みなさんの周りには、憧れのメンター※1と呼べるような存在はいますか?
世の中には望まなくても大きな名誉や富を得る人もいれば、渇望しても成功を収められない人もいます。
人間の欲の根源となる財や富は、どのような人のもとに集まってくるのでしょうか?
ヨガでは、アステイヤ(不盗)の実践によって大きな富を得ることができると説いています。
富について説くのはヨガらしくない印象を抱くかもしれませんが、世界の流れを理解してヨガを実践すると、少しずつ幸運の集まる人の特徴が見えてくるかもしれません。
- ※1 メンター:「良き指導者」「優れた助言者」「恩師」の意。自分自身の仕事やキャリアの手本となり、助言・指導をしてくれる人材のこと。
大きな富を手にしたグルジ(師)のストーリー
今回は筆者が長年師事しているグルジ(師)の逸話を最初にご紹介します。
私のグルジPt.ハリプラサード・チョウラシアは、インド音楽界で現代のクリシュナ神と呼ばれているバーンスリー(竹製の横笛)奏者です。
グルジは西インドのムンバイと東インドのオリッサ州の2か所にグルクルという住み込み型の音楽学校を建てました。
私が学んでいるムンバイのグルクルは、海岸近くで有名なボリウッド俳優の多数住む地区にある3階建ての大きな建物です。
グルクルを建てるための広い土地は、インド元首相に頼んで用意してもらいました。
「自分の師がしてくれたように、神からの授かりものである音楽を伝えていくための学校を作りたい」と夢を語ったところ、充分な土地が与えられました。
しかし、大きな建物を建てるためには土地だけではなく、大きな財力が必要です。グルジは何人かの知人に計画を話しました。
その中で、インドで最も大きな財閥タタ・グループの創設者に相談したところ、タタ氏はその計画に感動して、1枚の小切手にサインを書いて渡してくれました。
その小切手の金額の部分は空白になっており、彼はこう告げました。
「いくらでもいいから、必要な金額をここに書いてお金を使いなさい。」
そうして、ムンバイに立派なグルクルが建てられ、沢山の若者が金銭的な心配をすることなく現在まで音楽の勉強を続けています。
このストーリーを聞いて、「権力のある人には財が集中する」と感じた人もいるかもしれません。しかし、グルジが自身の私利私欲のために富を渇望していたら夢は叶わなかったでしょう。
グルクルの創設に力のある人たちが喜んで協力したのは、“無料で教育を提供する”というコンセプトに共感したからです。
グルクルは、生徒から1円もお金を取りません。生徒は入学するときに補償金でわずかな金額を預けますが、決まった年数学んで学校を離れる時には全額返金されます。
生徒たちは自分で掃除洗濯や炊事を行います。家庭から離れて生活する術を身に着けながら、それ以外の時間を音楽の練習に費やします。
最低限の食料は寄付によって賄われているので、住み込み期間生徒はお金の心配をする必要がありません。
そのため、地方の貧しい家庭出身の生徒たちも、物価の高いムンバイで時代の中心となる音楽家たちから学ぶことができます。
貰うことよりも、与えたい。その思いが、結果として大きな富を呼び込みました。
ヨガの八支則にあるアステイヤ(不盗)
他者から奪おうとする人のもとには一時的に富が入ってきたとしても、長く富が留まることがありません。幸福とは、自分の元に留めようと努力するほどに離れていきます。
逆に、「自分のもの」という固執を手放し、人とシェアする準備のできた人には求めずしも幸福が集まってきます。
それについては、ヨガの八支則、ヤマの中に説かれています。
アステイヤの戎業に徹したならば、求めずして、あらゆる地方の珠玉が彼のところへ集まる。(ヨガ・スートラ2章37節)
「欲しい」「独り占めしたい」という自我が強い人のところには富は入ってきにくいです。
自分と他者の間に大きな壁を作って、自分の所有物が逃げていかないようにしていれば、入ってくる流れも同時に絶たれてしまいます。
流れのない場所を富は嫌います。「独り占めしようとしない」という信頼こそが、あらゆる富を与えられるために必要です。
「仕事は忙しい人に頼め」という言葉を聞いたことがある人もいるでしょう。世の中は不景気で就職活動に躍起になっている人が多い中でも、依頼が途絶えなくて忙しい人が必ずいます。
一般的な理由を考察すると、依頼が集まる人は「仕事ができる人」であると考えられます。そして、実際にそのような人は、沢山のものを他者に与えられる人が多いです。
例えば、依頼の絶えないヨガの先生の日常を見ていると、クラス以外の時間にも生徒さんの相談に乗るなど、謝礼の発生していない場所でも自分の時間と労力を捧げられている方が沢山います。
自分の話を聞いて欲しい我欲ではなく、相手のために何かできることがあればという純粋な与える心も持っていると、自然と機会が与えられます。
私のグルジの場合、2時間のコンサートで演奏すれば多額の出演料を稼ぐことができますが、それ以外の時間は全て他者へ与えることに費やしています。
仕事がない日は、何時間でも私たちに音楽の教えを授けてくれます。1人でいる時間は、親愛するクリシュナ神への捧げものとして音楽を奏でています。
音楽だけではありません。生徒は家族の一員だからと、私が一緒に食事をするときには必ず自分のお皿からお気に入りの料理を分けてくれます。
音楽は自分の所有物ではない。自分だけで独占してはいけない。自分が神様や師から与えられたように、できる限り周りの人に提供する。
そういった姿勢が、より多くの幸福を呼び込むのでしょう。
必要以上の所有も盗みになる
アステイヤ(不盗)の本質についてもう少し考えてみましょう。
盗むことの原因は、欲望、渇望であり、これらは「自分のものにしたい」というエゴによって生まれてきます。
そのため、必要以上のお金を貯えることや、食べ物を食べることもヨガでは盗みとしてみなされます。
ヨガでは食事は身体の維持のために行う行為とみなされ、自分の食欲を満たしたいという願望を動機とした贅沢過ぎる食事なども、盗みとして考えられています。
美味しい部分だけを食べたい、スーパーには絶対に品切れにならない量の食材があって欲しいという願望によって、廃棄物が出てしまっているのであれば、確かにそれも盗みの行為として考えることができるのかもしれません。
ヨガによって富を見つける直観力が備わる
シヴァナンダ氏の弟子であるスワミ・サッティヤーナンダ氏によると、ヨガによってエゴを手放し純粋さを高めると、他者の持っている富を知る直観力が働くそうです。
他者の持つ富とは、お金や財宝だけではありません。その人が内側に持っている隠れた才能という大きな富も見ることができます。
優れたヨガの先生は生徒の可能性を見極める力があるように感じられます。そして、沢山のお手伝いをしてくれる人が周りに集まっています。
単純にヨガの技術を上手に教えれば人が集まるわけではありませんね。利己的な心が見え隠れすると、自然と人は離れます。
それでは、優れた先生になるためにはどうしたらいいのでしょう?
やはり自身のヨガを磨いて心を清らかにし、目の前にいる人たちの内側に宿る富を見つけてあげられることなのでしょうね。
自ら相手に幸福を与えられる人になることで、求めなくても自然と幸福が集まってきます。