真横から見る白い床の上でシャヴァ―サナ(屍のポーズ)をとる女性

シャヴァーサナ(屍のポーズ)から新しい自分に生まれ変わる

ヨガのクラスでは必ず最後に行うシャヴァ―サナ

仰向けになっているだけのポーズは、頑張った練習後の極上のお昼寝タイムになってしまう人も多いでしょう。なんとなく気が抜けきってしまいますよね。

シャヴァ―サナは屍のポーズという意味であり、ヨガにとって「死」とはとても大切なテーマです。

今回はシャヴァ―サナについて深掘りしてみましょう。

シャヴァ―サナ(屍のポーズ)は“静”と“動”が組み合わさった難しいアーサナ

頭上側から見る焦茶色の床の上でシャヴァ―サナ(屍のポーズ)をとる女性
ハタヨガの最も有名な先生の1人アイアンガー氏が、シャヴァ―サナ(屍のポーズ)は最も難しいアーサナの1つだと著書「ハタヨガの真髄」の中に記しています。

ただ仰向けに寝ているだけのポーズがどうして難しいのでしょうか?

自分がシャヴァ―サナを練習している時のことを思い出してみましょう。身体のどこかに少しの不快があるだけで気になってしまいませんか?

骨盤の位置が少しずれている気がしたり、身体のどこかに痒みを感じたりすると、意識の全てが不快感に結びついてしまうので、どうしても身体を動かしたくなってしまいます。

シャヴァ―サナでは不快に気が付きやすい

私はシャヴァ―サナを行うヨーガニドラの練習中に、必ず手足が痒くなって苦しい時期がありました。

ヨガ理論に詳しい先生に相談したところ、「それは体内のアンバランスなプラーナの流れが原因であるから、アーサナの練習を見直すように」とアドバイスされました。

シャヴァ―サナでは通常より感覚が研ぎ澄まされて微細な不調に気が付きやすくなります。

不調和なエネルギー(プラーナ)の波動が体内にあると、痒みとなって表面化してしまうようです。

先生のアドバイスに従って1週間程度アーサナの練習を行ったところ、悩んでいた痒みは消えていきました。

このように、シャヴァ―サナでは日常で感じにくい微細な感覚に敏感になります。

しっかりとアーサナの練習で身体の不調を取り除いてシャヴァ―サナを行うことで、初めて快適さを得ることができます。

実はシャヴァーサナ苦手さんは多い

もしあなたがヨガの先生であれば、生徒のシャヴァ―サナを観察しながらその人の内面を感じることができるでしょう。

中には、全く落ち着きがなく、頻繁に身体を動かしてしまう人もいます。呼吸が安定せず、顔の筋肉がこわばっている人もいます。雑念が途切れない人は、心を落ち着けるために深呼吸をしているかもしれません。

もしくは、完全に寝てしまって寝息を立てている人、中にはいびきをかいている人もいますね。

シャヴァーサナでは10分程度は身体の動きを完全に制止させます。

日常でそのような体験をすることはほとんどありません。私たちはいつも動くことに努力をしてばかりです。

身体も心も、どのように働かすかは1日中考えているのに、どのように制止させるかについては無関心です。

ヨガでは”静”と”動”の両方を練習します。

ヨガを始めたばかりの人が“静”の練習であるシャバアーサナを楽しめないことは当然かもしれません。

ですが、苦手意識をもつ必要はなく、練習を続けているうちにシャヴァ―サナの特別な時間を楽しめるようになってきます。

身体の“静”と心の“動”を両立するシャヴァ―サナ

疲れている時には、シャヴァ―サナの最中に寝てしまう人も多いでしょう。

日常生活で緊張感の強い人にとって、シャヴァ―サナの時間だけでも安心して深い眠りに入れることは、とても幸せなことかもしれません。

しかし、元々のシャヴァーサナの目的とは少し違います。

シャヴァ―サナの間、身体は静止状態でいないといけませんが、同時に意識は活発な状態でいる必要があります。

シャヴァ―サナの本来の醍醐味は、身体の制止状態の中で自由に働く意識の体験です。
シャヴァーサナにも段階があり、意識が自分の外側から少しずつ内側に入っていきます。

これは5つのコーシャ※1に当てはめて理解することができます。

  1. 最初は、心に残っている記憶から外側の世界に意識が向きます。「この後、先生にこんな質問したいな」と考えているのは、外側世界への意識です。
  2. もう少し意識が内側に向くと、呼吸によって入ってくるプラーナ(生命エネルギー)が自由に流れる様子に気が付きます。
  3. さらに内側に意識が向き、感情や思考といったものに気が付きますが、最も深い意識に到達して自分の存在に気が付くと、本当の自由に気が付くことができます。
  4. 過去の記憶やトラウマも全て手放せた時、意識は宇宙の中を自由に動き回れるようになります。

