こんにちは!丘紫真璃です。今回は、昔話やファンタジーにおける「名前」というものをテーマに考えていきたいと思います。
私達のまわりには「名前」があふれています。自分自身にも「名前」がついていますし、この世界に存在する様々なものには「名前」があります。
「名前」は不思議なもので、もらってきた子犬にココという「名前」をつければ、その犬はココという特別な犬になりますし、何気なく咲いている野の花の「名前」を知れば、その花をより身近に感じることができます。
「名前」をつけるということで命が吹き込まれる…。そのように感じたりもしますよね。
今回は、そんな「名前」をテーマにした物語と、ヨガとの結びつきを考えてみたいと思います。
糸つむぎ小鬼の名前
イギリスの名作家エリナー・ファージョンの『銀のシギ』をご存じでしょうか。
イギリスやヨーロッパで広く伝わっている『トム・ティット・トット』という昔話を題材にした、とても愉快なドタバタ劇となっており、ぜひとも皆さんに読んで笑っていただきたいのですが、この『トム・ティット・トット』も、「名前」をテーマにした昔話なのです。
昔、あるところに住んでいたおかみさんが、パイを5つ焼きます。
このおかみさんには、食いしん坊の娘がおり、娘は5つのパイを全部平らげてしまいます。
5つもパイを食べた食いしん坊の娘に驚いて、おかみさんが大騒ぎをしているところに、王様が通りかかり、「お前は何を騒いでおるのか?」と尋ねます。
おかみさんは、まさか娘が5つもパイと食べただなんて言うのはとても恥ずかしかったので、糸を5かせつむいだ、とウソをついてしまいます。
すると、王さまは非常に感心してこう言います。
「これは、驚いた!今まで、そんなことができるものの話など、聞いたことがないぞ。これ、女、わしは、妻をもらわねばならぬ。それだによって、おまえの娘をめとることにしよう。だが、これ、女、1年のうち、10と1月は、娘には、すきなだけ、食べさせ、すきなだけ、着させ、すきなだけ、伴をつけてやる。しかし、最後の1月、娘は、日に5かせの糸をつむがねばならぬのだ。もし、つむがぬとあらば、わしは、娘をころすぞ」
(『銀のシギ』訳者あとがき)
こうして、娘はお妃様となり、贅沢に楽しく暮らします。
しかし、最後の1月になると、王様は娘を腰かけと糸車と大量の麻の置かれた部屋に閉じ込めます。
糸など全然つむげない娘が困り切って泣いていると、長いしっぽを生やした小さな黒い小鬼の様なものが現れて、娘のかわりに糸をつむいでやろうと申し出ます。
しかし、もちろん、代償はあるのです。
「わしは、毎晩、おまえに、3度、わしの名をあてさせる。1月のあいだに、おまえが、うまくあててしまわなけりゃ、おまえは、わしのものになる」
(『銀のシギ』訳者あとがき)
お妃は毎晩、つむいだ糸を受け取り、小鬼の名前を3度当てますが、なかなか当てることができません。
ファージョンの『銀のシギ』では、ここからが冒険の始まりというわけで、事の次第を知ったお妃の妹が小鬼の名前を探り出すために命がけの冒険に出かけ、小鬼の名前を探り出すのですが、昔話では、お妃が偶然に小鬼の名前を知ったということになっております。
とにかく、小鬼の名前を知ったお妃は、「おまえの名まえは、トム・ティット・トット!」と当てることができました。
お妃に名前を当てられたとたん、小鬼は消え失せてしまいます。
得体の知れないものに名前をつける
『トム・ティット・トット』と同じような昔話は世界中に存在します。
日本にも『鬼と大六』という昔話がありますが、これまた、『トム・ティット・トット』とそっくり同じ、鬼の名前を当てるという昔話なのです。
小鬼にせよ、鬼にせよ、恐ろしいものです。得体の知れない気味の悪いものと言っていいかもしれません。
得体の知れない恐ろしいものが、名前を当てた途端にキレイさっぱり消え失せてしまうということは、なかなか意味深いものがあるように思います。
ファンタジーの名作『ゲド戦記』の主人公ゲドも、得体の知れない恐ろしい影に追い回され、悩まされます。
しかし、ゲドがその影に向き合い、影に向かって「ゲド!」と、名前を呼んだとたんに、影はゲドと1つに溶け合い、なくなります。
恐ろしいものや、得体の知れない気味の悪いものの正体がわからないと、恐怖はどんどん膨らんでいき、恐怖に飲み込まれてしまいます。
ところが、小鬼や影の名前を呼ぶことで、小鬼や影は消えました。それはなぜでしょうか?
おそらく、名前をつけるということは、その恐ろしいものの正体を知るということだからではないでしょうか?
恐ろしいと感じていたものの正体はいったい何だったのか?
それを知ってしまったら、それはもう恐れるに足りないものに変わってしまいます。恐怖の正体を把握することで、恐怖というものをコントロールできるのです。
恐怖をコントロールして、心の安定を得る。それは、ヨガと同じではないでしょうか。
感情という大波をコントロールして、心を安定させることがヨガの最大の目的なのですから。
神の名を唱えて、神を知る
ヨガにおいて、心を安定にする最も重要な方法。それは、マントラです。
「ヨガ・スートラ」には常にマントラを唱えよと書いてあります。神の名であるオームを繰り返し、繰り返し、唱えるのです。
神の名を唱えることで神というものを真に知ることができ、神を真に知ることで、ヨギーは心を安定させることができるのです。
キリスト教でもアーメンと唱えて神を呼びますし、世界の他の古くからある様々な宗教でも、やはり、神の名を唱えます。
神の名を唱えるということは、ヨギーだけではなく、世界共通の心を安定させる最も効果的な方法なのですね。
神は、その名前だけで人々の心を安定させる大きな力があるのです。
「名前」というものは、本当に不思議で、奥が深いと感じます。
“「名前」には魔力がある”と西洋でも考えられていたそうですが、本当にそう感じますよね。神秘の力があるように思います。
「名前」というキーワードから、様々なことが見えてきて、なかなか面白いと思いませんか?
皆さんもぜひ、「名前」に注目して、読書をして見て下さいね。また別の面白さを味わえると思います!
参考資料
- エリナー・ファージョン著 石井桃子訳『銀のシギ』岩波書店(1975年)