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ヨガは宗教大国としても知られている国インドで生まれました。現代のヨガでもマントラを唱えたりすることで、少し宗教っぽいと感じる方もいるようです。
しかし、ヨガは自己探求の要素がとても強く、宗教とはかけ離れていると感じる方も多いと思います。
宗教とヨガの違いは何か?歴史をふまえて考えながら、自分で自分を高めるヨガについて見直してみましょう。
呪術的なバラモン教からヨガが生まれた
ヨガの起源については現代でも諸説あり、最も古い時代にヨガの源を求めようとすると、紀元前3000年頃から栄えたインダス文明の遺跡の中に見つけることができます。
まるでパドマ・アーサナ(蓮華座)を組んで瞑想をしているような姿のモチーフがあり、この時代からヨガ的な瞑想が行われていたのだろうと考える学者が多いです。
しかし、現代でもインダス文明の文字は解明されておらず、原初のヨガがどのようなものであったのかは現代でも分かっていません。
バラモン教は様々な自然現象に祈ること
現代にも受け継がれているインドの思想の土台は、紀元前1300年年頃にインドに侵略してきたアーリア人が作り上げたものです。
アーリア人はカースト制度を築きましたが、最も上位のカーストはバラモンと呼ばれる司祭階級でした。
バラモンは、神々と交信を行うことができる人々です。
様々な呪術を使って神の言葉を聞いた古代のバラモンたちは、神から受け取った言葉を書き残し『ヴェーダ』と呼ばれる書物を残しました。
この時代に書かれたヴェーダは、現在のヒンドゥー教の源となっていますが、実はヨガを実践している人にも馴染みが深い部分があります。
例えば、アーサナの練習でスーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)という一連の流れがありますが、このスーリヤとは、ヴェーダにも登場する太陽の神様の名前です。
太陽礼拝の練習をしている時に、「太陽神スーリヤのエネルギーを頂いている」と感じながら練習している人はそんなにいないかもしれませんが、知らない間に太陽への祈りを行っているのかもしれません。
また、太陽神スーリヤの別名サヴィトリに向けたガーヤトリー・マントラは、とてもエネルギーの高いマントラとして、インドではヨガ教室でも頻繁に唱えられます。
ガーヤトリー・マントラも、実はヴェーダの1節を抜き出したものです。
Tat Savitur Varenyam (タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム)
Bhargo Devasya Dheemahi (バルゴー デーヴァッスヤ ディーマヒ)
Dhiyo Yo Nah Prachodayaat (ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート)
訳:われら願わくは、物質界、心の世界、因果の世界に満ちるサヴィトリ神のこの愛でたき光明を享受せんことを。その彼はわれらが詩想を助長せんことを。
バラモン教は多神教として知られて、自然界にあるあらゆるものを神格化して称えます。
例えば、ヨガを練習している人はマンドゥカという言葉を聞いたことがあるかもしれません。
現代ではマットメーカーの名前として知られる「マンドゥカ」は、カエルという意味があります。
カエルは雨と密接な関係があり、インドの暑い夏に雨を望む人たちはカエルに向けて祈りを捧げます。インドの一部の地域では、現代でも雨乞いの儀式としてカエルの結婚式を行います。
自然のあらゆるものの中に神様を感じるのは、日本の神道にも似た感覚があるのかもしれません。
神頼みの時代から自己鍛錬のヨガの時代へ
神様に向けた様々な儀式を行うことで問題を解決してきたバラモン教から、徐々に自己探求の思想が生まれてきます。
神頼みだけでは人は幸せになることができないと気が付く人々が増えてきたのかもしれません。
人々の関心は世界をコントロールする呪術的な力から、自分自身を鍛錬してコントロールする修業に移り変わってきました。
バラモン文化の中から発生したタパス(苦行)は、『ヨガ・スートラ』の中にも含まれています。
タパスでは断食などの厳しい修業を行い、自分自身の精神を高めました。
あらゆる宗教はより幸せに生きるために信仰されますが、インドの思想家たちは、幸せは周囲を変える神頼みではなくて、自分自身を磨くことで到達できるのだと見つけたのですね。
ヨガと同時期に発展した仏教やシーク教も、自分自身と向き合う修業によって真理を見つけようとアプローチします。
幸せになる答えは、自分の外の神様ではなく、自分自身の内側に存在する。それを見つけたのがヨガの大きな功績だったのではないでしょうか。
ヨガの答えは全て自分自身の内側にある
ヨガが生まれた時代の流れを見ていると、私たち個人単位でも同じような発見をすることができるかもしれません。
人生で何か上手く言っていない時、何が原因だと思いますか?
- 私のお母さんが全く理解してくれない
- 不況の時代に生まれてしまって不運だった。
- 私の会社はブラック企業過ぎるから。
と、周囲に責任を押し付けたくなる時もあるでしょう。
しかし、ヨガでは自分の人生を変えることができるのは自分だけだと教えてくれます。
自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。しかし自己を制していない人にとって、自己はまさに敵のように敵対する。(バガヴァッド・ギーター6章6節)
頑張っていても不運が起きてしまうこともありますし、なかなか努力の成果がでないときもあります。
しかし、上手くいかない時に外にばかり原因を探していても自分の人生を変えることはできません。
自分に向き合うことは簡単ではありませんが、自分を理解して自分の行動を変えることが幸福への1番の近道です。
ヨガは自分の本質を知るためのメソッド
ヨガの聖地であるインドには、世界中から沢山の人が自分探しの旅に訪れます。
「本場のインドには自分を変えてくれるヨガの先生がいるのではないか?」と望んでみたり、「インドに来たら人生が変わったと沢山の人から聞いたから」と、自分の人生を変えてくれる何かを求めたりする人はとても多いです。
それらの人は「何か」を探し続けていて、実は自分が何を求めているのか自分で理解できていません。
そのため、長い時間インドで放浪の旅をし、何十人ものヨガの先生に会いに行っても「なんか違う」と納得できずに彷徨ってしまいます。
自分の人生を変えたいと望んだ時、まず最初に行うべきことは「自分が何を求めているか」を知ることです。
何となく「幸せで輝く人生」と考えていると、結局何を求めているのかが分からず、実現するための方法も見えてこないですね。
SNS などで周囲の人の幸せそうな姿を見て、自分もそうなりたいと思うこともありますが、幸せのカタチは人の数だけ違います。
外を見ていても、なかなか自分の幸せを見つけることができません。
ヨガでは、外側の自分のから徐々に手放していきます。
私たちの意識は外の世界、色かたちのある物質にスポットライトを当てがちで、内側の繊細な感覚には意識が向きにくいものです。
まるで玉ねぎの皮をむくように、外側の層から順番に手放すことで、深い部分での本当の自分に出会うことができます。
自分で自分を幸せにしてあげるためのヨガ
ヨガでは、本当の幸せは常に自分の内側にあると教えます。
ヨガを始めたばかりのころは「この先生が私を変えてくれるはず」と先生に依存してしまう場合もありますが、それではいつまで経っても心が依存心に縛られてしまっています。
誰かに助けてもらうのではなく、自分で自分自身を幸せにしてあげること。
その意識があると、ヨガの恩恵も感じやすくなるのではないでしょうか。