転させることもあるかもしれません。けれど、一定の段階にくるとまた周囲と自分を比較しては、自分に足りないものばかりに目を向けてしまう。そうして、また不足を補うように知識をむさぼり、テクニックを追求する……。
当然、自分が本来もつ感性からはどんどん遠ざかってしまいます。それでは、いつまでたっても心は満たされず、どんどん自分を見失い続けていきます。
そうした段階にいる時には、真のグルとの出会いは叶わないでしょう。グルは、自分以外の何者かになろうとする、あなたのエゴを満たすためのサービス提供者ではないからです。
もし今、グルに出会って自分を変えたい、あるいは、このままではいけない、と何かに焦りを感じているのなら、もう何かになろうとするのをやめることです。
本当の自分を生きると決意することから、道は徐々に開かれていきます。
エゴを手放すために、ヨガやアーユルヴェーダがある
私にとっては、アーユルヴェーダやインド占星術の叡智をベースにその時々の空間から受け取れるメッセージを自分なりに表現し、心地よく生きるヒントを多くの人と分かち合うことが自分を生きることだと感じています。
これはアーユルヴェーダやヨガをとおして、本当の自分ではないエゴと向き合い、手放し続けてきたからこそ、見えてきた感性であり使命なのです。
そして使命に気づくまでの道のりを着実に進むことができたのはグルとの出会いがあったからこそ。グルに師事するようになって数十年近くたちますが、グルの存在無くして今の私はありません。
グルに求めず、信頼することから目醒めの道が始まる
そして今もなお、グルから学ぶことは多く、この関係が途絶えることは生涯ないと思います。直接会う回数は減りましたが、たとえ物理的に会えなかったとしても、グルの存在はいつも私の進む道を光で照らしてくれます。
これは依存しているということではありません。グルは私を助ける存在ではないからです。同様に私もグルに助けてもらおうとは思っていません。人生のステージを引き上げてほしいという欲もありません。
グルは自分を生きることで、その道を弟子たちに見せる存在です。弟子たちは、グルの生き様から今必要な気づきを受け取り、それを生きる(実践に移す)ことで、それぞれが、その人にしか成し得ない自分の道を進んでいくわけです。
ですからグルが弟子に何かを強要することはありません。同様に本当の弟子たちは、グルに何かを求めたりしません。機が熟した時、グルと弟子という関係性の空間から、必要な気づき、道が見えてくることをお互いに信頼しているからです。
そして弟子たちは、気づきを得たら、それに基づいた行動を積み重ねていきます。この過程で、エゴが一つ、また一つほどけていくのです。
本当の学びは実践をとおして、伝搬されていく
一定の期間を超えると、頻繁にグルの元へ行かなくても、エゴに振り回されなくなり、自分軸で生きられるようになります。やがて、グルと同じように、誰かが本当の自分へと目醒めていく道を照らすようになるでしょう。
実践をとおして、グルから弟子へ、さらにその弟子へと目醒めの道を伝えることこそ、ヴェーダならではのグルと弟子の真の関係性。ひとりのグルに師事する本質なのです。
ここ数年、私のクラスでは、このことをリアルに感じられるようになりました。次回は、いまクラスで起こっている嬉しい変化の一部を紹介したいと思います。