蒲生邸事件~過去でもなく、未来でもなく、今この時~

皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、宮部みゆきの『蒲生邸事件』を取り上げたいと思います。

現代の高校生がタイムスリップした先は、歴史的にも有名な二・二六事件の最中だった…

という、聞いただけで思わず手を伸ばして読みたくなるタイムスリップ物で、サスペンスあり、時空を超えた恋愛あり、さらにはタイムトラベラーの苦悩もリアルに描かれた、読み応え十分の長編小説です。

1997年の第18回日本SF大賞を受賞し、直木賞候補にもなったほか、テレビドラマやラジオドラマにもなり人気を博しました。

推理小説の一面も、SF小説の一面も持ち合わせる『蒲生邸事件』とヨガに、いったい、どんな関係があるのでしょう?

私達もタイムスリップをして、ヨガとのつながりを探しにいきましょう!

タイムスリップ


『蒲生邸事件』の主人公、尾崎孝史は大学受験にことごとく失敗し、失意のどん底にいる高校生です。

予備校の試験を受けるために、群馬から東京に上京し、とあるホテルに泊まっていました。

ところが夜、そのホテルで火事が起き、孝史は炎に取り巻かれて絶体絶命の大ピンチに陥ってしまいます。

「もう俺は死ぬんだ…」とあきらめた時、目の前に現れたのがタイムトラベラーの能力を持った平田という男でした。

平田は、孝史の腕をつかみ、炎の中から脱出するためにタイムスリップをします。

そうして、タイムスリップした先は昭和11年2月26日。まさに、あと30分もすれば、二・二六事件が始まるという時でした。

孝史が降り立ったのは、「蒲生邸」という大きな洋館のすぐ外。というのも、孝史が泊っていたホテルは、「蒲生邸」の跡地に立っていたホテルだったからです。。

タイムスリップは、ものすごく体力を消耗するため、短期間に繰り返し行うのは不可能でしたので、孝史はしばらく昭和11年2月26日の「蒲生邸」にとどまり、様々な経験をすることになります。

まがいものの神

「蒲生邸」にとどまることになった孝史は、館の主である蒲生大将の死の現場に居合わせることになります。

その死の謎を巡った推理劇が展開され、推理作家宮部みゆきの筆が冴えた読み応えのある推理劇を楽しめるので、ぜひ読んでいただきたいのですが、今、私達が注目していきたいのは、タイムトラベラー平田です。

平田の深い苦悩こそが、孝史に大きな影響を与えるところとなりますので、丁寧にタイムトラベラー平田の生い立ちを追っていってみましょう。

平田の家系は代々、タイムトラベラーという特殊能力を持った人が生まれてくる家系でした。

しかし、タイムトラベラーの能力を持っている人は、例外なく、暗くブキミな雰囲気を持ち合わせており、人に愛されないという定めも背負っているのです。

そのため、平田はいつも孤独で、生きているという実感を味わったこともありませんでした。

せめて、タイムスリップできるという能力を生かして、悲惨な事故や事件を未然に防ごうと
考えたのですが、これもどうしてもうまくできません。

例えば、平田がタイムトラベラーの能力を駆使して、ジャンボジェット機墜落事故を未然に防いだとしても、まるでその事故の代わりかのように、ジャンボジェット機は別の場所で、墜落事故を起こしてしまうのです。

「私は何度も何度も似たようなことを繰り返してきていた。ひとつの過去の惨事を防ぐ。そうすると、まるで私の努力を嘲笑うみたいに、必ず似たような事件が起こるんだ。むろん、場所も違い、係わる人びとも違う。でも事件の性質はそっくり同じだ。起こる事件そのものを絶対的に防ぐなんて、できやしないんだよ」
(『蒲生邸事件』)

事故や事件を防いでも、別の場所で別の人々が、似たような事故や事件に巻き込まれてしまう…。

そんなことを繰り返しているうちに、平田は自分の努力がむなしくなり、歴史というものは必然的な流れがあり、それを変えることなんて不可能なんだということを、嫌というほど思い知らされたと言います。

タイムトラベラーという素晴らしい能力を持っているのに、それを生かして悲惨な事故や事件を防ぐこともできない自分。

ある人々を飛行機の墜落事故から救っても、また全く別の人々が墜落事故に巻き込まれる。そんな無駄なことをしている自分は何なのか。何の権利があって、こんなことをしているのか。

「タイムトラベラーなんて何の意味があるんだろう?何の意味もありゃしない。タイムトラベラーは病気みたいなものだ。タイムトラベラーはまがいものの神なんだ…」と、平田は孝史に吐き捨てるように言います。

平田の苦悩に言葉もなかった孝史ですが、彼自身も今、平田と共にタイムトラベルをしてきて、“たとえ未来を知っていても悲惨な歴史を変えることはできない”ということを、これから強く実感することになります。


