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ヨガは幸せに生きるためのメソッドです。
それでは、幸せとは一体何なのでしょうか?幸せを掴むためにはどうしたら良いのでしょう?
それを探すのもヨガ哲学の大きなテーマの1つです。
「今よりも幸せになりたい」と願っていても、幸せとは何かが分からなければ、どこに進んで良いのか分からないですね。自分が進む道を選ぶためにも、自分のための幸せを知っておくことはとても大切です。
今回は、引き算するという視点でヨガ哲学について考えてみます。
足し算的な幸せから引き算的な幸せに
ヨガを始めたキカッケや理由を思い出してみましょう。
「今より健康的になりたい。」
「柔軟でしなやかな身体を手に入れたい」
「痩せて綺麗になりたい」
「リラックスしたい」
「素敵な女性がヨガをやっていたから私もやってみたい」
様々な理由が考えられますが、ヨガを始めると何となく良い効果が得られる感じがしますよね。
ところで、「何かを得る」というのは足し算的な考え方です。
特に日本でヨガが流行し始めたのは西洋の影響が大きいので、なんとなくお洒落で新しいライフスタイルとしてのイメージもあると思います。
新しいヨガの先生やヨガ友達との出会いもワクワクしますし、ヨガを始めると新しいウエアやヨガマットを選ぶことも楽しいです。それも全て足し算ですね。
しかし、ヨガが生まれた時代のインドでは、むしろ引き算的な考えを推奨していました。
というのも、ヨガを含めて多くのインド哲学は「苦しみを取り除くこと」を最優先にしていたからです。「苦しみと向き合う」というのは、なにか人生のネガティブな側面に意識を向けるようで、あまりワクワクする魅力的な言葉ではないかもしれません。
しかし、引き算することこそが、幸せを感じるためのコツなのだと古代のヨガの聖者たちは説きます。
苦しみからの解放(モークシャ)って?
ヨガの目的の1つで解脱(モークシャ)という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
モークシャはあらゆる苦しみからの解放を意味しています。それが輪廻転生から解放でもあれば、あらゆる欲望や執着からの欲望の場合もあるので、なにか山奥の仙人でも目指すようでピンと来にくいですね。
そもそもインドでは、生きることは苦しみを得ることだと考えます。多くのインド発祥の思想では、人生の苦しみに直面し、そこから自由になることを目指します。
例えば仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタは、王族として生まれました。
もし人にとっての幸せが裕福さであれば、シッダールタはあらゆる幸福を全て手に入れていたはずです。誰もが羨むようなお城に住み、美しい衣装をまとい、沢山の人の愛を受け取っていたはずです。
しかし、シッダールタは全てを捨てて出家しました。それは、人生にはどれだけ富があっても逃げられない苦しみがあることを知ってしまったからです。
仏教で説く代表的な4つの苦しみには生・老・病・死があります。
どれだけお金を持っている王様でもいつか老いてしまいます。お金があれば有名な医者を呼ぶことができるかもしれませんが、それでも治らない病もあります。
死に対する恐怖も1度知ってしまうと心の中を埋め尽くして支配します。
このような避けられない苦しみがある人生なら、生まれたこと自体が苦しみだと考えます。
死に直面している状況では、どんな美しい宝石を手に入れても楽しむことができませんね。病気で熱がある時には贅沢な料理もおいしくありません。
だからインド哲学では、苦しみを取り除くことが幸せへの鍵だと考えました。心の中を支配している苦しみを取り除くことで、目の前にある幸せに気が付くことができるのです。
アパリグラハ(不所有)で本当の幸福に気が付く
ヨガにはアパリグラハ(不所有)という教えがあります。
古代のヨガ修行者は何も所有せずに出家しました。今でもインドの聖地を訪れると、サドゥと呼ばれる修行者の姿を沢山目にしますが、その多くが、腰に巻くための布と、小さな教典、マントラを唱えるためのマーラー(数珠)以外は何も持っていません。
もちろん、お金も持ち歩きませんが、インドでは修行者を尊敬する文化があるので寄付などで生活ができてしまいます。
私たちはものを所有すると必ずそこに執着してしまいます。
この執着こそが大きな苦しみの原因です。だから、アパリグラハを実践することで苦しみが生まれなくなります。
持ち物を引き算すると幸福を感じやすくなる
自分が「これがないとダメ!」と考えている思い込みを1つずつ見直していきましょう。
例えば、高級な基礎化粧品を使わないという思い込み。今まで高級な化粧品を使っていて、急に平均的な化粧品や、自然のオイルだけに変えたら、使い心地の差は歴然でしょう。
しかし、1度体験した高級化粧品を使う快楽に対して執着してしまうと、お金の不安があっても「これだけは私のこだわり」だと手放せなくなります。
ういったこだわりが多いほど変えられない、手放せないものが増えて、人生はとても窮屈になってしまいます。毎月家計がギリギリだと、心も余裕がなくなってしまいます。
ところで、どれだけこだわりが強い人でも子供ができると、お肌の手入れどころじゃなくなって、急に手放すことができたりします。
「これじゃないとダメ」と思っていたのも、自分で作り出した思い込みだったのですね。
これも良いけど、これがなくても良いのだと気が付けるようになると、心がとても軽くなります。
過去の自分への執着も手放す
人生を生きていると様々な経験をします。多くの人は経験から学び大人になることで、生きるための知恵を身に着けます。
しかし、過去の自分の経験に囚われてしまうことで苦しみを生み出す原因となってしまいます。
例えば新社会人時代に睡眠時間も削って働いていた人は、「若者は苦労をして出世するべきだ」と考えているでしょう。その価値観に固執していると、出世しなくても良いから自分の時間を楽しみたいと考えている人の価値観を受け入れられなくなってしまいます。
もしかしたら部下からは、過去の自慢話ばかりだと思われているかもしれないし、定年して仕事が無くなった瞬間に仕事をしていない自分の価値を見失ってしまうかもしれません。
過去のトラウマが今の自分の足かせになってしまっている場合も沢山あるでしょう。
子供の時に小さな失敗で親に厳しく怒られた経験で、どんな小さな失敗も許されないのだと思い込んでしまうことがあります。すると、新しいチャレンジをしたい時に大きな足かせになってしまいますね。
過去の自分の経験はリアルな現実で無くすことはできません。だけど私たちは常に今を生きなければいけません。
過去への執着を手放すことは、今の自分にちゃんと向き合ってあげることに繋がります。
昨日とは違う新しい自分に出会うこともできるようになりますね。
引くことはネガティブではない
自分の人生の中で、本当に必要と、実はなくても良い物について見直してみましょう。
私たちは常に変化し続けているので、実は昨日の自分に必要だったものは、今日の自分には必要ないかもしれません。
物質も思考も沢山のものを保持することは、それだけ人生の重みになってしまいます。
家をイメージしてみましょう。若い時から買ったものを全て捨てられなくて全て家の中に残していると、ゴミ屋敷の様になってしまいます。たとえ自分にとっては宝物であっても、沢山あるというだけでゴチャゴチャしてしまいますね。片付けも大変です。
逆に、シンプルで物のない家であれば、たった1輪の花を飾っただけでも気持ちのいい空間になります。掃除だって、ものが置いていないテーブルの水拭きは簡単です。
思考も、できるだけ頭の中をシンプルにしておけば、何か問題に直面しても冷静に解決法を考えることができます。
すでに頭の中が混とんとしていると、積み上げられたゴミ山が崩れるように大きな問題になってしまいます。
足すのではなくて、引くことが快適さや幸福に繋がる。そんなヨガ的な視点で、自分の生活を見直してみましょう。