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ヨガの哲学の代表的な考え方の1つに因中有果論というものがあります。
漢字で書くと難しく聞こえますが、その教えはとてもシンプルに「原因の中にはすでに結果が含まれている」というものです。
この因中有果論を理解することによって、世界や自分自身の人生がどのように進んでいるのかを知ることができます。
今回は、因中有果論について優しく学んでみましょう。
因中有果論とは?原因の中から結果が生まれる
因中有果論は、ヨガの哲学の元になっている古代インドのサーンキャ哲学の特徴的な考え方です。
因中有果論の基本は「世界に現れる全ての事象は、すべて原因の中に含まれている」という考え方です。
例えば植物について考えてみましょう。植物の種はとても小さくて一見それが何の種なのかを判別することは難しいです。
しかし、その小さな種の中に植物の成長に必要な情報を全て持っていて、植物のそれぞれの部位に成長します。
種の状態では全く想像もできなかったような花が咲き、果物が実ります。
ヨガ哲学では、私たちの世界に現れている全ての事象は植物と同じように、原因という種の中から生まれてくると考えています。
原因と結果が全く違う形で現れることもあります。原因という種から育って咲く花の色は、予想できない結果かもしれません。
この原因である種にどのような因子が含まれているのか、原因と結果の関係性を考えるのがヨガ哲学です。
サーンキャ哲学の説く3つの原因要素(トリグナ)
それでは、世界を作り出す種についてもう少し詳しく見ていきましょう。
ヨガ哲学の土台となったサーンキャ哲学では、プラクリティ(物質の根本原理)が全てのものの原因であると考えています。
プラクリティは、3つの要素(トリグナ)を含んでいます。この3つの要素の組み合わせによって展開が起こり様々な性質を持った物質や事象が表われます。
3つの要素は下記の通りです。
- サットヴァ(純質):純粋、明るい、軽い、透明、幸福と結びつく、正知
- ラジャス(激質):動き、激しさ、欲望、怒り、痛み、刺激
- タマス(鈍質):鈍い、暗い、重たい、濁り、怠慢、睡眠、不幸と結びつく、無知
物質世界のものは全てこの3つの組み合わせで出来上がっています。
例えばキャンドルについて考えてみましょう。
物質としてのキャンドルは重たく、光を通さず、タマスの性質が現れています。しかし、火をつけると燃えるという性質が現れ、それはラジャスです。そして、燃える火の回りには光が現れます。物事を照らす光にはサットヴァの性質があります。
このように、物事には3つ全ての性質が含まれていますが、火が燃えている時にはラジャスやサットヴァが高まり、火を消すとタマスが優勢となるといったように、常に状態が変化する中でその時に優勢な要素により違って見えます。
同じ要素でも違うものが生まれる
たった3つの要素の組み合わせでできている世界ですが、その時々の要素の状態によって全く違うものに見えます。
それは、水に例えると分かりやすいかもしれません。
水は H2O、水素と酸素の2種類の組元素のみ合わせでできています。
同じ組み合わせを維持していても、常温だと水という液体、0度以下では氷という個体、100度を超えると水蒸気という気体になります。
原因となる原子が同じであっても、一見全く別のものに見えることは、ヨガ哲学のプラクリティでも同じです。
たとえ今、目に見える形が違っていても、全てはプラクリティという根本原理に含まれるトリグナ(3つの要素)の形状変化だと考えるのがヨガ哲学です。
原因と結果に時差が起こることもある
人生の中で、ある日突然想像を絶するような良いことが起きたり、反対に悪いことが起きたりすることもあります。
その時人はとっさに「これは運命なのか…」「神様の与えた試練なのか」または「良いことをしているのにこんな仕打ちがあるなんて、神なんかいない」と様々なことを考えます。
しかしそれは原因と結果の関係性を理解できなかっただけであり、必ず何かしらの原因があると考えるのがインドの哲学です。
例えば、若い時に転倒して腰を痛めたとしましょう。1週間も経ったら痛みが消えたので、腰を打ったことを本人がすっかり忘れてしまうということは頻繁に起こり得ます。
若い時には身体を支える筋肉が充分にあり骨内のコラーゲンも豊富なので、少しの骨盤の歪みには気が付かずに日常生活を送ることができるかもしれません。
しかし、歳をとって筋力が低下し、軟骨が減ってきたとき、歪みがあった部分に急に痛みが現れることがあります。
すると、全く身に覚えのない痛みが急に表面化し、原因が分からずに困ってしまいます。
呪縛的な事柄を信じる民族なら、「この家に引っ越してきてから腰が痛み始めたから、きっと悪霊がいるに違いない」と思い込んでしまうかもしれません。
同じインド発祥の仏教でも因果応報という言葉があります。良い行いをすればいい結果が現れ、悪い行いには悪い結果が起こります。
ボランティア活動をした帰り道に交通事故にあったら、「良いことをしたのになぜ」と思いたくなるのも仕方ありません。しかし、良い行いの結果が今日は現れなくても、必ずいつか表面化します。
私たちは、自分自身の行いによって人生を左右されているというのがヨガや仏教での共通した考えです。
良い結果、悪い結果とは?思い込みを疑おう
こんなに善良に生きているのに全く良いことがない!もしくは、あの人は他人に意地悪ばかりしているのに宝くじに当たってズルい!と感じたことはありますか?
それは、私たちが思い込んでいる「良い結果」「悪い結果」が間違っている場合もあります。
宝くじについて考えてみましょう。けっして周りに親切な人が当選するわけではなく、怠慢な生活をしている人も、周りから憎まれている人であっても当選する可能性はあります。
しかし、宝くじに当選したことが本当に「良い結果」なのかどうかは怪しいところです。
宝くじの高額当選者の多くが数年で破産してしまうという話はわりと耳にします。
私たちが幸福の定義を取り違えてしまっている可能性がありそうですね。
では、誠実に生きているのに幸福を掴めないと感じている人はどうでしょう?実は、すでに幸せを手にしていてもそれに気が付けていない場合が多々あります。
例えば、やりがいのある仕事がある人であっても「私も結婚して子育てをしたい」と出産した友人を羨みます。反対に結婚して専業主婦になると「ずっと家の中にいて、社会から孤立している」と感じているかもしれません。お互いにない物ねだりです。
今すでに与えられている幸せに気が付いて満足することをヨガではサントーシャ(知足)と呼びます。
良い行いをしてもなにも見返りがないと感じている人は、本当に自分が何も与えられていないのかを見直してみるといいでしょう。
自分の行いを見直すことで未来が変わる
私たちの人生は日々の行動の積み重ねです。今日の行いがすぐに明日結果として戻ってくるかは分かりませんが、着実に未来を変えています。
だからヨガでは良いカルマ(行為)を積み重ねることを大切にします。
幸福とは、どれだけ沢山の富や名声を得られるかではありません。自身がいかに幸福を感じられるのかが大切です。
そのためには、変化し続けるプラクリティの状態を、できるだけサットヴァ優勢にすることが大切です。
サットヴァ性の良い行動や考え方が、幸福な結果を生み出します。
ヨガの実践もサットヴァ性の行動です。
良い行動と良い結果の関係が分かってくると、自身の人生を変えるための行動がどのようなものかも見えてきますね。