俺もまがいものの神だ


昭和11年の街並みを歩き、そこに生きる人々を見ながら、孝史は唐突にある強い思いが沸き上がってきました。

ここに生きる人々は、これから第二次世界大戦が起きるということを何も知らない…というやりきれない思いです。

それなのにどうして、あなたたちは笑う? どうして誰も怒らない? 誰も恐れない? どうして誰も立ち上がろうとしないのだ。これは間違っていると。我々は死にたくないと。
 なぜ止めないんだ。
 叫び出しそうになって、孝史は両手で口を押えた。息だけが凍った白いもやとなって空に流れた。
 なぜ止めないんだ。今度の問いは、孝史自身に対する詰問だった。俺はどうして今ここで拳を振り、群衆に向かって叫ばないんだ。このままじゃいけないと。僕は未来を知っていると。引き返せ。今ならまだ間に合うかもしれない。みんなで引き返そうと。
(『蒲生邸事件』)

でも、たとえ今、自分が大声で叫んだとしても誰1人信じてくれないだろう。信じてくれた人がいて、その人を助けることができたとしても、それは細部の修正に過ぎなくて、ここに歩いている大半の人を、俺は見殺しにすることになるんだ……。

孝史は、町の人々を見つめながら、知らぬ間に涙を流します。

雪道をごうごうと通過する戦車と、軍靴の響きと油の匂い。そして大勢の人びと。それらの光景を思いながら、孝史はひとつの大きな真実を見つけた。
 今の俺も、まがい物の神に過ぎない。
(『蒲生邸事件』)

この時代に生きていく

未来を先回りして結果を知っていたら、どうしても、その時代に生きる人々の間違った行為に腹立ちを覚えたり、批判をしたりしたくなります。

あなた達は何も知らないけれども、実はこの先に悲劇が起きるんだと大声で教えたくなります。

でも、いくら大声で言ってもまるで無駄で誰1人として救うことができず、落胆をすることになるのです。

平田もまた、そういったことを数え切れないほど繰り返してきたと言います。

でも、もう、そういうことはたくさんだと言います。

「その時代を手探りで生きている人達を高所から見下ろすような行為はもう絶対したくない。未来を全然知らないまま、1つの時代に根を下ろして、普通の人として生きてみたい」と言います。

「だから、自分は昭和11年という時代の人として生きていってみようと思う…」と、平田は、孝史に話します。

「これからやってくる戦争の時代を、この時代に根をおろして、この時代の人間として体験するんだ。どれほど辛かろうと厳しかろうと、ひとつのごまかしも、予想も、先回りもなしに、すべてを自分で体験するんだ」
(『蒲生邸事件』)

「あえて厳しい時代に根を下ろして生き抜いた時、私はまがいものの神ではなく、人間になれるんじゃないか…」と、平田は真剣に話します。

「まがいものの神ではなく、ごく当たり前の人間に。歴史の意図も知らず、流れのなかで、先も見えないままただ懸命に生きる人間に。明日消えるかもしれない自分の命を愛せる人間に。明日会えなくなるかもしれない隣人と肩をたたいて笑い合う人間に。それがどんなに尊いことであるか知りもしないまま、普通の勇気をもって歴史のなかを泳いでいく人間に。どこにでもいる、当たり前の人間に」
(『蒲生邸事件』)

過去でもなく、未来でもなく、今

“先も見えないままただ懸命に生きる人間になる”…その平田の決意の中に、ヨガとのつながりが見えてくるのではないかと思うのです。

ヨガでは、「今、この瞬間」というものをとても大切にします。

瞑想をする時、ヨギーは、過去のことをくよくよ思い悩んだり、未来のことを心配したりせず、ただひたすらに、今、この瞬間に集中をします。

今、この瞬間に集中をすることで、全ての雑念を忘れて心を落ち着け、心を穏やかにクリアにするのです。

ヨガをするということは、究極の今を生きるということにつながっているのです。

その後現代に戻った孝史もまた、平田の決意を思い出して、父に言います。

「俺ね、過去を見てきたの。それで判ったんだ。過去は直したってしょうがないものだし、未来のことを考えて心配したって無駄なんだってことがね。なるようにしかならないんだから。だけど、だからこそ俺、ちゃんと生きようと思ってさ。言い訳なんかしなくていいようにさ。そのときそのとき、精一杯やろうってさ」
(『蒲生邸事件』)

今の世の中は、繰り返してはいけない悲惨な事故や事件、戦争など、暗くふさぎこんでしまいたくなるニュースであふれています。

私達は、そんな悲惨な事故や事件、戦争を1人でどうにかすることはできません。

できることは、今を懸命に精一杯生きてみるということだけでしょうか。

『蒲生邸事件』は、明日どうなるか先が見えない不安の中で、それでも顔をあげて、懸命に今を生きる勇気をくれる小説のような気がします。

見えない不安に押しつぶされそうな時には、ぜひ、手に取ってみて下さい!

参考資料

  1. 『蒲生邸事件』(1996年:宮部みゆき著/毎日新聞社)