死んだように横たわったシャヴァーサナを行っている時、内側では自由に意識の旅が行われているのですね。

5つのコーシャを理解し、自分のより深い内面へと意識を向ける

  • ※1 コーシャ:コーシャとは、鞘(さや)入れ物という意味である。人の体は5つの層で出来ているという教えであり、パンチャコーシャ(5つの鞘)と呼ばれる。

死ぬことは終わりではなくて始まり

大きな扉から両手を広げて歩いて外に出ようとする女性の背中
ヨガのクラスの後で、新しい自分に生まれ変わった感覚を覚える人も多いでしょう。

シャヴァーサナの最中には身体の感覚器官から完全に開放され、自分の内側の世界に意識が向きやすくなっています。

それはヨガの生まれた国インド人の考える死です。死とは肉体と離れることであり、意識が消滅することはありません。

シャヴァーサナで1度完全な死の状態を経験すると、新しい人生が始まります。

シャヴァーサナの後、ピンダーサナ(胎児のポーズ)で身体を緩めてから起きる方も多いでしょう。

「死」とは終わりではありません。必ず新しい生まれ変わりを導くものです。

シャヴァーサナの後に胎児となって、身体の新鮮な感覚を味わうと良いでしょう。

人が使い古した衣服を脱いで新しい衣服を着るのと同様に、魂は古い身体を脱ぎ捨てて新しい身体の中に入る。(バガヴァッド・ギーター2章22節)

ヨガの教典『バガヴァッド・ギーター』によると、私たちの魂は何度も生まれ変わって新しい身体を手にします。それはまるで古い洋服を脱いで、新しい洋服に着替えるように行われます。

ヨガ哲学において死とは終わりではありません。人が死ぬこと、何かが破壊されることは必ず新しい誕生の始まりです。

ハタヨガにおいて最初にヨガの教えを説いたというシヴァ神は、破壊の神様として知られています。

ヨガでは、今までの人生で作り上げてきた価値観や常識を破壊します。深いシャヴァーサナの中では、過去の記憶でさえ心の中から消え去ってしまいます。

いつも心の中を支配している色眼鏡を完全に取り去ることで、生まれ変わった時に先入観なく世界を見ることができます。

苦行?熱業?タパスって、どんな実践?

ヨガの練習の後で、味覚や聴覚、視覚といった感覚がクリアになるのを実感できる人も多いでしょう。

初めて世界を見るように光を眩しく感じ、聞こえてくる音に新鮮な驚きを感じます。

たった10分のシャヴァーサナであっても、日常世界の思考を完全にリセットすることができます。その時の感覚を抱き続けることで、先入観を捨てて世界を見ることができます。

ヨガを練習することで、何度でも生まれ変わる自分を体験することができるかもしれません。

シャヴァーサナを習得してヨガの恩恵を受け取る

俯瞰して見る焦茶色の床の上でシャヴァ―サナ(屍のポーズ)をとる女性
一見簡単に見えて、ついつい休憩時間だと認識しがちなシャヴァ―サナですが、本来の恩恵を受け取るのはとても難しいアーサナです。

シャヴァ―サナの最中に他のことを考えてしまうのも仕方ありませんが、心に雑念が生まれるたびに「今私の心の中に雑念が生まれたな」と気が付くことで、少しずつ思考をコントロールできるようになっています。

毎回熟睡してしまう人は、それだけ日常の自分がリラックスできていないことに気が付くことができるでしょう。

シャヴァ―サナを行っている時の自分を観察することで、自分を知るきっかけにもなります。

身体が静止しているからこそ、日常気が付くことができない自分を観察し、その中から必要なものが見えてくるでしょう。

そして、シャヴァ―サナの練習が深まると、自由になった意識を楽しむことができます。

ヨガの最後のシャヴァ―サナを楽しんで、より深いヨガの恩恵を感じてみましょう。

ヨガジェネレーション講座情報

ヨガ哲学に興味のある方におすすめ